アルヴィンの来訪
アルヴィン・ローゼンタールが公爵邸を訪れたのは、フェリシアが来て三週間ほど経った頃だった。
馬車が門をくぐるのを庭から見て、フェリシアは手袋を外した。客人の顔が見えた瞬間、あの夜会の庭を思い出した。
「フェリシア嬢、久しぶりですね」
アルヴィンは馬車を下りながら、気さくに声をかけてきた。フェリシアが「ローゼンタール様」と頭を下げると、「アルヴィンで構いません、これから義兄妹になるわけですし」と笑った。
義兄妹、という言葉に、フェリシアは少し面食らった。
「ギルバートは?」
「書斎に」
「相変わらずだ。フェリシア嬢、少し時間をいただけますか。あいつが案内しないのは目に見えているので、俺が屋敷を案内しましょう」
アルヴィンの案内は、屋敷の案内というより、ギルバートの解説だった。
「まずあいつがどれだけ口下手か、もう体感されていると思いますが」
「……はい、少し」
「少し、なんて言葉で済むうちが花ですよ。俺が初めて会ったとき、三回挨拶して三回とも無視されました。四回目にようやく頷いた」
「それは」
「でも悪意はないんです。本当に、言葉が出てこない。考えていることはあるのに、口に出す前に全部詰まる。俺はもう慣れましたが、最初は難儀しました」
フェリシアは廊下を歩きながら、頷いた。
「クッキーを、作ってくださいました」
アルヴィンが立ち止まった。
「クッキー」
「はい。花の模様の」
アルヴィンはしばらく黙ってから、吹き出した。笑い声を抑えようとして、抑えきれていない。
「失礼しました。いや、あいつがクッキーを……それは、相当ですよ」
「相当、とは」
「あいつが人に何かを作って渡すなんて、俺も見たことがない。よほど、どうにかしたかったんでしょう」
どうにかしたかった、という言葉の意味を、フェリシアはうまく飲み込めなかった。
ギルバートについて話しながら、アルヴィンはまるで我が家のように図書室や、歴代の当主たちが残した趣味の部屋などをおもしろおかしく案内した。
応接室に移ると、ギルバートが待っていた。
腕を組んで椅子に座っており、アルヴィンが入ってきても特に表情を変えなかった。
「久しぶりだな、ギルバート」
「……ああ」
「元気そうで何より。庭が随分変わったな、門から見えた」
「……ああ」
アルヴィンはフェリシアに目配せして、「ほら」という顔をした。フェリシアは思わず笑いそうになって、口元に手を当てた。
ギルバートがそれを見た。
何も言わなかったが、その目が微かに柔らかくなった。
「せっかくだから三人で話しましょう。ギルバートは相槌を打ってくれれば十分なので」
「……俺がいる意味は」
「いるだけで十分です」
ギルバートは何も言わなかった。それが了承の意味だと、フェリシアにはもうわかっていた。
お茶が運ばれてきて、アルヴィンが話し始めた。
最初は近況や社交界の話だったが、やがてアルヴィンは少し声のトーンを変えた。
「フェリシア嬢、いくつか話しておきたいことがあります。ギルバートが自分で話せれば一番いいのですが」
ギルバートが小さく咳払いをした。
アルヴィンは気にせず続けた。
「まず、結婚のことです。籍を入れるのが異例に早かったことは、もちろん気づかれてますよね」
「はい。正式な式もまだですし、少し急いでいるとは思いました」
「急いだのは、あなたをできるだけ早くルミナリス家から出したかったからです」
フェリシアは少し、驚いた。
「夜会でお会いしたとき、俺はあなたのことをカサンドラ嬢のお付きとして見ていました。でも庭でギルバートと話していたあなたを見て、少し気になった。それで、少し調べました」
「調べた、とは」
「ルミナリス家でのあなたの立場を。……随分と、ひどいものでしたね」
フェリシアは答えなかった。
アルヴィンは続けた。
「ギルバートから縁談を申し入れようという話になったとき、俺は一日でも早くと言いました。あの家にいる時間が長くなることは、あなたにとって良いことが何もない」
フェリシアはテーブルの上の手を、そっと握った。
「ギルバートも同意見でした」
横に視線を向けると、ギルバートは腕を組んだまま、窓の外を向いていた。
「……早い方が良かった」
低い声で、それだけ言った。
フェリシアはギルバートの横顔を見た。
「ありがとうございます」と言うと、ギルバートは窓の外を向いたまま、耳を赤くした。
「それから」
アルヴィンは紅茶のカップを置いた。
「正式な結婚式の話です。一年後に、盛大にやろうと準備が進んでいます」
フェリシアは瞬いた。
「一年後に」
「ギルバートが言い出したことです。せっかくやるなら、あなたが一番きれいに見える式にしたい、と」
フェリシアはギルバートを見た。
ギルバートはアルヴィンを睨んでいた。
「……余計なことを言うな」
「事実でしょう。花の咲き誇る季節にやりたい、とも言っていましたよ」
「アルヴィン」
「庭が一番きれいになる頃を見計らっている、とも」
「アルヴィン」
ギルバートの声が低くなった。アルヴィンはようやく口を閉じ、無実を主張するように両手を上げた。
フェリシアはギルバートを見た。
ギルバートは視線を逸らした。耳だけでなく、頬まで赤い。
「……庭が、整ってからの方がいいと思っただけだ」
「はい」
「……花が咲き揃う季節の方が」
「はい」
「……それだけだ」
「とても、嬉しいです」
ギルバートがフェリシアを見た。
フェリシアはまっすぐ返した。
ギルバートはまた視線を逸らした。今度はアルヴィンの方へ。
「……お前は帰れ」
「まだお茶も飲み終えていませんよ」
しばらくして、アルヴィンが話題を変えた。
「庭のことを聞いてもいいですか、フェリシア嬢。あなたが来る前と、随分変わりました」
「はい。土が固くなっていましたが、根が生きているものが多かったので」
「ギルバートから聞いていましたか。なぜこれほど荒れたか」
フェリシアは首を振った。
「詳しくは」
アルヴィンはギルバートを見た。
ギルバートは腕を組んだまま、黙っていた。
「話しますよ、俺が」
ギルバートは答えなかった。それが許可だった。




