ヤツザキの魔女と炎の騎士⑤ Dive in Dreamland
【urban fantasy】
The Witch of Yatsuzaki and the Knight of Flame
いよいよ、小崎さおりが捕らわれている本の世界にダイブする。
アルカは、銀色の葉を取り出した。
「マグワート。夢見草――いくつか種類があるが、今回はアルテミシアを使う」
「夢?」
「ああ。精神を肉体から解き放ち、異界へ送る草だ」
アルカは葉を焚く。
甘く、少し苦い香りが立ち上る。
「これを吸えば、あなたの意識は本の世界へ――」
「行ける、のか」
「ああ。ただし――」
アルカは、レイを見て薄く笑う。
「肉体はここに残る。戻ってこられなければ、あなたは二度と目覚めない。まあ寂しがるな、私も共に行ってやる。戻れぬ時も、二人一緒だ。互いに自分を知るものが一人もおらぬのと、一人いるのとでは、孤独の深度は違うだろう。なんなら夜も退屈しない――むぎゅ」
今日何度目だろうか。
アルカの口にレイが掌を押し付けて軽口を止める。
「では、根津先輩、もしもの時は――」
「ああ、他に助っ人のアテもないわけでもないし、なんとかするよ。でも、できるだけ自力で戻ってねん」
手をひらひらさせて、笑う。
アルカがハーブを手に持ち、唱える。
Artemisia, artemisia,
Moonlit herb of silver sheen,
Open now the dreaming door,
Let the spirit wander free,
Through the pages, through the worlds,
Guide them safely back to me.
アルテミシア、アルテミシア
月光の銀の草よ
いま夢見る扉を開け
精神を自由に遊ばせよ
ページを越え、世界を越え
無事に私のもとへ導け
レモンにミントを混ぜたような、微かにスパイシーな香りが部屋に満ちる。
意識が、遠のく――。
◇◇
気付けば、深い森の入り口にいた。
空は満月。
ヨーロッパの、まだ魔物が住むと言われた頃の、原初的な森林。
人の手が入らぬ、禁断の異世界。
「愚かものは、自然はいいなあ、などというが――」
ふわり、とアルカが舞い降りる。
「それは、人が飼い慣らした自然であって、元来の山や森は、人に優しくないものだ」
森を背にした魔女は、妖艶で、少し饒舌だった。
「服とかは、着ていたまんまなんだな」
つまり、イメージだということなのだろう。
本の中という異次元ではなく、人が本の中であると認識している、他者と共有可能な精神世界。
「物語の舞台は、子供達が遊んでいた森だ。という事は、奥じゃない。探そう」
「もう、見つけたよ。あそこだ」
魔女が指差す先。
森の通り道。
脇の高い――といっても、幼児でなければ手が届く高さの――木の枝に引っかかっている、少女の人形。
その木の下で、泣いている女の子。
小崎さおりだろう。
「急ごう。ひょろ長の幽霊と、妖魔の小人がやってきてしまう」
それらはあるいは、酔っ払いか、野盗か。
泣いている少女を助けないのが定番の、冷たくて残酷なアンデルセンの描く人間たちの象徴なのかもしれない。
少女の元へ走り寄る。
「さおりちゃん! 小崎さおりちゃんだね?」
応えはない。
少女はただ泣くだけだ。
レイは、手を伸ばし、枝の人形を取った。
少し汚れているが、確かに童話の少女が喜んで持ち歩くのもわかる、かわいらしい人形だった。
「はい。もう大丈夫だよ」
レイは人形を少女に手渡した。
これで、さおりが微笑んでくれたらという期待は、しかし甘かった。
さおりは人形を受け取り、抱きしめ、そしてまた泣き出した。
断片的な言葉が、嗚咽に混じる。
「ごめんね。ごめんね、ゆうかちゃん」
そう聞こえた。
レイは、泣いているさおりの前に跪いて、彼女を見上げ、視線を合わせた。
チラリ。
少女が一瞬、レイを見た。
目が合ったのを確認すると、そのまま少女を胸に抱き寄せ「大丈夫だよ」と優しく囁く。
「そのお人形は、ゆうかちゃんって言うんだね?」
「うん。私は罰を受けないといけないの」
「どうして? お兄さんに聞かせてくれるかい?」
さおりは上目遣いで、泣きながらレイを見た。
レイは、少女を、抱きしめたまま、頭を撫でる。
