血と蜜③
【Gothic Romance】
BLOOD & HONNY
夕食のダイニングルームには、甘い香りが充満していた。
メインディッシュは、蜂蜜でマリネされたローストポーク。
そして、食前酒として供されたのは、琥珀色の「蜂蜜酒」だ。
一瞬、アルカに飲ませていいものか悩むレイ。
真名を明かさない魔女が何年生きているのかは知らないが、肉体のベースである柚木亜瑠花は16歳だ。
ちなみに、アパートにはそもそも酒自体置いていないので、飲ませた事もなかった。
「あー大丈夫大丈夫。アルコールも毒素だから、ホーリーバジルが無効化してしまう――酔いたくても今夜は酔えないよ」
アルカ自身は酒を飲むのか気にはなったが、酔った魔女が大暴れする事態を想像し、首を振った。
「由利さま、どうぞ」
青山ケイは、あやしく微笑みながらグラスに琥珀色の酒を注いでゆく。
トゥク、トゥク、トゥク――脈打つような音ともに、グラスが琥珀色に満ちてゆく。
由利六郎――根津がネットで宿泊を申し込んだ時に使用したレイの偽名だった。
因みにアルカは妻の清海。
勿論、宿泊名簿では20歳にしてある。
自分が根津だからと、真田十勇士から取った名前らしい。根津ミコトのセンスも、今ひとつわからない。
なので、最悪アルカの提唱するような荒事になっても、レンタカーさえ回収出来れば足はつかない可能性は高い。
とはいえレイもアルカも風貌は目立つので安心は出来ないし、極力、建物が吹っ飛ぶような事態は避けたい。
他の宿泊客はいまのところ見ていないが、おそらく部屋で蜂蜜漬けになってハッスルしているのかもしれない。
巻き込んで吹き飛ばすわけにはいかないという事だ。
◇◇
「なあ、まだ吹き飛ばさないの? 昼間も言ったけれど、たぶんもう、待ってもいい事はない――というより」
「いうより?」
「いやな事があるだけだよ。入れ替わられた人間の死体発見!とか、グロテスクな悪魔の本体を見た!とか――悪魔を呼び出してしまった本物の青山ケイの夢が詰まった日記拾って鬱々!とか、そういう展開を味わいたい?」
「いやだな。だけど――」
「だけど?」
レイはコホン、と勿体つけて致命的な一言を言う。
「報告レポート上げないと、バイト代、出ないよ?」
アルカの表情が変わった。
「じっくり調べて対応しないといけないね――任せた」
また、ごろんとベッドに背を向けてスマホを弄っている。
「私の酒に入っていたのは、睡眠薬だ――私も使う定番だから、微香でわかったよ。まあ、ホーリーバジルが無効にしたけれど」
「女に飲ますのは睡眠薬――男には媚薬入りの蜂蜜酒か」
「うん――昼のより遅効性の媚薬だね」
「なんで遅効性?」
レイが聞くと、アルカは呆れたように目を細め、鼻で笑った。
「少しは考えろ――男がその気になっている時に女が熟睡してたら都合がわるいだろう――」
「ならば」
「ああ」
見解の一致。
おそらく今夜、青山ケイが忍んでくる。
そして、何処かへ連れ出すのだろう。
他の男達にそうしたように。
「私はどうしたらいいかなレイ『くん』。あなたたちが仲良くしているのを、寝たふりして見ていてあげようか?」
胸を反らして、見下すように、挑発的に――それはいつものアルカの軽口なのだが。
しかし今日のレイは、疲れか、苛立ちか、それとも――とにかく、流す余裕がなかった。
「好きにしろよ」
レイそう言って、アルカに背を向け、同じベッドに横になった。
しばらくその背中を見ていたが、レイが振り返らないと知り、チッと舌打ちして反対側の壁を向いた。
ダブルベットで背中合わせになったまま、またスマホで音楽を流す。
「青山がいつ来るかわからないから、寝たふりをしておいてくれよ」
その冷めた言い方が気にいらず、アルカはまた舌打ちをする。
「口うるさい男だな――わかった、もう一曲聴いたら消すから、もうグダグダ言うな――私と一緒がそんなに嫌なら、こんなバイト受けなければよかったんだ」
「いや、そんな。別に嫌だなんて一言も言ってないだろ――おい、アルカ。アルカ?」
返事はない。代わりに、曲のボリュームが大きくなる。
魔竜ひそむ暗い地下迷宮を、コツッ、コツッと歩くような不吉なイントロのプログレッシブ・ロック。
TOTOーーHydra。
(欲しいのは自由か? それとも私の愛か?)
ボーカルが問いかける。
ーー両方じゃ、駄目なのか?
レイにはまだ、選べない。
◇◇
ダブルベットで互いに背を向けた男女が、夜中に忍んで来るであろう別の女を待つ。
もしかすると、世界で初めて実現したシチュエーションかもしれない。
ライトを消すと、微かにアルカの没薬の匂いが、甘い蜜の香りに混じって漂ってくる。
ときおり背中がぶつかると、どちらも体を縮めてモゾモゾと距離をとる。
なんだこの有り様は――新婚は新婚でも、まるで成田離婚寸前の夫婦じゃないか。
レイの想いは苦い――全て自分が悪い事もまた、自覚していた。
今、手を伸ばして、その肩を引き寄せたら、どうなるだろう――そろそろと手を伸ばす。
アルカの息遣いが静寂の中、やたらと大きく聞こえる。
アパートにいた時のように、そのまま抱き寄せればいいだけだ。
それでこの気まずさは終わるーー何か決定的なものと、引き換えに。
しかし――
その迷いを、ノックの音が引き戻す。
青山ケイがやってきたようだ。
ベッドサイドの引き出しにしまっておいた、以前古道具屋で買った護身用の短剣を隠し持ち、握る。
こいつを使うのは、あの「永遠の黄昏」で、この魔女と出会った日、以来だなーーレイは息をひそめ、待つ。




