俺はまだ生きている
これが死後の世界か?
黒一色の世界。薄ら寒く、無音の世界。
こんな寂しいだけの世界なのか。これなら子供の頃、故郷の寺の掛け軸や、昔話のアニメで見た地獄の方がまだ賑やかで楽しげではないか。
…それともここが本当の地獄なのか?
前に踏み出そうとして突き当たった。進めない。慌てて手も振り出してみたが、腹の前に突き出した以上に動かすことはできない。まるで見えない袋に閉じ込められているかのようだ。
何もない無明で、身体すら満足に動かすこともできないのか。
一切の闇と圧迫された息苦しさに恐慌をきたし、情けない悲鳴を上げながら暴れた。とはいえ手足もろくに動かせず、その姿を第三者が見たなら、のたうち悶える芋虫そのものであっただろう。
にわかに気配を感じ、情けない悲鳴を止めた。代わりに目を凝らし、耳を澄ます。相変わらず無明の世界ではあったが、物音に気付いた。
音だ。音が聴こえる!
それも人の声だ。良かった、死後の世界でまで孤独にならずに済むのだ!
「…!…のか!?」
聞き間違いではない、確かに人の、男が何事か叫ぶように呼び掛ける声だった。
「おい、ここだ!一人にしないでくれ!」
必死に返事を返した。このままこんな無明の牢獄で一人で居たくはない。
すると、軋むような金属音が鳴り響く。金属ドアの音か?そう疑問に思っていると、今度はより明瞭に声が呼びかけてきた。
「おい、大丈夫か!?生きてるのか!?」
生きてるのか…?
驚いたような男の呼びかけに、自分の思考が徐々に鮮明になっていく。 それほど容量も無い脳が、鈍いスピンアップ音を響かせながらハードディスクをフル回転させ始めた。
(そうか…仮死状態にでもなって、死体安置所にでも保管されていたのか?)
それともまさか、遺体用の焼却炉にでも投入された所だったのか。
その可能性に総毛立ちながら慌てて返事を返した。そういえば、金属音と男の声が聞こえてから、無明だった世界に微かな光が漏れこんでいる。病後、書類手続きをする中で自分の死後の手続きはとにかく簡素かつ低価格なオプションを選んだ。自分は死体袋にでも入れられているのか?
「生きてる!俺はまだ生きてるよ!」
「何て事だ…待ってろ!」
確かに何て事だ。だが、燃やされる前で本当に良かった。安堵の息を吐く間にまたも金属音。今度は金属をスライドさせる音が響き、自分の身体が声のした方向に向かって移動しているのが分かる。されるがままに大人しくしていると、すぐにジッパーを下げる軽快な音と共に眩いばかりの光が差し込み、闇に慣れ過ぎていたのか目は痛覚すら感じ、思わず目を瞑った。周りからは息を呑む、声にならない声や、ざわつく声が聞こえる。
「ええと、タグは…ああ、目は無理に開けなくていい。…今が西暦何年か分かるか?」
「ええ…2023年です」
「よし…じゃあ君の名前は?」
「大淵大輔です」
「いいぞ…年齢は?」
「53です…」
「ハハ…まだ少し混乱しているようだな。そろそろ目は開けられるか?」
何故笑うんだ? もっと年寄りにでも見えるというのか? などと思いながらゆっくり目を開けてみた。周りを囲む人々は三人。今話している、白衣を着た医師らしい男と、困惑と動揺の色を隠そうともしない表情でこわごわこちらを見守る緑色の作業服を着た男女だ。全員が2、30代だろう。ここは病院か?
