表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雑草と呼ばれた令嬢は、氷の公爵の庭を咲かせる  作者: もちもちほっぺ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/19

崩壊のきざし

「奥様、今朝のカモミールが咲きました」


ヨハンが教えてくれた朝、フェリシアはギルバートを呼びに行った。


書斎の扉を叩いて、「少しよろしいですか」と言った。

ギルバートは書類から顔を上げ、フェリシアを見た。


「庭に、花が咲きました。よろしければ」


ギルバートは何も言わずに立ち上がった。上着も羽織らずに、そのままついてきた。

庭に出て、白いカモミールを見た。


「……小さいな」


「でも丈夫です。これからどんどん増えます」


「……そうか」


ギルバートはしばらく、花を見ていた。

それだけだった。それだけのことだったのに、フェリシアは胸の中が静かに温かくなるのを感じた。

(ここでは、喜んでもらえる)


その日の夜、宝石の箱がまたテーブルに置いてあった。

フェリシアは箱を開けた。


小さな白い花の形をした、パールのブローチだった。


フェリシアはしばらく、それを見ていた。

カモミールに、似ていた。





そんなある日の午後、ホレスがフェリシアに声をかけた。


「奥様、ルミナリス家からの使者が参っております」


フェリシアは手の土を払った。


「ルミナリス家から」


「はい。伯爵様からとのことで」


フェリシアは手袋を外した。

父から、使者。一ヶ月、何も連絡がなかった。それが突然。

何かあったのだろうとは思った。でも、どんな用件かは、聞かなくてもわかる気がした。




屋敷に入ると、応接室に中年の男が待っていた。ルミナリス家の家令だった。

フェリシアが入ると、男は深々と頭を下げた。


その顔が、青かった。


「フェリシア様、このたびは突然のご連絡をお許しください。実は、ルミナリス領で少々困ったことが起きておりまして」


「困ったこと」


「は、はい。その……領地の作物が、少し、その」


男は言葉を選んでいた。


「……枯れているのですか」


男が顔を上げた。


「ご存知でしたか」


「いいえ」


フェリシアはただ、そうだろうと思っただけだった。

男は俯いた。


「フェリシア様がいらっしゃった頃は、何事もなかったのですが。先月あたりから急に、畑の作物が育たなくなって。庭の花も、どんどん枯れていって。領地の者たちも困惑しておりまして」


「そうですか」


「それで伯爵様が、フェリシア様にご相談できればと……」


フェリシアは少しの間、黙っていた。

一ヶ月前のことを思った。


嵐の中を歩いたこと。馬車を出してもらえなかったこと。父が書類から目を上げなかったこと。


「ご相談、というのは」


「できれば、一度領地にお戻りいただいて」


「戻る、というのは」


男は顔を上げられなかった。


フェリシアは静かに言った。


「私は今、公爵邸におります。ここが私の家です」


「は……しかし」


「伯爵にそうお伝えください」


男は口を開いたが、言葉が出なかった。

そのとき、応接室の扉が開いた。


ギルバートだった。


上着を着て、真っすぐに立っている。その目が使者の男に向いた途端、男の顔がさらに青くなった。


「……用件は終わったか」


ギルバートはフェリシアに向けて、静かに言った。


「はい」


「そうか」


ギルバートは使者の男を一瞥した。


「帰れ」


それだけだった。

男は震えながら頭を下げ、足早に部屋を出た。

応接室に、二人が残された。

フェリシアはギルバートを見た。


「……聞いていらしたのですか」


「……たまたま通りかかった」


フェリシアは少し考えてから、頷いた。


「そうですか」


「……嫌だったか」


「何がですか」


「……断るのが」


フェリシアは首を振った。


「いいえ」


それは本当のことだった。

戻りたい、とは思わなかった。一度も、思わなかった。


「ここが、今の私の家ですから」


ギルバートは何も言わなかった。

ただ、フェリシアから視線を逸らした。

耳が、赤かった。





その夜、フェリシアはカモミールのお茶を淹れた。

庭で摘んだものを乾かしておいたものだ。少し蜂蜜を入れると、ほんのり甘くて飲みやすくなる。

ギルバートの書斎の扉を叩いた。


「公爵様、よろしければ」


扉が開いた。ギルバートが顔を出した。

フェリシアはカップを差し出した。


「庭のカモミールで作りました。眠りが良くなると言われています」


ギルバートはカップを受け取った。


「……ありがとう」


それは珍しい言葉だった。フェリシアはギルバートが「ありがとう」と言うのを、あまり聞いたことがなかった。


「おやすみなさいませ、公爵様」


フェリシアが踵を返しかけたとき、ギルバートが言った。


「……フェリシア」


名前を呼ばれた。


「はい」


「……今日は、よく眠れ」


フェリシアは一瞬、動きを止めた。

それからゆっくりと、微笑んだ。


「公爵様も」


廊下に出て、扉が閉まってから、フェリシアは少しだけ立ち止まった。


胸の中が、じんわりと温かかった。

ルミナリス家からの使者のことは、もう遠いことのように感じた。


あちらが枯れていくなら、それはフェリシアには、どうにもできないことだった。

フェリシアが育てられるのは、根が生きているものだけだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