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魔道譚 ヤツザキの魔女と炎の騎士 ーTales of the Mystic Path ― The Witch of Yatsuzaki and the Knight of Flame―  作者: 夏乃緒玻璃


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蜃気楼の街と壊された乙女①

【Allegorical fantasy】


The Mirage City and the Broken Maiden

 鏑木は、地下鉄出口の階段から見える青い空が嫌いだった。

 四角く切り取られた空は、遠く、果てしない夢や希望が閉じ込められた檻のように感じられた。


 吸い殻やら潰れた空き缶やらが隅に転がる、朝の階段を、その「檻の空」を見ながら登る行為は、まるで絞首刑に向かう13階段を歩むような憂鬱さを伴った。



 鏑木進一郎 34歳。愛妻家。




 エンゼラ生保グループという、外資系保険代理店勤務。

 生保が母体ではあるが有価証券も扱い、全ての社員が保険、証券、債券の取引資格を維持せねばならず、万一、更新時に試験に落ちたら即解雇である。


 ノルマはきついが、自由出勤で毎日の行動記録を事務所に送りさえすれば、成績に応じた日数だけ出社すれば良い。


 年収約500万。

 これは、ふだん何億、何千万という金額を扱っている業種としては、かなり低い。

 歩合給のエンゼラ社においては、ノルマギリギリの成績だという事だ。


 だが今日は仕事で来たわけではない。


 手に握った一枚の広告チラシに目をやる。


「今世紀最大の魔術師 Mr.ミカエラ氏による、霊媒実験と未来予知セミナー」



 なんでもイギリスをスタートとして、各国を周り、界隈では人気の霊能力者だそうだ。


 胡散臭い。

 もちろん、そうも言われる。だから、ロックスターのように何千何万も人を集めるわけではない。


 せいぜい、数十人くらいが入れるカルチャー教室のような場所で実践し、受講者を集めて月謝をとる、というビジネスだろう。


 ほとんどが気休めかインチキ。


 だがその中で、ネットなどの評判がかなり高いのが、Mr.ミカエラの霊媒だった。

 本当に、亡くなった親の声が聞こえたとか、失せ物が見つかったとか、そういう話が多かった。


 それが、日本でセミナーを開くという。


 場所は、かつて鏑木も通った、ナポレオン・ヒルやデール・カーネギーのビジネススクールをよくやっている駅向こうのショッピングモール内のビル。


 少なくとも身元の怪しい団体が借りられる場所ではない。

 本格的にコースが始まれば受講料はかなり高そうだが、今日は宣伝のための公開セミナーだからだろう、18000円と、かなり破格だ。


 集まる人数にもよるが、テナントの使用料すら足が出るのではと、心配になる。


 このお値段なら、まあ効果はなくともギリギリ許せそうだ。これも愛する妻の為。


 鏑木はスマホに保存した、少し澄ました妻の顔を見て、気合いを入れて階段を上る。


 せっかくの日曜日を潰す事になるがしかたない。全ては妻の為だ。


「新港都市 イリュージョンタワー E棟26階」

 目的地まで、徒歩8分。




 ◇◇


 眠り姫(アンデルセン)の事件が解決した二日後。


 退院した柚木亜瑠花が、滞在先の叔母の家に戻る日。

 レイは1人、見舞いにきていた。


