歩み寄り
翌朝、フェリシアは夜明け前に起きた。
いつもの習慣だった。
ルミナリス家でも、庭の様子を確かめるのは決まって朝一番だった。誰かに頼まれたわけではない。ただそうしないと、落ち着かなかった。
窓から外を見ると、空が白み始めていた。
庭が見えた。昨日の夕暮れに芽を出した枝が、薄い光の中でまだそこにある。夢ではなかった。
フェリシアは急いで着替えた。
庭に出ると、空気が冷たかった。
昨日の雨の名残が土に染みていて、足元が少し湿っている。フェリシアは手袋をはめ、まず昨日触れた花壇の前にしゃがんだ。
土に手を当てる。
目を閉じる。
植物魔法というのは、派手なものではない。光が出るわけでも、音がするわけでもない。ただ、指先から何かが流れ出る感覚があって、土がそれを受け取る感覚がある。それだけだ。
フェリシアにはそれが、呼吸と同じくらい自然なことだった。
しばらくして、土が変わった。
固く締まっていたものが、少しずつ解けていく。水はけが改善されて、空気が入り込んで、眠っていた何かが目を覚ます。
花壇の端から、細い緑が顔を出した。
一本。また一本。
フェリシアは立ち上がり、隣の花壇に移った。
気がつくと、二時間が経っていた。
庭師のヨハンが三人の助手を連れて現れたのは、フェリシアがちょうど中央の古い木に触れているところだった。
「奥様、もうお始めで」
「おはようございます。土を耕していただけますか、こちらの区画から」
ヨハンは庭を見回して、目を丸くした。
「……昨日と、随分違いますね」
「少し手を入れました」
昨日まで灰色だった土が、今朝は色を取り戻していた。
黒々と湿って、柔らかい。花壇のあちこちから緑が顔を出している。まだ小さい芽ばかりだが、確かに生きている。
「これは……」
ヨハンが呟いたが、フェリシアはすでに次の場所に移っていた。
屋敷の中では、ギルバートが朝食を終えたところだった。
「公爵様、奥様は夜明けから庭に出ておられます」
ホレスが報告した。
ギルバートはカップを置いた。
「……夜明けから」
「はい。庭師たちより早くいらっしゃいました」
ギルバートは立ち上がり、窓の方へ歩いた。
庭が見えた。
フェリシアが、花壇の間を歩いている。
手袋をはめた手で土に触れながら、時折しゃがんで、また立ち上がる。
庭師たちがその後ろで土を耕している。
ギルバートは窓枠に手をついた。
昨日と、庭の色が違った。
確かに違った。
「……何も言わなくていい」
ギルバートはホレスの方を向かずに言った。
「はい」
ホレスは口元に手を当てて、静かに下がった。
昼になり、フェリシアが屋敷に戻ってきた。
手袋は土だらけで、ドレスの裾も汚れていた。頬に土がついているのを、本人は気づいていない。
「奥様、お昼の用意が」
「ありがとうございます。少し手を洗ってきます」
フェリシアが廊下を歩いていると、角でギルバートと鉢合わせした。
二人は向き合った。
ギルバートの視線が、フェリシアの頬に止まった。
「……顔に、ついている」
「え」
「土が」
フェリシアは慌てて頬に触れた。指先に土がついた。
「す、すみません、気づかなくて」
「……いい」
ギルバートはそれだけ言って、廊下を歩き始めた。
二歩進んで、止まった。
振り返らずに、言った。
「……昼食は、一緒に食べろ」
フェリシアは少し驚いたが、頷いた。
「はい」




