仮面と人形・序
「なあ玲也くん、きみが望むならーーその心臓を、僕が引き受けても構わないよ」
昼でも薄暗い店の片隅で新堂優士は囁いた。
ここはバーAlraune。
中華街のほど近く、元町の外れにある小さな店。
高級住宅街と古いショッピングモール、そしてドヤ街の合流する「境目」にある、マオ・ゼードンがオーナーをしている店の一つ。
営業は夜からだが、昼は新堂優士が好きに出入りしている。
雪山の事件の直後、マオへの報告と報酬の受け取りに来たレイ達は、帰路に新堂に「心臓の件で」話があると誘われ、ここに来た。
「僕ならたぶん、悪魔の力でも使役できるーーそちらの魔女くんが看破した通り、たぶん血筋の問題だ」
レイは新堂の方を見もせずに、遇らう。
「小学生の頃に言われたなら、一も二もなくお受けした提案ですがねーー生憎、今は間に合ってます。すぐに死ぬ気もない」
新堂は仏蘭西煙草を深く吸いこみ、中空を見上げて、ふう、と煙を吐き出した。
「でも、きみ。あと何年生きるつもりだね?ーーその様子だと、よくてあと十年くらいだろう」
ガラン。
レイは手にしたグラスを倒してしまう。
幸い、中身はもう氷だけだった。
「なんだってーー」
「何言ってますかね!いくらイケメンでも頭おかしい人は関わらないで欲しいです!というか、取り消してーー」
レイが確認するよりも、亜瑠花の方が激烈に反応して、詰め寄った。
「だいたいーーむぐ」
食ってかかるその口に、優士は「お通し」用を拝借して摘んでいたキスチョコを放り込む。
「あ、甘い。ーーじゃなふて、あにするんでふかー!」
眼前でじたばたする亜瑠花の顔を、指先でそっと押し戻し、優士は口元だけで微かに笑う。
「女の子は淑やかであるべきだ」
そして、亜瑠花の後ろで腕組みをして、自分を睨んでいる魔女に目を向けた。
「君のようにねーー彼が死ぬのを待っていたのならば、すまない。だがあの心臓は君には扱えないよ? まあ、望むならーー仕える相手を亡くした君を僕の護衛として雇うのは、やぶさかではないが」
アルカは無言だ。
しかし、無表情ではなかった。紅いルビーの目が新堂優士の黒い目を睨む。
「まるで人を死にかけの患者みたいに、好き勝手いわないで下さいね」
間に割って入るレイ。
青い人形の瞳と、黒曜石の仮面の瞳が正面から互いをとらえた。
「あなたに心臓を渡すと、俺はどうなります?」
「そりゃ、死ぬだろうねーー人間として」
グラスの酒をクィッと飲みながら、事も無げに言う優士。
「まだ言いますかね、この黒い人」
亜瑠花が先程のお返しとばかりに、胸元ーーにはしこめなかった、ポケットの「赤い糸の十字枝」をぶつけるーー最近は、この枝はすっかり亜瑠花の手裏剣と化していた。
「剣呑剣呑ーー不恰好だが、ちゃんと当たると痛い。では、お嬢さんに祓われる前に、話を進めよう」
優士は枝を拾って、亜瑠花の手に「ほら」と乗せてやる。
人のいい亜瑠花も「あ、どうも」と軽く頭を下げて受け取る。
「ーーなにも僕は君に死ねと言っているわけではない。君の心臓から悪魔の魂を抜き出して、僕が保管する。君は普通の人間として、そうだなーー80歳くらいまで、普通に生きて普通に死ね。そら、そこのお嬢さん辺りと一緒に、平凡に暮らしたまえよ」
「なんですかこのイケメンさん、すみませんいい人だったんですね。レイくん、この人にパッパッと渡して帰りましょう」
「いい人なもんかーーアホ娘」
「アルカ」
レイが振り向く。アルカと目が合う。
その紅い瞳は、いつになく憤怒の光を湛えているように、レイには見えた。
