逢魔が時に楡の木は揺れる③最後の魔物
【Horror stories】
Episode
ーWhen the Elm Tree Sways at Twilight Hour―
静寂。
レイは、まだ呆然としていた。
あれだけの怪異が、一瞬で消えた。
圧倒的な魔術の力。
アルカは何事もなかったように杖を下ろし、足元に置いてあったバスケットを拾い上げた。
転落の時も、ずっと握っていたのだろうか。
中身はおそらく、魔法の道具か。
「あの、アルカ……」
レイが声をかけようとした時、アルカはバスケットから包みを取り出した。
それは、魔道具ならぬサンドイッチだった。
チェダーチーズとレタス、そして薄くスライスされたリンゴが挟まっている。
「はむ‥」
アルカは無表情で、一口齧った。
「……え?」
レイは目を疑った。
さっきまでの、圧倒的な戦闘の後。
夕暮れの廃校で。
魔女が、サンドイッチを食べている。
しかも、その食べ方が妙に行儀がいい。
「……お腹、空いてたのか?」
「魔力補給」
アルカは短く答え、また一口。
もぐもぐと咀嚼している。
レイは、言葉を失った。
「これ、グラストンベリーの地元のサンドイッチ。チェダーチーズと、地元のリンゴを薄くスライスしたものが入ってる」
「わざわざ持ってきたのか、日本まで」
「魔女にとって、地元の食べ物は力の源。異国で戦うなら、必要」
アルカは、残りを食べ終えた。
「あなたも食べる? もう一つある」
「いや、俺は……」
「そう。あとでお腹空いても知らないよ」
アルカは包み紙を丁寧に畳んだ。
レイは、まだ違和感が拭えなかった。
「なんか、手紙と雰囲気違わないか?」
レイは率直に尋ねた。
アルカは、呆れたような目でレイを見た。
「当たり前。あなただって手紙では『私は』とか書いてくる」
「まあ、そうだけど……」
「手紙は手紙。会話は会話。書き言葉と話し言葉は違う」
アルカは淡々と答えた。
確かに、その通りだ。
母がいい例だ。
手紙では堅苦しいが、顔を見れば「玲ちゃーん」と抱きついてくる子離れ出来ない母だった。
でも、レイが想像していた「明るくて天然な少女」とは、あまりにも違う。
別に、手紙のキャラのまま『レイくん!』と飛び付いてきて欲しかったわけではない。
だが、少し戸惑いはある。
にこやかにファンに手を振るアイドルの、楽屋での素顔を見てしまったような――そんな気分だった。
「それに、戦闘中。緊張感を持つのは当然」
アルカは杖を拾い上げた。
「まだ終わってない」
口の周りをナプキンで拭きながら言う。
「え?」
「さっきのは、下級の怪異。本命は、まだ来ていない」
アルカは、中庭の方を見た。
楡の木が、夕風に揺れている。
アルカは腰のポーチから、小さな布袋を取り出した。
中には、乾燥したハーブが入っている。
「ハシバミの葉。探知の魔術に使う」
アルカは葉を一枚、手のひらに乗せた。
そして、低く唱える。
「Hazel, hazel, shake and shiver,
Show me where my foes now linger
はしばみ はしばみ ゆれて震えて
敵のいどころ こっそり教えて」
「あなたにも見えるよう、日本語で復唱した」
レイは、息を呑んだ。
葉が、淡く光った。
風もないのに、くるくると回り始める。
やがて、葉は一つの方向を指して、止まった。
中庭。楡の木の方角。
「あそこだ」
アルカは杖を握り直した。
「数もわかった。魔物の数は7体だ」
アルカは歩き出した。
レイは、急いで後を追った。
「待て、アルカ。お前、本当に……」
「あなた。疑うのと驚くのばかりね。あなたは私がずっと焦がれていた騎士なんだから、あまり幻滅させないで」
アルカは振り返らずに答えた。
