竜と英雄と姫ーー或いは悪魔としての竜③
「亜瑠花ちゃん、やっぱり最高ね」
モニター室で、くすくす笑いながら、カメラにポーズをとる亜瑠花を見ていたスーツの女性、神木麗子。
レイの若い母親。
38歳にして二十代にしか見えない、雛人形のような白い顔の女が、周りの警備員達に指示を出す。
「D地区へのセキュリティは全部切っていいわ。あの子達が来た時には驚いたけど、竜を殺すなら確かに玲ちゃんが適任だものねーーでも」
静かな微笑みの奥で、瞳は物騒な光を湛えていた。
「優士くん、食えない男ね。また私と敵対するのを避けたーーと言えば可愛げがあるけれど」
スン、と狭い室内に椿の清浄な香りが漂う。
「もし玲ちゃんに何かあったら、永久に禁煙してもらいますからね?」
「か、神木室長。彼らがD地区に入ってからの私たちの行動は」
警備員のリーダーらしき男が、チラチラと麗子の隠しきれない完璧な肢体に目をやりながら、おどおどと尋ねる。
「うーん、そうね」
こめかみに白魚のような指を当て、しばし考えてから「帰って寝ていいわーー家族サービスしなさいな」と麗子は微笑んだ。
(後の最低限の事は、式神にやらせるから)
モニターを見る。
小さな、小指の先ほどのカエルが、亜瑠花のリュックに張り付くのを、確認した。
(まあ、このくらいで死ぬなら諦めて、もう一人作りましょ)
最後の言葉は、口の中にとどめた。
神木麗子ーー株式会社神木メンテナンス、宮内庁御用達の広域セキュリティ事業の副社長。
D地区管理室、室長は、ふわ、と口に手を当てて、小さく上品に欠伸をした。
◇◇
下り階段を、延々とゆく。
いつしかコンクリートの打ち壁は岩肌に変わり、ひんやりとした空気が漂う洞窟の様相となった。
レイも亜瑠花も、緊張した気配で喋らない。
一人アルカは、舌打ちをする。
(境界の切り替わるポイントに気付かなかったーーまるで誘い込まれたようで、気に食わん)
不注意で不愉快だったのは、新堂優士の事を考えていたからだった。
あの「アルラウネ」で誘われ、十年経ったら出直してこい、と袖にした直後。
(あいつは、この私に心話をしてきたーー最初にウェールズの赤き竜だのベオウルフだの言ってきたのは、かま掛けだった)
(あいつは言ったーー僕の下へ来て、僕のものになれーーそうすれば、お前の望む二つの物を与えてやる。レイを助けた上、レイから巻き上げた心臓をお前にやる、と。安く見られたーー侮辱された。そんな程度の女だと、だが、奴はーー痛い所を突いた)
握りしめたペンが、怒りに任せたチカラでポキンと折れた。
「おい、アルカ? 大丈夫かーー何かあったのか」
「うるさい。予備をよこせーーいや、やはりいい。小娘。杖だ。もう偽装も必要なかろう。そのコンウォールの杖を出せ」
一時は危うく「燃えないゴミ」に出されかけた、由緒正しい月光の杖は、竹刀ケースを改造した袋に入れて、亜瑠花に持たせていた。
普段は職質を恐れて持ち歩かず伸縮ペンで代用しているが、今回は地下迷宮攻略と言う事で、無理して持ち込んだのだった。
もちろん、亜瑠花という「荷物持ち」が同行したからというのもあった。
魔女自身の魔力を一段上に高める、との事だが肝心のアルカ自身の魔力の大半はレイに吸われたままなので、どれほどの力が発揮できるかは未知数だった。
「ほら。いとしいしとー!とか言って抱きつきなさいよ」
亜瑠花が相変わらずよくわからない事を言いながら、差し出すそれを握ると、一瞬青白い雷光が弾けたような輝きがあった。
かすかだがアルカの唇の赤みが増し、髪の黒さが増したような気がして、レイはその顔を凝視した。
紅玉の瞳はいまや爛々と輝き、口角を僅かに上げた、挑発的で妖艶な、もう無表情でも亜瑠花と瓜二つでもない、出会った頃の魔女の顔がそこにあった。
その時と同じ、没薬の匂いが立ち上る。
これはーーやはり街中で杖を持たせたら職質必至だなと、レイは思った。
(やはり、亜瑠花とアルカはーー顔のパーツは同じなのかも知れないが、全然似ているように俺には思えない)
一方の亜瑠花は、ケースを丸めてしまい込んだことにより、自由になった手にハベトロットのウィッチズ・ノットの糸の守りを握りしめ、守りのストールを撒き直していた。
微かなカモミールの香りが立ち上る。その横顔は白く、一瞬だが「聖女」瑠璃川エリカの顔と重なって見え、レイは首を振ってその幻像を振り払った。
(そういうのは、亜瑠花にもエリカにも失礼だーークズの最低男でも、そのくらいはもうわかる)
魔女と同じ顔をしている少女が寧ろ聖女に似て見えるとは、相貌失認レベルだな、俺はーーそれこそ、表情が作れれば苦笑するべきところだーーレイの自嘲。
魔女は杖を握りしめ、軽く振るう。
うんーーこれだ。
アルカは満足気に頷き、歩きだす。
チラリーーと横をーーレイの顔を見る。
決して口には出せぬ、その男への問いーー。
(なあ、レイ。お前は、お前はさーー心臓の呪いが解けて、人間として普通に生きられるとしたらーー私がいなくなっても大丈夫か? お前は、私のいない人生をーー当然選ぶ。迷わずに。そうだろう?)
ふん、ばかばかしいーー新堂の奴にペースを狂わされっぱなしだ。
魔女はかぶりを振って、闇の迷宮を睨み、見据えた。
◇◇
新堂優士への調査報告レポート(提出用)
記載者 神木玲也
竜についての考察①
確認事項 魔女アルカ(真名不詳につき仮名)による既存知識の確認。
⚪︎ドラゴンには幾多な種類があるが、大分すると概ね二種となる。
一、神より古いドラゴン。遥か深海や、天山山脈の奥地のような人跡未踏の地に存在する原初のドラゴン。
二、神以降のドラゴン。古きものはアジ・ダカーハやティアマトなどと呼ばれ、強大ではあるが、一神教の発達により多くは零落し、聖者や天使に倒される矮小な存在になっていった。キリスト教においては「蛇」と同義であり、サタンが代表的なドラゴンといえる。
なお、本来多頭であったり、多種多様な姿であった、ドラゴンが現在の巨体を持つ恐竜の様な姿で描かれているのは、「恐竜の化石」こそがドラゴンの姿だと思われたからである可能性が高い。
また、アルカによれば、太古の恐竜には悠久の歴史があり、もしその生物に「魂」があるならば、霊格の高い「龍神」と化したものがいたとしてもおかしくはないーーとの事である。
「ふう。あ、亜瑠花、灯りをありがとう。こんなのをあと何枚書かないとならないのかーー新堂、これが嫌でこの依頼を振ったんだろうな、間違いなく」
横でアルカが「ハハッ」と、乾いた笑い声をあげた。
「まあ、迷宮に住むのは、迷宮に隠れ棲まないとならない弱いドラゴンだ。さっさと探して退治してから続きを書こう」