「口車に乗るなよレイ『くん』。わかっていると思うがーー凡人になったお前でも契約上、私は守る。しかし、守りきれまいよ。共に地獄行きだ」
レイは、小さく「そうか」と答えた。
最初から、新堂の話に乗る気などはなかった。
亜瑠花は、三人の顔を見比べながら「え、え、どう言う事?」とあたふたしている。
目を伏せて、ウィスキーを飲みながら目を細めてアルカを見る優士。
「なかなか、情が深くていい女じゃないかーーいっそ、本当に僕と一緒に来ないかい?」
アルカは、つかつかと優士の前に進み出て、一枚のハーブを取り出す。
「ほう、ハシバミか」
「うん、ハシバミだーーレイ、小娘、よっく見ておけ」
「Hazel, hazel, shake and shiver,
Show me where my foes now linger
はしばみ はしばみ ゆれて震えて
敵のいどころ こっそり教えて 」
クリーミーなナッツのような香りが店内に満ちる。
呪文が唱えられた。レイと亜瑠花は、緊張の面持ち。
優士は、また煙草に火をつけた。
薄暗い店のなかが、一瞬アルカの魔法で輝きに満ちるーー輝かせる魔法ではなく「敵」の居場所を輝きで知らせる魔法なのだがーーしかし。
新堂優士の周囲に浮かび上がる無数の光。
怪異、怨霊、死霊、妖怪、悪鬼、悪魔ーーそうした者たち。
全て、優士を恨めしげに睨み、あるものはスキあらばおそいかかろうとし、またあるものはブツブツと呪詛の言葉を優士に吐きかけ、別のものは狂ったように優士を指差してケタケタと笑う。
「ひっ」
亜瑠花が涙目になる。
新堂優士は、面倒そうに言い訳をする。
「今は少し、数が多いんだ。護衛がまだリタイア中で結界を張る奴がいないからね」
「なぜ自分で祓わないんですか」
呆れたような、微かな怒りをふくんだレイの声。
「ある程度溜まったら掃除しているさーーこの吸い殻入れと同じだーー」
優士は吸殻でいっぱいになった灰皿をカウンターに戻し、新しいものを一つ手元に置いた。
(結局自分では捨てないんじゃないか)
レイは怯える亜瑠花の頭を、大丈夫大丈夫とポンポンと軽く叩き、撫でてやりながら新堂を見据える。
「どれだけの数の「バイト」をすれば闇の住人達にここまで恨まれるのかはわからないがーーレイ、見たか? こいつらがこの仮面男を襲わないのは、勝てないからだ。力無き退魔師だったら、たちまち襲われて、食い尽くされる」
アルカはレイを指差す。
レイは唾を飲み込む。
「あなたも同じ。数々の怪異を退治てきたろう?心臓の力を失いーー凡人になれば、あなたを待つ運命は、」
「まあ、食い尽くされると決まったわけではないけれどね」
優士はまた、タバコを燻らせた。
「ふん」
アルカが口を押さえて文句を言う。
「その臭いフランスの煙草は最高にセンスが悪いな」
「扇子を持って踊る女のパッケージがイカすじゃないかーーちなみにその女性は僕の祖先がモデルなのだそうだ」
そう言いながら、懐から金箔の扇子を取り出して、軽く煽ぎーーレイに向き直る。
「生き延びる為の手伝いくらいはしてやるーーどうだ話くらいは聞く気になったかーーなに、まずは簡単な依頼を一つ、僕の代わりにこなしてくれ。今度の護衛はまだ訓練中なものでね」
「依頼ーー?」
「ああ、そうしたら心臓の呪いを解くヒントを一つ教えてやるーー大した依頼じゃない」
シュッ!
マッチを擦り、煙草に火を灯す。
煙を吐きながら、優士は続けた。
「東京の地下で、竜を一匹、調べ、殺してきて欲しいだけだーーそこで君は自分の本当の正体と向き合う事になる」