自分の入っていた物を見下ろす。黒い合皮に似た素材の袋…映画やドラマでしか見た事の無い、死体袋だ。しかしオプションに死体袋などあっただろうか?そして顔を振り向かせると、奥行きのあるロッカー…死体を安置する金属製のロッカーがずらりと壁一面に並んでいる。そのうちの一つが今、自分を吐き出した口を開けているのだ。
…その光景を見るだけで寒気がぶり返してくる。
(しかし、こんなものが日本の病院にあるものか…?しかもこの数…)
かつて疫病が世界に蔓延した時には、一時公共の娯楽施設まで死体安置所になった国もあるというが…まるで、そんな有事を見据えたような施設だ。百人近い遺体を一度に保管できるだろう。
見回すうち、徐々に自分の異変に気付く。トランクス一枚なのは良いとして… 自分の下半身を見るのもままならなかった…あの、見苦しい出っ腹が無い。 代わりに屈強に割れた腹筋が、自分には無かったはずの分厚い胸板越しに見えている。 やはり手足もアスリートか軍人のような筋肉で引き締められ、それどころか皴が出ていた肌が若々しい張りと艶を取り戻している。足先の親指には何故かタグ…戦争映画の軍人が首から下げている物と同じような金属製のタグが括られており、目の前の医師らしき男が同じものを手元に置いて、そこに自分の名前や血液型が刻まれているようだった。
更に、全身には古い傷跡がびっしりと、まるで海外の人々が好んで彫るタトゥーのように残っていた。戦場帰りの兵士でもあるまいし、勿論、身に覚えはない。
特に、中心よりやや左寄りの胸元に、派手で生々しい傷跡があった。傷の中央はガーゼが張られ、そのガーゼに僅かな血の跡が滲んでいたが、血は既に乾いていた。…その傷の中心部は確かに、自分の病巣があった場所…心臓だ。そして、あれ程自分を苦しめて死に追いやった痛みも今は全く感じない。あの状態で手術を敢行したというのか? だとしてもこの体は…
「大淵君、自分に何があったか覚えているか?」
男に問いかけられる。だが、その質問には答えようがない。どう見ても、自分の確かな記憶と現状に辻褄が合わないのだから。沈黙をそうと受け取ったか、男は続けた。
「君はギルドのチームとして救助活動に駆け付けた戦闘で酷い大怪我を負い、意識不明の重体となったんだ。そのまま、君のクランメンバーと消防により、現地で戦死が確認された。 勿論、ここでもしっかりと再確認と処置がなされ、安置されていた…が、現に君はこうして生きている。 …こんな事は初めてだから謝罪すべきかこう言って良いのか分からないが…とにかく生還、おめでとう」
(おめでとうと言われても困るが…)
既に思考のハードディスクはクラッシュして煙を上げている。ギルドチーム?戦闘?戦死? …タチの悪いドッキリか何かか?だが、いくら何でも重傷の患者にこんなドッキリを仕掛ける不届き者がいるとは思えないし…百歩譲ってドッキリだとしてもこの体の変容は説明できない。
「これが君の所持品…それとIDだ」
渡された身分証には顔写真が張ってある。確かに、自分の顔だ…若かりし頃の。写真の隣に(21)とある。顔写真撮影時の年齢だろう。だが、運転免許証ではない。
(いや待て…若い頃だってこんな男前じゃ無かったと思うが…?)
それは断言できる。 陰キャという言葉が服を着て歩くような存在だったこともあろうが、贔屓目に見ても自分の容姿が最底辺レベルだったことは自他ともに認めていた事だった。
昔…員数合わせというか、引き立て役に無理やり連れて行かれた合コン…あの時の女性参加者に向けられた、火星人でも見たかのような視線と反応は鮮明に覚えている。
…同姓同名の別人の体か? だが、よく見ると顔の作り、微かに見えるホクロの位置…確かに自分の面影が無い事も無い…いや、よく見れば自分との共通点が徐々に分かってくる。
整形でもしたのか? …いや、整形にしてはズバ抜けて端麗な顔、という訳でも無い。飾りのない整い方だ。いわゆる天然モノだろう。
(そういえば、危険な仕事や日常に身を置いたり、健康状態や精神状態の良し悪しによって人の顔と印象はガラリと変わる…とか大物芸能人が言ってたっけか? …それにしてもこうも違うものか…)
そして顔写真の横には「日本ギルド連合 東京本部 中央地区 会員No.35121 大淵大輔(汎用騎兵)」と長ったらしい肩書がある。汎用騎兵?
身分証を見て益々混乱する。ギルドというのはあれか…? 三十代終わりの頃に少しだけ暇つぶしにやったが、まるでついていけなかったオンラインゲームの?
