ステンドグラスの少女①
【Lyrical Fantasy】
―The Girl in the Stained Glass―
神木玲也 11歳
大雨の日だった。
学校からの帰り道、傘をさし、小走りに信号を渡っていた時――それは襲ってきた。
脚の長い、獰猛な猟犬。
サルーキという犬種名は、あとで知った。
おそらく、レイの心臓に惹かれた魔物にでも憑依されて、飼い主を振り切ってきたのだろう。
その目は正常ではなく、牙の隙間からは瘴気のようなものが漏れており、ひどい悪臭がした。
喉笛に牙が迫り、あわやという時だった。
銀色に輝く光を見た。
光は、まるで稲光のように犬を撃ち、猟犬は「ギャン」と一声吠えて、逃げ去った。
レイは起き上がり、光を発した救い主を見た。
同じくらいの年齢の少女だった。
手にはロザリオが握られていた。
彼女は静かに一礼して、何も言わずに雨の中に消えた。
レイは彼女を知っていた。
瑠璃川エリカ。
たしか、先週レイの学校に来た季節外れの転入生。
世田谷の有名なミッションスクール、聖星楓学園の理事長の孫娘「だった」という。
クラスは違うが、学校ではちょっとした有名人だった。
◇◇
翌日。
レイは学校で彼女を探した。
礼を言うため、なのはもちろんだったが、もう一つ、縋りたい理由があった。
魔物を呼ぶ呪われた心臓の痣。
彼女なら、封じてくれるのではないかとの淡い期待だった。
一度、もと巫女の母に縋った事があった。
しかし、母には取り合ってもらえなかった。
理由はシンプルだ。
「だって、心臓を封じたら、玲ちゃん死んじゃうでしょ」
だから、身内には頼めない。
誰にだって頼れない。
だが、もしかして――
もしかして、結果として心臓が止まろうとも、邪悪な怪異を祓う事を優先する人物なら――
例えば、敬虔な聖職者のような人物なら。
子供ならではの身勝手な考え――レイは、できる事なら、瑠璃川エリカに、殺してもらいたかったのだ。
◇◇
「どうしたの、続けなさい」
水筒の紅茶を、キャップから優雅にすすりながら、長い睫毛を伏せ、アルカが促す。
レイはその仕草を見ていた。
水筒のキャップで、こんなにも優雅に紅茶が飲めるものなのかと、少々感心しながら。
するとアルカは、飲み終えた空のキャップを、「ふんっ」と道端に振って汁気を飛ばし、また優雅な手つきと表情で、くるくると水筒に取り付けた。
「いや、そんな表情しても、もう色々台無しだからね? 今の、ふんっで終わってるからね」
「わかったわかった。ふふん、それでその百合川マリカとはその後、どうなったの。早く続きを惚気なさい」
「瑠璃川エリカな――そろそろ着くから、また後で話そう」
路地を曲がると、目的地の古屋敷が見えてきた。
門には「瑠璃川」と書かれた御影石がはめられていた。
◇◇
呼び鈴を押す。
「はい――」
上品そうな、高齢女性の声が応える。
「ご依頼の件で参りました。神木です」
「今、迎えの者が参ります。お待ちください」
(迎えに来る――)
ドキン。
炎の心臓ではない、ごく普通の鼓動。
緊張による動悸。
(ばかな――何を期待した。彼女が、瑠璃川エリカがここにいるはずがないんだ)
玄関が開く。
陰気そうな女性ヘルパーが門の内鍵を開けに来て、レイの顔を見て一瞬、はっとなり、テキパキと案内する。
「ささ、どうぞ、神木様でしたね――芸能人の方みたいでいらっしゃって、まあ――」
顔を赤らめるヘルパーに、最近覚えた、斜めから見下ろす作り笑顔を向けてやる。
「痛っ」
なぜか、無表情でアルカが膝裏を蹴った。
◇◇
リビングに向かう廊下の途中、一枚のパネルの前で、レイは思わず足を止めた。
一枚の、ステンドグラスのパネル。
赤、紫、グリーンなどを基調に作られた、一枚の、美しい少女のパネル。
「瑠璃川はるか――エリカさんのお母様がモデルなのでしたね」