横でアルカがニヤニヤしている気配があったが、それは無視した。
「ゆうかちゃんはお友達の名前だね。同じ学校の?」
「ゆうかちゃんは同じマンションの子なの。ゆうかちゃんは、ばかなの。お勉強はできないし、意地悪されてもニコニコ笑うだけだし、邪魔だって言うのに、いつもついてくるの」
「ゆうかちゃんは、さおりちゃんが大好きなんだね? さおりちゃんは、ゆうかちゃんが嫌いだったの?」
さおりはようやく、感情を吐き出した。
「わかんない。でも、嫌いだったのかも。ゆうかちゃんは、ゆうかちゃんのママに、すごく可愛がられてるの。テストで私より悪い点を取っても、頑張ったからってケーキを買ってもらってるの。私が新しい服を着ていくと、次の日には同じものを買ってもらってるの。私が家で一人でお弁当温めて食べてる時、家族でご飯食べに行ってるって、メールしてくるの。なんでも持ってるの。なんでも、私の欲しいもの、なんでも。ばかのくせに。なんにもできないくせに――」
なんでも、ではないだろう。
きっと、さおりが羨んだものはただ一つ――家族の愛。
それだけだったはずだ。
「それで、喧嘩しちゃったのかな?」
さおりは首を振った。
「後ろから、わっ! て脅かしてやったの。そしたら転んで、私は指差して笑ったの。でも、足の骨にヒビが入って――」
「ゆうかちゃん、許してくれなかった?」
「違うの。ゆうかちゃん、笑ってるの。ゆうかバカでドジだから、さおりちゃんに迷惑かけてごめん、て笑ってるの」
「ああ――」
いつの間にか、またアルカが横にいる。
「これはキツイな。被害者に謝られたのでは、心の豊かさの違いを思い知らされたな――まあその、ゆうかって子も、もしかしたら誰かのように自己肯定感が低いとか、何か問題があるのかもしれないけれど」
下等な人間の心理など興味無いと言っている癖に、なかなか鋭い。
しかし――。
「俺はそうは思わない。アルカ、もう幽霊が来ている。抑えておいてくれないか」
道の先を指差すと、さおりの概念も混じっているのか、巨大な、さおり自身の顔をしたグロテスクな幽霊が、迫っていた。
「仕方ないな。小人の方はなんとかしてね、レイ『くん』」
「さおりちゃん?」
「私は罰を受けないといけないの」
「違うだろう? さおりちゃんは、罰を受けたいんだろう?」
「え」
「ゆうかちゃんは、笑って許してくれた。大人たちも、許してくれたんだよね。だから余計に自分が嫌いになって――罰して、消して、違う自分になりたいんだ。今のイヤな自分を生まれ変わらせたいんだ」
「なんで、そんな事がわかるの? お兄さん誰。王子様?」
「僕もね、さおりちゃんと同じだったから、わかるのさ。でも、さおりちゃんはまだ大丈夫だ。さおりちゃんは醜くも、汚くも、悪くもない。罰を受ける必要なんか、ないんだよ。本当に悪くて汚い人間は、最初からそんな風に自分を責めたりしないんだ。さおりちゃんは、今でも優しい、素敵な女の子だ」
さおりが、初めて泣き止み、顔を赤らめレイを見る。
レイはまた、その頭を撫でながら、立ち上がる。
見れば、道の先でアルカが伸縮ペンを縦にブンブン振り回している。
「ヤツザキコウリン」
うむ、あちらは任せて良さそうだ。
「さおりちゃん、あとで、ゆうかちゃんにもう一度ちゃんと謝る方法と、さおりちゃんのママに、もっとさおりちゃんと一緒にいるように頼んであげる。だから、帰ろう? 幽霊や魔物を倒して、帰ろう。いいね?」
ほてった顔で、頷く小崎さおり。
「やっぱり王子様?」
「違うさ。でもそうだな、さおり姫を迎えに来た騎士、かな。今だけは」
ウィンク。
不思議だ。
このかりそめの、悪魔の作った世界の方が、表情が出せる。
左側から、小人の魔物たちが迫っていた。
レイは向き直り、九字を切る。
「臨 兵 闘 者 皆!」
五文字行けた。
レイの指の軌跡のまま、炎が走り、魔物達は切り刻まれ、燃え尽きた。
「あれ、小人も幽霊も倒したのに、戻れない」
首を傾げるレイを、幽霊を倒して戻ってきたアルカが促す。
「話を聞いて思った。その童話の中で一番悪質なヤツ。中立ぶって、博識ぶって、画家に33日にもわたって、人を呪う物語を吹き込んでいたヤツ」
アルカとレイが、同時に天を仰ぐ。
そこに、本当の悪魔がいた。
「月」
「――今回は、吹き飛ばしちゃだめだとは言わないな?」
「ああ、やってくれ、魔女」
そして――。