プレイヤーがクエストやミッションを受け付けて換金したり売買をする…
ついでに嫌な記憶も思い出した。
…突如として浴びせられる罵詈雑言や悪意ある他プレイヤーからの執拗な攻撃。数分おきにゲームオーバーに追い込まれ、何度PCの電源を引き抜こうと思った事か。 ゲーム自体も、自分の戦略とプレイスタイルが全く追いつかず、わずか三日で退会した苦い記憶が鮮明に蘇ってくる。
一番衝撃的だったのは、可愛らしい美少女のキャラクターからボイスチャットで、男の汚い罵り声が聞こえてきた時だ。あれには参った。
だが、この感覚からしてこれが夢やゲームではなく現実で、日本であることに間違いなさそうだ。
「…とにかく、先ずは君の家族…は居なかったか。君の所属するギルドの事務局へ連絡する。とりあえずこれに着替えて、上の部屋に行こう」
純白が眩しい清潔な病院着を渡され、なんとも複雑な思いで袖を通した。
(まるで死に装束だ… …この世界でも俺には家族が居ないんだな。 なら、親しい友人なども居ないのだろうか…?)
人との付き合い方が絶望的に下手な自分の事だから、そんなものは望めないだろうなと思った。
ここまでの話を強引に解釈しつつ整理すると、自分は似ているようで別の世界…パラレルワールドで過ごしていた若い自分の体の死と入れ違いに、意識が乗り移る形で生き返ったようだ。
そしてその世界の日本は何やら戦死者が出るほどのシビアな状況にあるという。昭和生まれとは言え、生まれてから平和な日本を謳歌し続けてきた身には想像もつかないが、現にこの体の自分…は死んでしまったらしい。
そして、元の自分も…
ここに居る自分は、魂が都合の良い器に乗り移った憑依霊のような存在なのか?…そうは考えたくないが…
自分がいたのはやはり地下だった。地下階を抜けて階上に出ると、それまでの地下の静寂が嘘のような病院の喧騒に気付いた。
遠目に見えるフロアはどこかしらを怪我した負傷者が治療を待ちわび、殺人的な忙しさに不機嫌な足取りの医師や泣き顔の看護師が足音も憚らず駆け足で行き来している。
なるほど自分が戦死したくらいなのだ、怪我人が居てもおかしくない。
「今でこそ落ち着きつつあるが、新しいゲートが出現したせいでこの病院も大忙しだよ」
先頭を大股に歩く医師が独り言とも世間話ともとれる声で呟いた。
「ああ、すまない。自己紹介がまだだったね。私は高木だ。 命懸けで対処してくれている君や自衛隊員さんの前で言うべき事じゃないかも知れないが…この通り、先日のスタンピードで負傷したギルドの戦士や自衛隊員が担ぎ込まれて、収容数だけは都内でも一位を謳っていたこの病院もパンク寸前だ。 …君を襲った相手も相当強力な化物だったんだろうな」
化物? ゲーム画面越しに見た、多種多様な見た目をした有象無象の怪物が思い出された。
「あの、俺はその化物と戦って負傷したんですか?」
高木医師が振り返り、芳しくない表情で大淵を見た。
「…やはり記憶の混濁がある。ギルドからの迎えが来るまでの間に念の為、脳のCT他検査もしておこう」
検査…治療費という言葉が真っ先に浮かび、断ろうとした。それが表情に出ていたのだろう。口を動かす前に医師が苦笑しながら手を振った。
「ああ、安心してくれ。君はギルドの共済保険に加入しているから、何も心配せずに診察と治療を受けてくれ…せっかく助かった命なんだから」
そう言われると断る理由も無くなってしまう。
高木は病院職員の一人にギルドへの連絡指示を出し、その足で大淵を連れて検査室に向かった。
しかし、各種検査の結果、脳・身体ともに異常なしとの事だった。
当然だ、こちらの世界で生きてきたわけではないのに、こちらの世界での記憶がある訳がない。
しかしこれは困ったことになる。こちらの世界の常識や知識が一切抜けているのでは、これからの身の振り方も決めようがない。最早ジャンクパーツとなった思考回路に鞭を打って絞り出した答えは、「記憶喪失のフリをして周囲からこの世界と自分に関する知識を補完する」というものだった。
まさか、自分は別のパラレルワールドからやってきた同姓同名の別人です、などと馬鹿正直に話して、精神を疑われて隔離でもされたら敵わない。
