血と蜜②
【Gothic Romance】
BLOOD & HONNY
案内された部屋は、ウッディな内装に白いレースのカーテンが揺れる、いかにも「新婚旅行」に誂え向きのツインルームだった。
青山ケイが部屋を去り、ドアが閉まる音が響くと、レイは深いため息をついてベッドに倒れ込んだ。
「二度と山道で右折はしたくない」
「何を情けないことを。私のナビゲートが完璧だったから、今こうしてふかふかの寝床にありつけているのではないか」
アルカは既に、テーブルの上に置かれたウェルカム・スイーツの小瓶に目を輝かせている。
中には黄金色に輝く蜂蜜と、ナッツが漬け込まれていた。
「食べて大丈夫そうかい?」
「うむ、いま調べよう」
スプーンですくって、口に入れるアルカ。
「美味いな。秋詰みのダージリンに合いそうだ」
「――よし、俺も一口「調べる」か――うん、甘いな」
「だが味は大丈夫だろう?」
「うん。俺は毒とか入ってないか、調べてくれると思ったんだけどね」
もぐもぐ。
もぐもぐ。
「ウェルカム・スイーツに毒を入れる奴はいないと思うよ、レイ『くん』」
「ああ、だけど、麻薬とか媚薬とか、そういうのが入っている可能性はあるかと思って」
「なるほど――ああ、媚薬は入っていたかもしれないな。体が少し熱い気はする。新婚夫婦用のサービスか?」
「蜂蜜には元々、強壮作用があるんだが、これはすこし強いようだね。こいつが新婚カップルに人気の秘密か。どんな蜂が――いや、餌に混ぜ物か?」
「なあレイ『くん』。悪い事はいわない。一番いいやり方をこれから教える」
「?」
「今すぐ、あのオーナーを「ヤツザキコウリン」で始末して、この館を焼き払って、来た道を車で帰る」
「なんだって」
「この先、調べても、待っても、いい事は何もないよ。あのオーナーは悪魔だ。従業員もおそらく――で、本物はもう死んでる。解決方法は倒すしかない」
「確実?」
「100パーセント悪魔。地獄の釜の蓋の臭いが、厚化粧の下からぷんぷん臭ってた」
「……」
「ご希望ならすぐにすませてくるけれど?それとも、ベッドの上で一休みしてからでもいいけれど。蜂蜜の火照りを消してからの方が確実だからな」
「……いや、冷水シャワーを浴びて来る。帰りの車内でまたケダモノ呼ばわりされたくないからね」
レイは部屋に備え付けのユニットバスに向かう。
水音。シャワー音。
「ふん」
アルカは、ごろんとベッドに横になり、もう一度「フン」と嘲るように鼻を鳴らした。
「情け無い男。あの日、小娘に泣かれてから――なんだかんだ理由を付けて、私の肌を拒む事が増えた」
スマホの動画で、さっき車で流れていた曲を検索し、流す。
「これはなかなか悪魔的で面白い曲だ――特に最後の一節」
「いつでも出て行けるが、決して去ることはできない――か」
「お前の事を歌っているようじゃないか、レイ」
アルカは、枕を抱きしめる。
無表情の瞳は何を想うのか。
◇◇
頭から冷水を浴びる。
どうやら蜂蜜の媚薬効果はそれほど強いものではなく、収まってくれそうだ。
だがスイーツくらいでこれだけの効果があるなら、ディナーは危険かもしれない――生命の、ではなく理性の。
アルカにも、注意を促した方がいいだろう。
そこらの新婚のカップルとは訳が違う。
リミッターを外せば、火炎を帯び常人の倍以上の力が出てしまう自分と、建物ごと吹っ飛ばせる魔女。
互いに前後不覚になるまで錯乱した状態で本気で睦み合ったら、行為終了後には周囲が無人の荒野になっていてもおかしくない。
それは、絵面としても、少し想像したくない。
まあ、それは――先程アルカを拒絶した事への、後付けの理由でもあるのだが。
頭も身体もかなり冷えてきた。
心臓のアザの反応も、今のところ特にない。
あの青山ケイという女主人は悪魔だとアルカは言ったが、今のところ「ベリアルの心臓」が警告を発するほどの相手では、ないという事か?
