雪の中にいる③
「あ、面白い事に気が付いたーー人形だの無表情だのいうけれど、寒い時はちゃんと寒い顔はするのだなーーいっそずっと体に針でも刺して痛がっていれば、もう誰も無表情などとは言わないのではないか」
白い息を吐きながら、アルカはレイを揶揄する。
「馬鹿魔女に教えてあげる」
ダウジングロッドをすり合わせながら、亜瑠花が得意気にいう。
「今のレイくんの表情は、ただ寒がっているんじゃありませーん!俺は耐えられるがーー柚木亜瑠花は大丈夫かな?と心配している顔でーす。ね、レイくん当たりでしょ」
レイは実際の所はアルカと亜瑠花の両方を案じていたのだが、さすがにそこは多少、言わない方がいいと分かる程度には学習していた。
「ああ、よくわかったな亜瑠花」
「ふっふーん。昔からレイくんの表情は私にはわかるんだよ。そこの魔女は、一瞬に暮らしてる癖にわからないみたいだけどね?」
亜瑠花の挑発。
しかし魔女はフンと鼻で笑い、とびきり悪い表情で亜瑠花を一瞥しレイにしなだれかかる。
「その表情は知らなかったが、かわりにお前の知らないコイツの表情もたくさん知っているぞ?語ってやろうか」
「ゔ」
たちまち目を丸くして半泣きになる亜瑠花。弱い。
「ゔゔ」
俯いて黙り込んでしまう亜瑠花を嗤いながら「話してやろうか?なあ、なあ」と揶揄う魔女をレイがつき飛ばす。
雪に顔を埋めるアルカ。
「こんな時ばかり纏わり付くなーーそれから亜瑠花の探索の邪魔をするな」
「魔女を突き飛ばしたなっ、クズ男の癖にっ」
立ち上がり抗議するアルカに、指を立てるレイ。
「100万円」
静かに告げる。
「よし小娘、私は心が広いから詫びよう。ほら、これをもて。詫びの印だ。ほら、あなたも」
胸元から、赤い小袋を取り出し、亜瑠花とレイに渡す。
(同じサイズの筈なのに、どうやって胸に仕込んでいるんだろう)
釈然としない表情で受け取る亜瑠花。
レイも続く。
「おっ、これは温かい」
「なにこれ。カイロ?」
しかしその暖気はカイロとは比較にならない。身体全体を空気のバリアが覆ったかのようだ。
小袋からは、微かに、シナモンとジンジャーの香りがした。
「ケルトのレッドスパイス。シナモン、ジンジャー、ナツメグ、クローブなどを配合した。オールスパイスだけ切らしていたので、部屋にあった七味唐辛子で代用したが、効果は変わらないようだ」
「すごいな」
ーーどのくらいの時間持つのか次第だが、今度、部屋様にいくつか作らせれば冬の光熱費が助かるなーーレイは切実に思うのだった。
◇◇
コォォォォーー
風の音が響く雪洞。
新堂優士は、記憶を辿る。
乗鞍岳の山頂、魔王岳は、昔から怪異が支配する地だった。そもそもこの山は飛騨と信濃の境目にあり、このようなハザマの土地には、現世と異界の境界もまた曖昧になりがちで、そのようなモノが発生しやすいのだ。
それらはただ山奥に潜むだけでなく、時に麓の町や村を襲う。
元禄時代、円空上人がその怪異を封じ込めるため、山頂に千体の仏像を安置し山神の封印を施したというーーそしてそれが魔王岳という名の由来でもあるのだった。
今回、マオに依頼された内容は、その封印の調査ーーどうやら昨今「日本各地で様々な封印が弱まっている」事件の一環では無いか、とマオは言った。
「まあ、華僑の私たちが言うのは筋違いなんだけどさ、優さんはどう思う? 日本が、あちこちの国に買われて日本ではなくなっていってるのと、関係あるのかな」
優士は仏蘭西煙草をくゆらせながら、しばし考え、答えた。
「たとえばこの煙草は、今の日本では買えないから、フランスから輸入しているーーでも、日本で吸うのだから日本の喫煙ルールが適用されるだろう? フランスではこうなんだ、などという事をいう莫迦はいない。土地や建物だって本来はそうだろうーーただ」
「ただ?」
マオは少し酔っているのか、横の優士にしなだれかかる。
優士は全く微動だにせず、マオの顔を見ることすらなく、ウィスキーを口に運ぶ。
「魂まで売り渡してしまった場合は、どうだろうね?僕には判断がつかないな」