戦死者が出るような殺伐とした時世で、病院の地下に大きな死体収容施設があるような世界だ。 そのくらいされても不思議ではない。
かと言って、元の世界に帰る方法を探す…などという選択肢は端から無かった。
というより、その方策が思いつきもしない。
…それに、元の世界に戻っても既に自分は死んでいるのだろう。あの瞬間に目覚めて、また死の苦痛を味わう事になるかもしれない。
…夢では無いと断じたはずだが、この世界そのものこそ今、あのベッドの上で死に際の自分が見ている夢の世界なのかも分からないのだ。
だとすると、この夢から目覚める事以上の恐怖は無い。
ともかく、何をするにせよもう少しこの世界の状況を知ってから行動に移しても良いだろう。
やはり各室満員御礼となっている診察室の一室で首を捻りながら可能性と推測を説明する高木の話をもっともらしい顔を装って聞き流すうち、若い男の看護師がカーテンを開け、頭を下げながら訪問者の到来を伝えてくれた。ギルドのメンバー…この世界の自分の同僚が身元を引き受けに来てくれるという。 高木に促され、ともに腰を上げた。
(さて、ここからが本番だ…)
肉親が居ない以上、知識と記憶の補完の為にはこの世界にいる知己の協力…介助が不可欠だ。そして、この世界で生きていくためには「この世界の自分」になる必要がある。
これから会う同僚とはどんな人物だろう、と思いを馳せながら待合室の一角にパーテーションで区切られた簡易個室に案内されると、ポリエステル地のスクリーン越しに人影が見えた。
「御足労感謝します。私は高木です。中央ギルドの方ですね?」
簡易個室の中に入るなり、高木は時間が惜しいと言わんばかりに足早な挨拶を相手に送った。一歩遅れて大淵が入ると、そこには落ち着いた雰囲気の、同年代らしい若い男が佇んでいた。メタルフレームの眼鏡を掛け、髪は精悍に刈上げている。スーツを着ればどこかの銀行勤めか営業サラリーマンかという風貌だが、今は軍服と作業着の中間のような…体型に自然にフィットした衣服とベスト、ブーツに身を固め、敬礼こそしないが軍人のように姿勢よく二人を待っていた。 全体的にスマートな雰囲気の男だった。
背は自分よりやや高く見える。…175くらいだろうか? 陸上選手を思わせる、しなやかに引き締まった体躯をしているのが分かる。
大淵の姿を認めると、安堵したように顔を綻ばせた。
「中央ギルド、実働クラン総合担当の黒島です。…ウチの大事なクランリーダーを助けていただいて、何とお礼したら良いものか…」
(…リーダー?)
自分には縁遠い単語に戸惑う大淵をよそに、怜悧な顔を綻ばせた黒島は高木に次いで大淵に柔らかな視線を送った。高木は苦笑しながら手を振った。
「それが、助けたというか…なんというか…まぁ、極めて稀な仮死状態というのか…」
怪訝な表情を見せる黒島に向かって、高木は事の経緯と記憶喪失の件について説明した。「仮死状態」の件については納得できたようだが、記憶喪失に関する説明を詳細に聞くにつれ、その怜悧な横顔が硬く変化していった。
「それではもう…今までのようにギルドで活動できないのでしょうか?」
高木は曖昧に首を傾げつつ否定した。
「いえ…失われた記憶は限定的で、この通り正常に会話はできて、脳と身体については検査結果を見る限り問題は無いので…とはいえ、いずれにせよギルドの皆さんからの日常的な支援…喪失している記憶の部分に関して教えて介助するなどのサポートが少なからず必要になるでしょう。我々に…少なくともこの病院で出来るのはここまでです」
黒島は高木の説明を真剣に聞いていたが、決心したように微かに頷くと大淵に向き直り、気まずげに咳払いしてから真顔になって語りかけてきた。
「分かりました…では…あー…大淵。 俺の事は覚えているか?」
「その…まず、迎えに来てくれてありがとうございます。 いや…申し訳ないが何も…」
衝撃と落胆の色を見せながらも黒島は苦笑を浮かべた。
「そうか、無理もないよな。 …俺は黒島勇人。お前とは小学校からの幼馴染で…ああ、こういうのは小恥ずかしいな。それに場所を空けないと病院の迷惑になる…外に車を回してあるから、クランの拠点に戻りながら話そうぜ。…そうだ、先にこれを」