根津の情報によれば、宿泊し死亡した男性は、当然ながら、このペンションからは元気にチェックアウトしている。
流石にここでバタバタ倒れたら、営業していられるはずもない。
死亡した時期もまちまちで、最初の犠牲者はチェックアウトの一週間後。次が三週間後。
二週間後。最近の、最後の一人は一か月後だ。
いずれも、突発的な心臓発作で、女の方に異変はない。犠牲者がもっと増えれば、このペンションとの因縁も都市伝説的に語られるかもしれないが、今のところそれもない。
無理もない。
一か月以内に病死した無関係の四人が、仮に同じ店で牛丼を食おうが、同じラブホテルに泊まっていようが、気にする方がおかしいだろう。
更に考えれば、死亡時期や、連れの女が無事な点を考えたら、殺した側に計画性も感じられない。
むしろ、殺意はあったのかすら疑わしい。
もしかすると、死亡したのは「結果」にすぎないのかもしれない。
男たちはこの宿で、なにかしたか、なにかされたか。
その結果として衰弱し、後日の死に繋がったとは考えられないか。
蜂蜜――と何か関係はあるのだろうか。
ホテル・カリフォルニアを意識して名付けられたペンションCA。
元々は雁掘庭という地名との語呂合わせだろう。
ネットで調べた所、ここ以外にも雁掘、或いは雁掘庭という地名は国内にいくつかあり、互いに関連はないものの、ルーツを辿れば熊野系神社に繋がるという。
そして、熊野の地では、蜜蜂は神の使いだそうだ。
今でも、お蜂さん、として親しまれる事もあるのだとか。
アルカは以前、神も悪魔も本質は変わらない――一神教の強力な支配者を除けば――力のあるものが崇められれば神となり、忘れ去られ、邪気を纏えば魔となるのだ、と言った。
この地で、神の使いは瘴気を帯びて、あるいは魔となったのか?
青山ケイは男たちに何かを行ったのか?
だとすると――今夜、何かされるのは、自分だ。
その気で待つとしよう。
タオルで身体を拭き、部屋に戻る。
アルカの不機嫌な顔がそこにある事を想像して、扉を開ける手が一瞬止まった。
「確かに俺はクズと言われてもしかたないな」
意を決して、扉を開く。
◇◇
曲が流れていた。
アルカはベッドに横になり、車内で聞いていた音楽チャンネルの続きを流していた。
壁の方を向いていて、表情は見えない。
最近のスマホは、外のスピーカーに繋がなくとも、結構いい音がするんだな、とレイは間のぬけた事を考える。
曲は――A Taste of Honey。Beatles。
(離れても残る、ワインよりも甘い蜜の味――か)
レイは、ふといま、アルカとキスがしたいと思った。
なぜだろう、曲のせいか、蜜の残滓か、横を向くアルカの小さな背中の曲線のせいか。
だがさすがに、自分の都合だけで拒絶したり求めたりと振り回す事の最低さは理解していた。
「アルカ、相談がある」
レイは静かにベッドサイドに腰掛け、言った。
ピ。
スマホの音楽がオフになる。
「なに」
アルカが上半身を起こして向き直る。
いつもの、無表情で。
「解毒の魔法、あるいは耐毒の魔法はあるかな――これからディナーだが、食わないと変に思われる」
「ふん、わかった。料理を楽しんでから悪魔退治も楽しみたいと――贅沢だが、理解できる」
「いやたぶんそれ理解してないけど――まあいいか。あるんだね?」
アルカは、ポーチから小さな葉の束を取り出した。表は緑、葉裏は紫。
甘く、スパイシーな、クローブにも似た香りが部屋に満ちる。
そして、低く、厳かな声で唱え始めた。
“Holy Basil, Tulsi divine,
O sovereign sage, O healer’s shrine,
By Macedonian covenant sworn,
Let all poison be forsworn,
With thy sweet fragrance, purify,
And cleanse the dark beneath the sky.”
ホーリーバジル ホーリーバジル
賢者の王よ 薬師の王よ
マケドニアの盟約に従いて
全ての毒を 無にしておくれ
その甘き 香りで 清めておくれ
葉が淡い光を放ち始める。
蜂蜜の甘い毒が、浄化されていく――。
「マケドニア?」
レイが呪文の中の固有名詞に気付き、尋ねる。
「ああ、このトゥルシーはインド原産だが、マケドニアの王ーーたしかアレキサンダーだとか言ったかーーが欧州に持ち帰ったと言われている」
「なるほど。それもアルカは見ていたとか?」
「はあ?」
アルカは目を吊り上げてレイの背中にパンチした。
「私がそんなに歳を取っているわけないだろう。馬鹿にするな」
「いや、さっきアングルシー島でローマ帝国がどうとか」
「あれは十字架の王が生まれてから5、60年経ってからの話で、アレキサンダーの遠征はそのずっと前だぞ。全然違うじゃないか」
「いや、わからないよ。その違い」
ちなみに、アレキサンダー大王の東方遠征は、紀元前334年頃だとされている。