くいっ、と酒を流し込み、グラスを置く。
カランーー。
スローなジャズが流れる薄暗いバーの静かな店内。
優士の好むフォア・ローゼスの甘い匂いが立ち上り、グラスの中で氷が溶ける音だけが響く。
「君、それ以上はいけない。僕も本気になるかもしれないーー続きは、雪山から帰ってからにしておこう」
新堂優士は立ち上がり、ふてくされた猫のような切ない表情のマオを残して立ち去った。
「なによーーカッコつけて、お酒の勘定も私持ち、煙草だって私が注文してるのに」
頬杖をついたまま、空になった優士のグラスを指で弾く。
「御厨凉子ーーの手前?私の方がずっと古い付き合いなのにさ」
マオはまた、捨てられた猫のような表情でしばしグラスを眺め、やがて大きく伸びをした。
「ま、いいか。あんなロクデナシ」
マオは何かを吹っ切るかのようにもう一度伸びをして、自分の酒ーー紹興酒をぐいっと開けた。
◇◇
魔王岳は既に、半ば異界化していた。
おそらく故意か或いは偶然か、1000体の仏像の結界効力が弱まっていたのだろう。
「乗鞍岳の怪異と言えば、有名なのが何匹かいたね?なんだったかーー凉子、覚えているかい」
煙草を燻らせ、雪道を歩く優士の口から、ひょいとそれを取り上げてボトルコーヒーを押し付ける凉子。
「歩き煙草が見つかったら怪異より厄介な事になるわーー珈琲で我慢して」
「はああ、僕はインドア派なのに、こんなに歩かされて煙草も取り上げられて、割が合わん」
普段の仮面の様な無表情を崩し、溜息を吐く。
「煙草を吸うから息切れするのでしょうーーええと、乗鞍岳の怪異は、たしかーー山彦、山姫、両面宿儺あたり?」
「両面宿儺は麓の怪異だーー山彦は現象。だとすると、山姫あたりが怪しいな」
「あなたがそう望んでいるだけじゃないの?たいへんな美女だそうだからーー楽しみね?」
「だからさ」
優士は性懲りもなく、また煙草に火をつけた。
「山を荒らすと戒めの為にでてくるそうだからーー大目にみたまえよ。この煙草は誘蛾灯のようなものさ」
ふうっ、と白い息とともに、煙を吐く。
「あなたねえーー」
不遜な男は、文句を言う凉子を手のひらで制し、微かに口角を上げ、彼方を指差す。
「おいでになったようだーー護衛の仕事だよ。僕はただてさえ暴力はからっきしの上、相手が山の女神なら全くの無力というものだ。任せて一服しているよ」
「あれが山の女神、ねえ」
彼方よりゆっくりと迫るゆらめく姿たちは、言われてみれば女性のシルエットに似ていなくも無いーー幽鬼たちの様だった。
「いつだって、女の容姿の噂などというものはーー直に会ってみないとわからないものだ」
その黒い目が微かに笑い、霊媒士は懐から小さな扇を出した。
「だから凉子、こちらを見るなよ。こんな小技に大袈裟な呪言ーー祖母の時代ならともかく、今は少し恥ずかしい」
凉子はククッと笑う。
「あなたの仮面が少しずれて素顔が覗く瞬間は、貴重だわ。それを見た女で、いま生きているのは私とーー?」
「君だけだろう?」
マオの顔を思い浮かべながら、優士は平然と答える。
「嘘つきの、ロクデナシ」
ひとこと言って、「護衛」は怪異達に向かって走る。
手にした数珠に刻んだ梵字が輝く。
不動明王結界術ーー術式としては強力だが、御厨凉子の技量ではいにしえの術師達には到底及ばず、足止めしかできない。
しかし、新堂優士にはそれで十分だった。
扇を顔の前に当て、ごく小さな動きで「シュバレ」と呟き、空間を引き裂く様に煽ぐ。
奄美群島方面でかつて名をなした、新堂家ーーそれは元々は神道家であったというーーに伝わる霊媒の技術は、退魔の「扇術」と呼ばれていた。
引き裂かれた空間は、山の女怪の一体を吸い込んで、閉じる。
「あと何人満足させる必要があるのだろうねーーいよいよ僕の体力がもたないかもな」
呟いただけのつもりだったが、風が言葉を運んだか、それは凉子の耳に届いたようだった。
「だから、禁煙しなさいって!」
数珠を振り回し、女怪に応戦しながら凉子が叫んだ。