黒島は傍らのパイプ椅子に乗せていたデイパックを取り上げると、大淵に手渡した。開けて見ると彼が着ている物と同じ、ブルーブラックを基調とした服が詰まっていた。
「では、後はよろしく。 …君達の武運を」
「ありがとうございました、高木先生」
互いに別れの挨拶を交わすと、高木は休む間もなく仕事へと戻っていった。
そのまま簡易個室の中で着替えを済ませ、ようやく落ち着いた。「作業服」は丈夫そうな見た目と質感に反して着心地も快適だった。
「よし、それじゃ外に出よう」
黒島の後に続いて病院玄関前駐車場に出ると、まず目に飛び込んだのは派手に車体がへこんだ救急車。そして崩れ落ち、煤けた駐車場外壁だった。煙が出ていないのでそれが直近のものではないと分かるが、病院にまで戦火が迫ったという事実を生々しく物語っている。駐車している車の中にも、窓ガラスが割られたままの物、車体にへこみがある車などが幾つか見受けられる。
委託された作業員が転がった瓦礫を撤去する班と、破損個所を修理するために計測する者とで別れて作業している。
黒島が乗り込んだのは黒の重厚なSUV車だ。運転席から黒島が助手席を示しながらエンジンを始動させる。促されるままに助手席に乗り込むと、車は厳めしい見た目に反して静かに駐車場を発進した。
「記憶が飛んだ上に、いきなり目覚めたのが死体安置所じゃあ洒落にならねーよな。驚いただろ?」
「あ、ああ、本当にな」
あんな思いは二度と御免だ。心からそう思った。
「…さて、まずは俺の紹介の続きから行くか…俺はお前の幼馴染というか悪友で、今所属しているギルドにもお前を誘って一緒に入会したんだ。 まっ、何でも気兼ねなく聞いてくれよ」
黒島…そんな幼馴染を自分は知らない。 この人間関係もやはり、パラレルワールド故なのか?
黒島がハンドルを軽く切ると、東京の摩天楼を見上げる市街地へと出た。晴れ渡る空に聳え立つビルが太陽光を遮りながら自分達を見下ろしている。
しかし通りには自衛隊だろうか…見覚えのある日本の植生に殊にマッチする迷彩色のボディーアーマー…見た事も無い迷彩柄の《《甲冑》》を着込んだ屈強な隊員が、これまた随分とゴツいライフルを提げている。肉厚な銃身の先には大振りな銃剣まで着剣して、鋭い目を光らせて物々しく立哨する姿が目立つ。
その手の知識に明るい訳でもないが、自分がニュースやネットの動画などで見知る自衛隊員の出で立ちとは随分違う。
…いくら騒動があったとはいえ、こんな首都のど真ん中でフル装備の上、物々しく警戒していたら、その手の方々が横断幕を掲げて抗議しそうなものだが…そんな光景は今の所、見当たらない。
しかも自衛隊員の出で立ちは、現代の兵士というより中世の槍を持った騎士に見えなくもない。 そんな騎士が東京の摩天楼に見下ろされながら立哨し、周囲の殆どの店舗やビルは平常に稼働しているようだ。 やはり、パラレルワールドなのだな、と改めて思う。
(…そういえば、俺の身分証に汎用騎兵とかあったか)
先刻の疑問を思い出し、早速黒島に訊ねてみた。
「ああ、お前の《《職種》》か。そこら辺も説明し直さなきゃな。三年前に世界各地で後天的に人々に発現した一種の《《役割》》だ。職業に応じてステータス…力の強さだったり体の頑丈さだったり、そういった身体能力が本来よりも大幅に上乗せされるんだ。 お前の汎用騎兵の場合、珍しいモンじゃ無いが、文字通りオールラウンダーでオーソドックスな戦闘職だ。この世界だと早ければ十代で覚醒するのが職業だ。ちなみにステータスは戦闘経験を経て強化されるが、RPGゲームみたいにレベルって概念は無いぜ。 普通の人でも鍛えればレベルなんぞ見れなくても筋力が強くなるようなイメージだな。 まぁ詳しい話はまたリハビリの時に何でも聞いてくれ」
(なるほど、ゲームみたいなものか)
黒島はやや自慢げに続けた。
「お前はその珍しくもない職種で、特別なステータスや属性もなしにかなりの所まで上がっていった猛者なんだぜ? そりゃ、大々的にニュースになる程じゃないが、ギルド間ではちょっとした話題の人だったんだ。 …覚えてないか?」