「そう、ずっと焦がれていた。そして私はあなたを守ると約束した。その約束を果たすまで、戦う。七体、全て倒す」
レイは、アルカの後ろ姿を見た。
黒いローブが、夕風に揺れている。
レイは短剣を握り直し、後を追った。
中庭へ。楡の木の下へ。
◇◇
中庭に入ると、空気が変わった。
冷たい。
夕暮れの暖かさが、ここだけ消えている。
楡の木が、大きく枝を広げている。
その根元に、何かがいる。
「一匹目のご登場だ」
アルカが呟いた。
影が、ゆっくりと立ち上がる。
人の形をしている。
でも、顔がない。
のっぺらぼうの、黒い人型。
「あなたに纏わりついていた影だね。実体化しているな。護符か何か、使った?」
「ああ、倒し切れはしなかったけど。なあ、あれは何だ」
「腹中蟲。あるいは応声蟲」
アルカは呟いた。
「知らなかった? 水木しげるの妖怪図鑑にもたぶん載ってるけど」
「いや、そんなもの知らないよ。ネズミ男ってあだ名の先輩はいるけど」
レイは苦笑した。
「いや、だが、腹中って事は……まさか」
アルカが目だけで微かに笑う。
「そうだ。人間に寄生して、生命力を吸って生きる。あなたが生まれた時から、ずっと一緒にいた――あなたの幼馴染というべきかな」
アルカは杖を向けた。
「消すよ?」
人型の影が、レイに向かって手を伸ばす。
「マグマカエカエンリュウ」
炎が、影を飲み込んだ。
影は悲鳴を上げ、燃え尽きた。
「一匹」
アルカは淡々と数えた。
「次」
校舎の窓から、何かが飛び出してきた。
ただ黒い塊が、空中を飛んでいる。
「ヤツザキコウリン」
光の刃が、塊を切り裂いた。
「二匹」
アルカは歩き続けた。
レイは、その後ろを歩く。
「本当に強いんだな」
「魔女だから」
「手紙には、先生に怒られたって書いてあっただろ」
「ああ。『あなた本当に魔女になる気あるの?』って、よく言われてた」
アルカは、少しだけ表情を緩めた。
「魔女の修行は、厳しいからね」
体育館の屋根から、影が降ってきた。
蜘蛛のような、多脚の怪異。
「三匹目」
アルカは杖を向けた。
「ハッケイ」
しかし、脚が数本吹き飛んだだけで本体はアルカに迫る。
吹き針のようなものが、アルカの頬を掠め、うっすらと血が滲む。
「手強いヤツもいるな。毒針だったら死んでた」
レイは短剣を構えた。
「援護する」
「あなたは休んでいて。疲れてるでしょう」
「かなり、回復したよ……」
その時、レイの背後から気配。
振り向くと、戻ってきた蜘蛛の怪。
「臨!」
レイは九字を切った。
火花が飛び散り、影が怯む。
「好機。ダイシンクウカマ イタチ」
杖を不規則に振り回しているようにしか見えないが、発生した無数の真空の刃が影蜘蛛を切り裂いた。
「一応突っ込むぞ。いまのは――」
「Die sin Croon Carmine Touch 罪人に優しく触れし赤き死の風」
無表情だが、どこか楽しそうな気もする。
いや、気のせいだろう。
新たにムカデのような影が襲う。
レイは短剣を振るい、軌跡が火炎を帯び、刃が影を斬る。
霧散。
「四匹」
アルカが数えた。
「武術か。あなたも結構、鍛えたようね」
「まあ、一応」
「それにしても、こいつらショッカーの戦闘員みたいに一体ずつかかって来てくれて、助かるな」
「ご馳走は、一個だけだからね」
皮肉な笑み――こんな表情もできるのか。
アルカは、また歩き出した。
「あと三匹」
校舎の影から、二つの気配。
同時に現れた。
一つは人型。
もう一つは獣型。
「同時に来た」
アルカは杖を構えた。
「あなた、右を」
「わかった」
レイは右の獣型に向かった。
アルカは左の人型に向かう。
「ヤツザキコウリン」
光の刃が、人型を切り裂く。
