デジャビュ:1of3
日時は2010年7月9日22時40分。あるビジネス街近くの繁華街にて。
ビジネス街近くといっても、近くに大きな駅があるせいか、道行く人は背広姿ばかりではない。若者から初老の男性まで、様々だ。ある程度大きな街なら大概そうだろうが、この街の治安は決して良くはない。
ところで、治安が悪い場所では、人は他人の行いには無神経・無関心になるものだ。
今も、狭い路上で若い男女数十人が屯をしているが、誰もその集団には注意の目線も、煩わしさも寄せ付けない。ただの障害物として彼らをみなしている。彼らがどんな犯罪に巻き込まれようが、どんな犯罪を引き起こそうが、自分達の環境に近づかないかぎりにおいては、興味がないのだ。
一人の男性を除いては、、、
彼は、俗に言う『負け組』と『勝ち組』の間で、どちらかと言うと『勝ち組』に近いミドルの立ち位置に属していた。彼は自分のことを『70点の男』と理解していた。自分の力を十分に発揮すれば、大抵のことは人並み以上、しかし3番手以下にはできると理解していた。いや、もしかしたら、彼には秀でた何かの才能があったのかもしれない。自分で敷いてしまった『70点』のラインが、彼を今の立ち位置に束縛しているのかもしれない。そのような仮説が存在することは、彼自身気付いていたが(彼は、そのような仮説を鑑みても、自分が70点の男であると理解していたつもり。)、事実として、彼は『70点の男』だった。
彼は5年前に卒なく1.5流の大学を卒業。そして、卒なく準大手のメーカーに就職していた。彼の会社では、問題のない社員は、一律で5年目に1ランク昇格する。彼もそろそろ5年目。70点の彼も、その昇格の時期だったのだろう。今日、部長に突然飲みに誘われて、あれやこれやと面接めいたことを色々と聞かれたのも、ある種の昇格試験だったに違いない。彼自身、この会社の一連の行事の存在は、先輩から教えてもらっていたので、知っていた。
彼は、先ほどの部長との会話を回想していた。特に優れた意見を言えたわけではなかったが、とくに問題のある発言をしたようにも思えない。5年目程度の昇格だから、おそらく合格ラインには及んでいるだろうと思っていた。しかし、ふと、ひとつの質問が、ほんの少しだけ、彼の頭に残っていた。
「ところで、、、 お前は自分の特徴だと思うことは、、、 あぁ、間違えた。得意だと思うことはなんだと思う?」
形式上、適材適所を謳っている彼の会社では、人事に関する面接では、対象者は自身の考える得意分野を必ず聞かれる。それは、入社試験のときもそうであったし、彼にとっても始めて聞かれる質問ではない。
良い意味で、適当な返答をした彼だが、もし、部長が『特徴』を『得意』と修正せずに彼に問いかけていたら、彼は何と答えたか。70点の男?そのような発言はあるまじきと彼は理解していた。実際聞かれてい
たら、、、 ふと思いついた答えがあったが、おそらく一蹴されるなと苦笑した。
「意図的にデジャヴュを感じることができる、、、」
デジャヴュとは、既視感とも呼ばれる現象で、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。これは、過去のTVの映像や人の話、または類似する体験の記憶が脳に錯覚を引き起こし発生する現象で、いわば突発的におこる脳の些細な不具合のような現象だ。誰しも稀に体験することがあるはずである。
彼は、このデジャヴュを『意図的』に感じることができた。
この特技に気付いたのは、彼が大学生の頃だった。アルバイト中、後輩が掃除をしている光景をじっと眺めていたら、突然、既視感を感じた。不思議な感覚が少し快感に覚えた彼は、自身の経験が何だったのかをすぐに調べて、それがデジャビュと呼ばれることや、先述のメカニズムも理解した。
彼のアルバイトは非常にヒマな服屋で、店番をしていても、暇つぶしを探さないとならなかった。デジャビュが快感に感じた彼は、もう一度感じれないかと、何度か思いを巡らすことにした。長い暇を持て余していた彼は、その後、一日中デジャビュを感じられないかと、他の店をうろついてみたり、雑誌を開いたりしてみたが、結果は全くだった。
デジャビュのことは諦めて、翌日のレポートのことなどを考え始めていた閉店間際に、その日は非番だった店長が突然店にやってきた。「説教ジジイ」と呼ばれている店長は、非番の日は、おそらく強盗でも入らないかぎり、連絡もとれないような男だった。そんな彼が、非番の日に店に現れたのは、偶然近くを通ったからなのだろうが、アルバイト達にとっては晴天の霹靂だった。アルバイト達を見つけるなり、店長は彼らの勤務態度に難癖をつけはじめた。長い説教を聞きながら、彼はうんざりしていた。反省をしているフリをしながら、彼は日中に行っていた暇つぶしをすることにした。
さっきのように、、、 全体を、、、 感じる、、、
突然、、、カチッとパズルがはまったような感覚に襲われて。彼は、まるで以前にも店長が突然やってきて、こうして自分達を説教したような感覚を、デジャビュを感じた。それは、まるで初めて自転車に乗れた頃のような、確かめながらの途切れてしまいそうな再現だったが、たしかに感じた。驚きで表情が真剣味を帯びたのか、その後の説教はそれほど長くはなく、彼らは解放された。