 魔女アルカは、なにやらギャアギャアと無表情で文句を言っていたが、動画でも観ていろと古いタブレットを渡してアパートに置いてきた。


 亜瑠花はよく笑い、よくはしゃいだ。


 再会した日は、階段から落ちた日であり、ほとんど話せなかった。


 実質、今日が初めてのようなものだ。


 亜瑠花としては、話したい事は山ほどあったろう。


 レイも、うんうんと聞いてやる。

 はたからみれば、二人は仲の良い兄妹に見えたろう。


 ふと会話が途切れた一瞬。

 亜瑠花が呟く。


「レイくん、彼女できたでしょ」


 突然そう言われて、口に含んでいたコーヒーを吹き出した。


 ハンカチで甲斐甲斐しくそれを吹いてあげながら、亜瑠花は最初笑って、その後にポロポロと泣いた。


「あーあ、図星かあ。そうかあ。そうだよねえ」


 違う、そんな事は無い。

 そう言うつもりだった。

 しかし、口から出たのは全く違う言葉だった。


「なんでそんな風に」


 間の抜けた、誠実さにも欠けた、ずるい返し。

 しかし亜瑠花は涙目のままもう一度微笑んだ。


「レイくん、自分の顔、あんまり見てない?今のレイくんは、全然無表情じゃないよーーまあ私は、十二年前のあの頃から、レイくんが無表情だなんて思った事、一度もないけどね」


「亜瑠花ーー」


 無表情ではない。

 そうなのか。

 わからない。


 ならば自分の「人形の呪い、或いは呪縛」は解けたのか?ーーならばそれは、アルカのーー?


「でも」


 亜瑠花の表情が真剣な厳しいものに変わる。


「これ、やきもちで言ってるんじゃないよ。()()()()()()どんな人か知らないけど、わからないけど、その人は駄目」


「え」


 亜瑠花の小さな手、細い指が、レイの心臓を真っ直ぐに指差す。


「日本に来てから、まるで誰かから魔力を授かったみたいに、『見える』ようになったんだよーーレイくんの影、消えてない。心臓のところに集まってる」


 その刹那。


 レイは心臓の「声」を聞いた。

 それは言葉ではなく、激しい哄笑だった。鼓動が速まり、炎の熱は血液に乗り体内を駆け巡る。


 今朝、確認したばかりだ。

 今まで拳大だったアザは、その2倍以上の大きさに膨れ上がっていた。


 レイは胸に手を当て思考する。


 気付いたのは今朝だった。


 魔女のせいではない。

 彼女は何もしていない。


 心臓の力が増大して、魔力を吸い取ろうとするなら、最初の犠牲者はアルカだ。

 メリットがないーー昨夜、肌を重ねた時にも、何も言わなかった。

 気付いていなかった。


 思いあたるとすればーー金魚。


 あの魚怪に魂を抜かれたアルカを救う為、炎の心臓に体の一部を譲り渡すと、内なる悪魔と契約した。


 その代償か。


 思えば、そのアルカと契約したのは、目の前の柚木亜瑠花を救うため。


 女達は自分が巻き込んだようなものだから、自業自得の部分はあるが、しかし救おうとすればするほど、自分の肉体が失われてゆく。


 これはとんだ「幸福の王子」だ。


 レイを昏い思考の檻から引き戻したのは亜瑠花だった。


「レイくん」


 亜瑠花が、ヘイゼル色の瞳を真っ直ぐに向けてくる。


「私は、落ち着いたらまた修行を再開して、今度こそかならず、レイくんの助けになる力をつけてくる」


「だから、それまで。絶対に私意外の女の人に、心を許さないで。私がーーレイくんを助けたあとで、レイくんがその人を選ぶなら、それでいいから。いやだけどそれでいいから、それまでは、その人を信用しちゃ駄目」