レイは獣型に斬りかかった。
「兵!」
九字を切り、短剣を振るう。
火花に、獣型が怯む。
その隙に、斬る。
獣型が悲鳴を上げ、消えた。
「やった!」
レイは振り返った。
アルカも、人型を倒し終えていた。
「五匹、六匹」
アルカは数え終えた。
そして、レイを見た。
「今のはなかなか良かった。ああいう使い方なら心臓への負担も少ないと思う」
「お褒めにあずかり」
アルカが上目遣いでチラ見しながら呟く。
「うん、今のは騎士っぽかった。ずっとその喋り方を希望する」
「うん、それは嫌かな」
レイは笑った――
人形の自分が笑えた。
しかも戦いの最中に、誰かと笑う。
そんな経験は、初めてだった。
はじめて、誰かと一緒に戦った。
はじめて、頼れる誰かがいた。
ずっと孤独に――未来永劫一人で戦うしかないと思っていた。
「ありがとう、アルカ。お前が来てくれて、助かった」
アルカは、じっとレイを見た。
そして、小さく頷いた。
「どういたしまして」
相変わらずの無表情。
「あと、一匹」
アルカは、楡の木を見た。
「最後の一匹。一番強いのが、あそこにいる」
「行こう」
アルカは歩き出した。
そして、ちらりと振り向いた。
「あなたは、あなたを待つものと向かい合いたいのね」
アルカは、じっとレイを見た。
「逃げたって誰も責めないのに。誰だって逃げるのに。それが勇気なのか、蛇に睨まれた蛙の硬直なのかはわからない」
そして、微かに笑った。
「だけど私は――それを可愛いとは思う」
レイは、後を追った。
楡の木の下へ。
◇◇
楡の木の下に辿り着き、レイ達は足を止める。
「何か、いる」
「これは、大物だね。力の波動がここまで伝わる」
アルカも立ち止まった。
楡の木の幹から、何かが滲み出してきた。
白い影。
ゆっくりと、人の形を成していく。
女性の形。
そして、顔が見えた。
美しい顔。
レイに似た、整った顔。
だが、その目は虚ろで、口元だけが不自然に歪んでいる。
「……母さん?」
レイは、息を呑んだ。
身体のラインが浮き上がる、薄く白い着物を着て、髪を長く垂らしている。
「玲ちゃん……」
母親の声。でも、抑揚がない。
「玲ちゃん……その女……離れなさい……」
白い影が、アルカを指さした。
「生き霊ね」
アルカが、冷静に言った。
「あなたの母親が、あなたを心配して、生き霊を飛ばしてきている」
「生き霊……」
「ええ。そして、私を敵だと認識している」
アルカは、杖を構えた。
「霊には理性的な判断はできないのだろう。あなたを守りに来た私を、あなたを奪う女だと思っている」
白い影が、叫んだ。
「玲ちゃん!その女から離れて!」
影が、アルカに向かって手を伸ばす。
長い、白い手。爪が、鋭く尖っている。
「危ない!」
レイは、アルカの前に立った。
「母さん、やめろ!アルカは敵じゃない!」
でも、影は止まらない。
「玲也……玲也……玲也……」
アルカは、クスリと笑った。
「玲ちゃん、か。嫁の天敵は、いつだって姑というわけだ」
その笑い方が、冷たかった。
「どうする、レイ。攻撃してもいい?」
「待て!ちょっと、待ってくれ」
「わかってる。孤独だなんだと言ってるわりに、結構愛されているじゃないか。でも、私を殺そうとしている」
アルカの目が、冷たく光った。
「ああいうのは、手強いんだ。手加減できる余裕はないーーでも、あなたの母親だから」
アルカは、レイを見た。
「あなたならなんとかできるかもね」
その目が、どこか試すような光を帯びていた。
「あなたが説得しなさい。私はその間に――準備をする」
レイは、母親の生き霊を見た。
「母さん……」
母親は、巫女の血筋だ。
魔女になって帰国したアルカを本能的に敵だと感じているのかもしれない。