後日、彼は授業中やアルバイト中、電車の中など、ことある事にデジャビュを感じた。最初の頃は、成功率は50%もなかったが、段々と確実に感じることができるようになっていった。彼はこの特技を、受験生がペンを回すように、手軽な暇つぶしのツールとして使っていた。
時は過ぎて、働き出し、日常に忙殺されていくなかで、彼はこの特技を今日まで封印していた。
彼は、片付けをしていて見つけた漫画を開くように、デジャビュを感じようとした。周りを見渡すと、若者が居酒屋の前で騒ぎながら、屯をしている。道行く人は注意することもなく、狭そうに横を通っていっている。この街ではよくある光景だ。何の根拠も理由もないが、彼はこの光景をターゲットにすることにした。
全体を、、、 感じる、、、
久しぶりだったせいか、すぐには感じることができなかった。しかし、3度か4度試みたとき、カチッとパズルがはまったような感覚を覚えた。彼にとっては「懐かしい」デジャビュだ。
久しぶりに行うデジャビュは、昔と変わらなかったが、彼は変わっていた。つまり、彼のデジャビュの捉え方が変わっていたのだ。奇妙な言い様だが、かつて感じていたデジャビュの感覚は、ただの「過去」に体験した感覚だった。
働きだして、「過去」の記憶の大半が、「想い出」になりはじめていた彼にとって、体験したことのある
「過去」を思い出すことは、すなわち「想い出」に触れることになっていた。つまり、デジャビュで、屯する若者達の光景が彼にとって、「想い出」に感じることができたのだ。
ところで、彼が想い出に触れるとき、決まって、「その後どうなったっけ?」と聞いたり、考えたりする。それは、きっと、居酒屋で話を盛り上げるときに使う、なんでもない癖のひとつなのだ。
デジャビュの特技と、なんでもない癖が、彼にひとつの疑問を抱かせた。
「この大学生達は、この後どうなるんだっけ?」
それは、とても奇妙な疑問で、いうなれば、「未来を思い出そうとした。」という言葉の矛盾が、今の彼には許された。
彼は、過去を思い出すように、しかし、今感じているデジャビュは失わないように、、、
未来を、、、 思い出した、、、
カチッとパズルがはまったような感覚がした。
彼は、信じられない光景を思い出した。それは、二人のひどく酔った若者が喧嘩を始めて、激情した一人がビール瓶を投げつける。ビール瓶はかわされてしまい、後ろに居た女性の頭部にあたり、女性は大量の出血をする。しばらく周りが騒然となった後、女性は動かなくなってしまう。その後、救急車が呼ばれるが、女性は既に亡くなっており、さきほど喧嘩していた男性が二人、大きな声で泣いている、という光景だった。それは、古い思い出のように途切れ途切れではあるが、しっかりと彼の脳裏に浮んだ。
しかし、彼はすぐに苦笑した。あの仲良さそうに騒いでいる若者が喧嘩を?ましてや一人死んでしまう?どうせ、すぐに二次会のカラオケ店でも見つけて移動するんだろう。
彼は帰宅の途中だったことを思い出した。そういえば、家に帰って作らないといけない資料があるな、、、 彼はすぐにデジャビュのことを封印し始めた。
タバコに火をつけて、殻になったタバコの箱を横にあったゴミ箱に捨てて、彼は歓楽街から抜け出て行った。
彼はこの繁華街から歩いて10分ほどの住宅街にマンションを借りている。あまり朝の目覚めに強いほうではないので、会社から近い場所を、ということで見つけた部屋だ。会社は歓楽街から歩いて10分程度なので、通勤は30分もかからない。しかし、最近ではこの30分にも満たない通勤時間も彼にとっては面倒な時間になっている。
もうすぐマンションに着くという、国道をとぼとぼ歩いているとき、彼に少し驚きを与える音が聞こえてきた。
大きなサイレンの音だ。
救急車が、他の車を脇に寄せながら、彼の今来た道を駆けていった。
治安の悪い繁華街が近いこの住宅街では、救急車は珍しいわけではないが、先刻の彼の「特技」が彼に少し胸騒ぎと好奇心を感じさせた。
10分近くかけて来た道を戻ることの面倒さと、好奇心が彼の中で天秤にかけられた。
結果は、、、好奇心が勝った。いや、もしかしたら、切れていたタバコをついでに買いたいという程度の発想だったのかもしれない。とにかく、彼は繁華街に向かった。
繁華街に入ると、彼はやはりコンビニに向かった。コンビニでタバコを買って、彼は外で一本に火をつけてから、若者が屯をしていた居酒屋に向かった。
居酒屋が見える交差点を曲がったとき、彼は驚きで、タバコを口から落とした。
居酒屋の周りに大勢の野次馬と、先刻横切った救急車が停まっていたのだ。
目を疑ったという経験は初めてだったが、まさに自分の目が信じられなかった。
彼は胸の鼓動をおさえながら、野次馬の群れに体を強引に突っ込んでいった、野次馬の群れは見た目以上に厚く、よろめきながら、やっとのことで最前列に躍り出た。
そこには、頭から血を流して倒れている女性と、大声で泣いている二人の若者が居た。