その記憶が無いのは心から残念だった。 …自分の功績では無いと分かっているが、その武勇譚を純粋に見てみたかった。
「そうか…だが、焦る事は無い。じっくり思い出して行けばいいさ。他のメンバーに会えば何か思い出すかもしれないしな」
それから二十分ほど黒島と問答を繰り返すうち、市街地の一角で車の速度が徐行速度まで緩み、警備員が立つビルの前で車が止まった。四十代の警備員が自分達に向けて敬礼をしてからゲートが開かれた。 地下駐車場に乗り入れ、車を駐車すると黒島に連れられて降り立った。そのまま連れ立ってエレベーターに乗り込むと、階層ボタンが30まであった。その中から黒島は慣れた様子で25階を押した。
「俺達の仕事場は基本的に25階だ。それより上の階には他の部署の連中やお偉いさん、お得意の協力企業なんかが詰めている」
エレベーターが動き出すと、地上から上へと昇っていく様子が窓から見える構造になっていた。六階までは良いが、それより上の階となると、自分の元の生活とは無縁の高度であった。地上を行き交う人々が小さくなるにつれ、自分もこんな風に誰かに見下ろされていたのか、とささやかな感慨に耽った。…が、あまりの慣れない高さに足元がすくみかけ、慌てて階層表示パネルを見た。
25階。
エレベーターが小気味よいチャイムを鳴らし、穏やかな女性の声のアナウンスと共にドアが開く。
人々の話し声とコーヒーの芳醇な匂いに包まれた。エレベーターホール前には休憩スペースも併設されており、二台の飲料自販機コーナーと一台のスナック類自販機、簡易ソファが並ぶ西側と、それに対抗するわけでも無かろうが、東側に落ち着いた雰囲気のカフェテリアがあった。
「…そういや、腹は減ってるか?お前、死にかけてから三日は何も飲み食いしてないんだったな」
不思議な物で、言われてみて初めて極度の空腹と渇きを覚えた。状況がそれどころでは無い事もあったのかもしれない。
「ああ、そういや腹ペコだ。何か頼んでいいか?」
そう言って、自分のポケットを探すが、財布が入っている訳でも無い。
「金か?個人ロッカーを見てみるか…いや、鍵が掛かってるか? まぁ、とりあえずは俺が立て替えるから安心しろよ。…そうだ、お前が受け取らないままの報酬もまだ保管してあったんだ。 生き残り同士で山分けしないで正解だったよ」
笑えないジョークを飛ばされ、大淵は引きつった笑みを浮かべて応じた。
「とりあえず先に俺達の拠点に向かおう。皆にお前の顔を見せてやりたいしな」
黒島の後に続いていくと、オフィスの一角に入った。木目調の内装で、どことなく中世RPGをイメージしたように見える。
「英雄の帰還だ!」
黒島が悪戯っぽく一声発すると、オフィスの中でそれぞれ机に着いて何やら作業していた人々が一斉にフリーズした。女性が二人。他にもデスクが数席あるようだが、今はその二人しか居ないようだ。
自分達と違ってそれぞれスーツや普段着など、思い思いの私服姿である。
一人は流れる様な黒髪を長く伸ばした、ダークグレーのパンツスーツ姿。どこか険のある美人。しかし今はPCから顔を上げ、口元こそ変わらないが、目を瞬いてこちらを凝視している。
部屋の隅で何やらおもちゃを弄って遊んでいるように見える小柄な少女は、黒字に黄色のスポーツブランドロゴが印象的なジャージ姿で、工具を手にしたまま口をぽかんと開けて、やはりこちらを凝視している。どことなくタヌキを思わせる可愛らしい顔立ち。
「おっと、まだ病院の手伝いか…けど、もうすぐ帰ってくる筈…」
黒島が言いかけた所で、大淵は背後に気配を感じて振り返った。
「…」
相手と目が合う。黒のスカートのスーツ姿にやや赤みがかったボブカット。柔らかな表情は何が起こったか理解できていないようにただこちらを見つめているだけ。
彼女はふらふらと覚束ない足取りでこちらに歩んでくる。
一歩進めば互いに手を触れられるほどの距離。
震える鳶色の瞳が、薄らと潤みながらも確かに自分の瞳を捉えた。
見知った顔だった。 死ぬ前に何度も思い浮かべた顔だった。
「か、香山…さん?」
一同の視線が自分に注がれている事など気付かず、大淵はそう声を絞り出すのが精いっぱいだった。