「母さん、大丈夫だ。アルカは、俺を守ってくれてる」
「玲也……玲也……」
母親の声が、震えている。
「大丈夫だから」
レイは、母親に向かって歩いた。
そして、生き霊の手を、そっと握った。
冷たい。氷のように、冷たい。
「ありがとう、母さん。でも、もう大丈夫だから」
母親の顔が、歪んだ。
その時――
背後から、魔力の気配。
レイは振り返った。
アルカが、杖を高く掲げている。
「待って、アルカ!」
レイは叫んだ。
しかし間に合わなかった。
「センボンザクラ」
アルカが、無表情で呟いた。
杖の先端から、光が溢れる。
無数の、桜の花びらのような光。
幻想的で、優雅な輝き。
光の花びらが、宙を舞う。
そして、花びらは母親の生き霊に降り注いだ。
「母さん!」
光の花びらが、母親の姿を飲み込んでいく。
母親は、何も言えないまま。
ただ、レイを見つめたまま。
光に包まれ、消えた。
跡形もなく。
静寂。
「Saint Born The Color――聖なる破壊光線。美しい魔法。しかし発動に時間がかかるのが、欠点」
レイは、アルカを見た。
「生き霊が消えたら、母さんの肉体は……」
「あなたが隙を作ってくれたお陰で、勝てた」
アルカは、平然と答えた。
「強い執念を持った生き霊は、手強い」
アルカは杖を下ろした。
「アルカ……お前……」
「さて」
アルカは、楡の木を見た。
「最大の障壁は消えた。本題に戻ろうか」
「本題?」
「ええ。まだ、やる事は残っているから」
アルカは、レイを見た。
「今のは生き霊だから、魔物の数には入らない――だから、まだ残っている」
「なんだって!それじゃ、アルカ? おい、アルカ?」
レイが呼びかけた瞬間、何かが変わった。
空気が。
光が。
そして、少女の声が。
「アルカ、そう、アルカね」
少女は、くすりと笑った。
その笑い方が、今までとは違う。
「あの小娘なら、階段の脇で死んでいるだろう」
声は、低く、冷たく告げる。
「お前がぶつかって、突き落としたあの時に――死んでいるだろう」
夕暮れの校庭を背に、少女の姿が変わってゆく。
華奢な身体はそのままに――
肌は磁器の人形のように白く
髪が、長く伸び――
黒い絹糸のように、地面まで届くほどに。
瞳は、ヘイゼル色から、真紅の宝石のように。
釣り上がった形の良い唇が、妖しく微笑む。
甘い香りがどこかから漂ってくる。
「あの小娘に張り付いて、英国よりわざわざ出向いた甲斐ありき」
今やアルカだったものは、どこにでもいそうな女子高生ではなく、妖艶で怜悧な黒い影をまとう、魔物だった。
「この結界の中に『魔物は』七体と言っただろう。約束通り、守ったぞ。生き霊含め、七体からな」
「アルカ‥‥」
「恐れるな。永遠の夕暮れが終わり、お前が心の底で望んでいた夜が来るだけだ」
「ずっと望んでいたろう?安らぎを、誰も傷付けず、傷付かずに済む結末を――私が与えてやる。私が、お前の空虚を、埋めてやる」
本来のアルカのヘイゼル色の瞳は、いまや紅玉のような真紅に輝いていた。
無表情の仮面を捨てた魔女は、闇そのもののように果てしなく暗く、妖艶な笑みを浮かべた。
「どれほど、その力ある心臓に焦がれた事か」
魔物は、レイに向かって手を伸ばした。
「ああ、私が――お前の、お前の心が望んだ、最後の魔物だ」
レイは、その真紅の瞳を見た。
鼻腔を、没薬の強い香味がくすぐる。
抵抗しなければ――しかし、身体が動かない。
叫ぼうとしたが、声も出ない。
絶望が、心を支配する――。
永遠の逢魔が時に、闇が落ちる。
楡の木が、静かに揺れていた。
逢魔が時に楡の木は揺れる エピソード完
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