 胸に顔を押し付けながら、亜瑠花きっぱりとそう言った。


 レイは答えなかった。


「駄目だよ、信用しちゃーー(私の姿を盗んだ女なんかを)」


 最後の一言は、口の中で消えた。

 ヘイゼルの瞳が、切なく狂おしい光を、宿していた。


 ◇◇


 亜瑠花は叔母の家に滞在していた。


 退院してから一月ほど。

 肉体の損傷は完全に回復したが、亜瑠花はまだ1日のほとんどを、ベッドで過ごしていた。



 自分が凡人なのをよく知っていた。


 頭も良くない、運動も苦手。

 服のセンスも、手先の器用さも何も無い。


 唯一、容姿だけはほんの少し「かわいい」のではないかと自負していたが、それだってレイと並んだら霞む。

 だから、努力した。

 笑われても、馬鹿にされても、少しでもレイの力になる為に。


 頑張る自分に酔っていた傾向は否定しない。

 でも努力の結果、柚木亜瑠花は本物の魔女になった。


 たとえ、おままごと程度の力しかなくとも、正式に認められた資格がとれたのは誇りだった。


 あの日、転落死するまでは。


 いや、一命は取り留めた。

 しかし、あの日、柚木亜瑠花という存在は死んだ。


 病室にやってきた白衣の男は、ミカエラと名乗った。


 表向きはセミナー講師の霊媒だと言っていたが、実際はカトリックの教会から派遣されて、魔女を追うものだと言った。


 魔女に関わる事件を追い、亜瑠花に辿りついたと言った。


 ミカエラは調書を見せながら、事実を伝えた。


 レイと魔女の取り引き。

 レイが魔女を支配し、従えたということ。

 レイと魔女には、濃厚な接触が今もあると言うこと。


 嘘では無いことは、身体の感覚で、なんとなくわかった。


 こっそりレイのアパートを見に行き、二人が同じ屋根の下で暮らしているのを知った。


 もう一人の自分が、レイと睦まじくしていた。


 レイたちが持っていたハンバーガーの包み紙を見たせいで、今はその店のCMを見るだけで憂鬱になってしまう。

 二度とハンバーガーは食べられないだろうと思った。



 亜瑠花は、自分の姿をしたものが、レイと交わり、レイを受け入れた事を知った。

 レイもまた、柚木の姿をした「それ」が、柚木で無いことを知りながら抱いたのだと知った。


「がはっ、う、うえぇ」


 洗面所で、柚木は吐いていた。

 激しい生理的嫌悪感。


 怖気が走った。

 知らぬ間に、穢されたと思った。


 自分のこの体は清浄だ。

 だが、そのコピーが、穢れているなら、自分もまた穢れているのと同じだと思った。


 まるで寝ている間に乱暴されたようなものではないか、あんまりだ、と嘆いた。


 さらに、その相手がレイだというのが、絶望だった。


 16年生きてきた全てを、魔女に奪われたと感じた。


 レイへの想いは、どこかで「片思いでもいいんだ」と割り切った、恋に恋するようなものでもあったのは、自覚していた。


 だから、ふられたのなら、泣いて諦めたろう。


 しかし、レイは自分のコピーに奪われたのだ。

 自分の体、自分の顔。しかし魂だけが違う悪魔に。


 自分と全く同じ肉体コピーが、自分の知らない感覚を味わい、自分の知らない熱をレイと共有した。

 それは精神的な強姦に近い衝撃を彼女に与えていた。


 幼少期からレイを「騎士ナイト」として慕い、イギリスでも彼を助けるために、彼女なりに必死に修行してきた。


 その積み重ねてきた時間が、後からやってきた「魔女」という圧倒的な力を持つ存在によって、一瞬で、しかも「自分の姿」を利用される形で奪い去られた


 しかもレイの動機は、亜瑠花を救うためーー自分の命を救う為の取引が発端だという。


 柚木亜瑠花は、生まれてはじめて、本気で殺意を抱いた。


 グラストンベリーの街にいた時には、憧れ、親しみさえ覚え、だからこそなりたいと思った「魔女」という存在を呪った。


 魔女を滅したいと、心から望んだ。


 しかし凡人の自分が、レイすら手玉にとった怪物に敵うはずもない。


 それはこの先、たとえ何年修行しても変わらない事実だろう。


