鬼の首と糸の魔法使い④
【folktale fantasy】
鬼の首と糸の魔法使い
2025.10.06 早朝
亜美と拓郎が家を出る。
公園で合流し、先生と当番が引率しての集団登園だ。
「私はそのまま、公園で町内会のお団子イベントのお手伝いだから、お迎えはよろしくね?」
「ふぁい。4時でふよね」
パンを齧りながら亜瑠花が答える。
拓郎が手を振り、亜瑠花も振る。
「遅れると先生から鬼電来るから気をつけてね。受けるのは私だけど」
大丈夫大丈夫と亜瑠花は言うが、どうにも亜美には不安が残る。
まあ、公園から幼稚園は近いし、最悪自分がイベントを抜け出して迎えに行けばいいだけだ、とどこまでも姪に甘い。
「じゃ、お願いね? いってきまーす」
「あるかちゃん、またねー」
「拓ちゃん、あとでねー」
天気は快晴。
これは今夜の名月に備えてイベント参加者も多くなりそうだな、と亜美は思った。
◇◇
2025.10.06 正午
しんあい幼稚園は小さいけれど、ミッション系の幼稚園だ。
とはいえ厳格なしきたりはなくて、お昼休みに園庭の天使像にお祈りしたり、園内には園児たちが書いた優しい顔の天使の絵が貼り出されていたりしていた。
建物も小さかったが、上部は塔になっていて、ドーム状になった突端部の窓には、幾何学模様のステンドグラスが嵌められていた。
お庭にはチューリップの花壇があり、うさぎ小屋があった。
なにもかもがこぢんまりとしている、ごく普通の可愛らしい幼稚園だった。
ただ、その日は少し活気がなかった。
園児の半分近くがお休みしていたからだ。
無連絡の家も多く、朝から八潮と七瀬は忙しく動き回っていた。
明日は閉園したほうがいいかねえ、そんな話をしている時、地震がおきた。
揺れはすぐにおさまった。
だが、その地震で、山のあちこちで崖が崩れて、上の住宅地へ抜ける道が塞がれたーーそして、塚の招き猫が地面に落ち、粉々に砕けた事は、誰も知らなかった。
◇◇
2025.10.06.PM 3.00
バスケットいっぱいに詰め込んだ、糸のお守りたち。
最初のうちはローワン・アンドレッド・スレッドやウイッチズ・ノットを沢山作ったが、だんだんと手のかからないトリケトラばかりになってしまったのが、亜瑠花らしかった。
しかし手は一切抜かず、一つ一つに、これを持つ人に幸運がもたらされますようにとの願いを込めた。
それは、皆に「おままごと」と揶揄されたグランストベリー時代のタリスマン作りの時と同じだった。
「ありゃっ、こんな時間! 行かないと」
拓郎を迎えに行く時間。
亜瑠花はバスケットを持ち、ふと、スピンドルやまだ結んでいない糸たちをどうするか迷った。
もし、子供達にウケがよく、編んで編んでとせがまれたら? などという状況を想像し「まあ、念のため」とショルダーに一式を放り込んで、家を出た。
人生と生命を左右する選択は、時にほんの一瞬の些細な選択に左右されるーーという事だ。
◇◇
しんあい幼稚園は、預かり保育に対応しているため、閉園がやや遅めの17時に設定されている。
山の中ではあるが、麓からも山頂を抜けた住宅地からも遠くは無いので、亜瑠花が家を出た時間は、普通なら早すぎる。
当然、園児や父兄達に糸のお守りを配ったり、編みあげる所を披露して「なにあのお姉ちゃんすごーい」「可愛い」「憧れるー」などという賞賛を受けたいという下心のなせる技だった。
「むふー。急ごっ」
スニーカーが山道を駆け上るーーそのとき。
ガラッ ドシャ!
背後で大きな音がした。
「ぴえっ」
地面が揺れ、つんのめり転ぶ。
振り返れば、落石により狭い山道は塞がれていた。
恐怖で血の気が引いてゆく。
何年か前に、実家の地元で落石により女子高生が亡くなった、痛ましい事故を思い出した。
自分も危うかった。
薄い胸を撫で下ろし、しかしはたと気づく。
「通れない。子供たちも私も帰れない!」
それどころか、これから来る父兄達も登っては来れないだろう。
亜瑠花はとりあえず石をどかせないかと全身全霊の力を込めて押してみたーー0.1ミリも動かない。
手のひらが擦れて涙目になっただけだった。
「そうだ?警察、いや、消防?」
スマホを取り出すーー圏外。
こういう時って衛星システムで緊急通信できるんじゃないの?と思ったが、この古いスマホでは無理のようだ。残念、と空を見上げる。
夕方前なのに、月がもう出ている。
「日が沈んだら、真っ暗になっちゃう」
最悪、反対側の山頂から帰ればいいと思っていたので、取り乱しはしなかった。
「あっ」
思いついた。
あの魔女がやっていたように、自分も魔法でこの岩を破壊できるのではないか?
同じ身体なのだ。やってみる価値はある。
亜瑠花は、ローワン・アンドレッド・スレッドを取り出し、握る。熱い。
いけるかもしれない。
「えーい!八つ裂き光輪っっ!!」
思い切り、岩に向かって手裏剣のように投げつける。
ぺし。
糸の結ばれた枝は、岩に力なく当たって、地面に落ちた。
「‥‥」
亜瑠花はがっくりと肩を落として、枝を拾って、とぼとぼと幼稚園に向かって行った。
しかしーー
「おかしい、暗すぎるよーー怖いよ」
元々、日当たりの悪い山の中はすでに夕闇に覆われ、月は冷ややかに見下ろしている。
これはーー亜瑠花が魔女に入れ替わられた、あの日と同じ「逢魔が時」。
幼稚園の、てっぺんがドーム状になっている小さな建物が見えた。
良かったーーそう思った時、だった。
背中がざわつく。
たくさんの悪意に囲まれている気配があった。
「ーー満月だ」
「満月だーー」
「宴だーー」
「夜行のときだーー柔らかい肉が、集まっている」
「うわん」
「ーーうわん」
聞いたことがある。
満月の夜に、百鬼が集まり、「恨めしい、恨めしい」と叫びながら練り歩くーー日本全国に伝わる、この地にもある、怪談。
親が、聞き分けのない子供を寝かしつける時に語られるような物語。
「拓ちゃんが?」
危ないーーそう直感した。
走り出す。
幼稚園の門は開かれ、迎えを待つ園児たちと教師の姿が見える。
拓郎もその中にいた。
「暗いねー」「こわーい」「でも、お月様きれーい」
微かに園児達の声が聞こえてくる。
走る亜瑠花の後ろから、ゆっくり、ゆっくりと邪気が迫っていた。