「まあまあ、いえ私は最近入ったもので、よくわかりません、すみません」
謝るヘルパー。
「謝らないでいいと思う。今のはどう見ても、この男の無茶振りだ」
今日のアルカは、いつもより少し、辛辣だった。
「はいはい、早く終わらそう」
実際、今日の依頼は簡単なものだ。
古い倉庫に住み着いた、おそらく野良の怪異を、ただ退治するだけだ。
場合によってはアルカのヤツザキ一発で片がつくだろうと、レイもタカを括っていた。
紹介者の根津も、同行を辞退した、単純な退治依頼。
――そして、依頼人の名が「瑠璃川」だったのも、偶然だった。
◇◇
「ごめん、神木くん。私はあなたを殺せません」
瑠璃川エリカが、頭を下げる。
当たり前の答えだ。
何を馬鹿な期待をしていたのだ。
それはしかたない――そう思いつつ、レイはエリカの、動くたびに光を捉え、弾く長く艶やかな黒髪を見ていた。
「か、神木くん? ちょっと、どうしたの。恥ずかしいよ」
髪を押さえ赤くなるエリカの表情もまた、美しく見えた。
「なぜだろう。瑠璃川さんは、とても綺麗だね」
「は、はい?」
お嬢様らしく大声こそ出さなかったものの、エリカは動揺し、その視線は何度も床とレイの顔を往復した。
「神木くんくらい美しい顔した人が、そういう事を言いますか? からかってますか?」
真っ直ぐに綺麗と言われた嬉しさと、恥ずかしさで、その表情が目まぐるしく変わった。
――それが、それこそがレイが彼女を美しいと感じた理由だった。
瑠璃川エリカは十分に恵まれた容姿はしていたが、しかしパーツの作りそのものでいえば、レイは完璧であり、比較にはならない。
しかし――
「僕の顔は美しくないよ。ただ正解を見て並べた福笑いみたいな、全くつまらない顔だ。だけど、瑠璃川さんはくるくると万華鏡のように表情が変わるし、どの表情も綺麗だと僕は思うよ」
気の毒な瑠璃川エリカは、完全に両掌で顔を隠してしまう。
「それじゃ、僕は帰るね。瑠璃川さん、変なお願いして本当にごめんね」
そのとき、エリカは顔を覆った掌の指をすっと開き、黒い瞳でレイを見て、言った。
「神木くん、あなたを殺してあげることはできないけれど、守る事はできるかもしれません」
「いや、それはだめだよ瑠璃川さん。危険だ。他人を巻き込むわけにはいかない」
「殺してくれというのも、ずいぶんな巻き込み方だと思うのですが」
「いや、それはそうだが、そっちはそれほど危険じゃないから」
あまりの言い草に、吹き出してしまう瑠璃川エリカ。
「なら、他人じゃなければ良いのでしょう。私の恋人になっていただけませんか。期間限定ですが、その間に恋人として出来る事はなんでもいたします」
「瑠璃川さん、それはどういう――」
流石のレイも面食らって、言葉に詰まる。
「3か月。3か月後、瑠璃川エリカという人間はいなくなるんです――あ、死んでしまうわけでは無いですよ」
「お恥ずかしい話ですが、母が不義を働いたとかで――不義というのはよくわからないのですけれど――とにかく今は瑠璃川の家を出されて、3か月後には母と海外に行くんです。その時、瑠璃川の名前は置いて行きます」
「瑠璃川さん――凄く、嫌で失礼な事を言うけれど、話を聞くと、瑠璃川家から去らなければならないのは、お母さんて事だよね。君は、お父さんについて瑠璃川エリカのままでいる選択もできるはずだよね」
「私は母と行きます。母を思って、ばかりが理由ではありません」
寂しそうな微笑。
「私、とても母親似なんですよ。わかりますよね、この意味が」
「ああ、そうか」
レイは理解した。
自分達が追放した、憎い相手に年々似てくる娘。
それは――瑠璃川家にとってもエリカにとっても、あまり良い展開はもたらさないかもしれない。
「だから」
エリカの黒い瞳が、輝く。
「私は、日本に住む瑠璃川エリカでいられるうちに、せめて一度は、恋をしてみたかったんです」