 柚木亜瑠花は今まで、自傷という行為を行う人に、同情こそすれ、その心情は理解出来なかった。


 だが、今ははっきりとわかる。


「私、死んじゃうのはアリですか、レイくん」



 洗面所から戻り、ベッドの上で虚ろに呟く。

 しかしーー


「ダメだ。それじゃ、魔女に本当に全部奪われちゃう」


 柚木亜瑠花が、いま命を絶てばーーレイは悲しむだろう。


 レイが魔女と行った取り引きが無駄になるのは申し訳なく思う反面、少し、ざまを見ろという気持ちがないわけでもない。


 傷跡を好きな相手に残し、たまに思い出してもらうーー仮に弄ばれ捨てられたなら、そういう選択肢もあったかもしれない。


 しかしーー

 魔女がいる。


 自分がいなくなれば、魔女は嗤うだろう。


 自分と完全に入れ替わり、戸籍も家も、なによりレイも手に入れて高笑いするだろう。


 魔女が今、積極的に亜瑠花に手を出さないのは、レイの手前があるからでしかないと、ミカエラは言った。


 今死ねば、無駄死にどころの騒ぎではない。


 思考の袋小路。

 どうしようーーどうしよう。どうしたら。


 答えは出ないまま、時間だけがすぎてゆく。



 こんこん。


 ノックの音ーー。


「やっほ」


 叔母の亜美が食事を持ってきてくれた。

 トレイの上に、小さめの茶碗。


 亜瑠花の好きなフレンチドレッシングをかけた瑞々しいグリーンサラダ。

 小さめの唐揚げと、横のスープはボルシチだろうか。


 端にはオレンジジュースまで添えてある。

 サラダの新鮮な香りが、食欲を誘う。


 死ぬほど落ち込んでいても、お腹は空く。

 どんなに悲しくて辛くても、食べ物はおいしい。


 そんな事を考えるのは自分だけかな、他の人は、こういう時「いらないっ」と叫んで、食べないのかな。


 亜瑠花は、そんなのは違うんじゃないのかな、と思う。

 ドラマでよく、こんなのいらないと、叫んでいるヒロイン達は、じゃあみんな餓死してるの? と思う。


 悲しい悲しい死んじゃう死んじゃうーーそう叫ぶヒロイン達が、餓死で終わるドラマを亜瑠花はしらない。


 ならやっぱり、画面の外でぱくぱく食べてるに違いない。

 そして彼女らは、血色良いナチュラルメイクで、カメラの前で叫ぶのだーー死にたい!と。


 そんなヒロインは嘘だ。


 いや、既にドラマの最終回を待たずして「負けヒロイン」になっている自分が言うのはおこがましいかーーしかもゲロインだよ私ーーそんな自嘲の泣き笑い。



「おいしそ」


「めちゃうまよ。特にボルシチ、冷めないうちに食べてね」


 亜美ーー柚木亜美がウィンク。


 日本に滞在中、亜瑠花は叔母の亜美の家の一室に住まわせてもらっていた。


 亜美は母の妹にあたり、亜瑠花をよく可愛がってくれる、良き叔母さん、だ。


「あい、たべまふ」


 無理におどける亜瑠花を見て、一緒、辛そうな目をした亜美だったが、声はあくまでも優しかった。


「泣いてたかい?」


「んー。少し寝ちったみたいデス。平気だよ。あー、サラダおいし!」


「後で下げにくるね。無理すんなよ階段落ち娘」


「もう元気だよう。でも甘えちゃう。下げにきて」


「はいはい」



 亜美は部屋を出る。


 何か、階段から落ちただけじゃない出来事があったのは、察していた。おおかたーー


「レイくんに振られちゃったのかなーー」


 たぶんそんなところだろう。


 無理もない。

 憧れの王子様といっても、向こうからしてみれば、子供の頃以来、会ってもいないただの幼馴染。


 しかもハンサムで二十歳の大学生ともなれば、それは彼女くらいいるだろう。


 むしろ、ちゃんと振ってくれたのなら、誠実だったと言うほかない。


 だけどーーだけどやはり。



「見ている方は、辛いんだよねえ」


 亜美は小さく溜息を吐き、階段を下りていった。


挿絵(By みてみん)


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