魚怪の罠と訪れし巫女③
【Japanese-inspired fantasy】
The Fish-Fiend’s Snare and the Shrine Maiden’s
ピンポンピンポンピンポン――
ピポピポピポピポ!
連続して呼び鈴が鳴っている。
鍵を閉めたままだった。
「はいっ! はい、今出るから!」
ドアを開けると同時に飛び込んでくる、美しい母。
「玲ちゃん!」
溺愛の母は、ガバッと息子を抱きしめた。
窒息せんばかりに締め付ける。
清廉な椿の香り。
懐かしい母の香り。
こうして会うのは、二年ぶりだった。
チャポン!
ガラスケースの金魚が、跳ねた。
感慨に耽っている暇はない。
レイは母の体をぐいっと押し退ける。
「メールで事情は説明した通りだ。あの子、柚木亜瑠花が、ここで倒れたきり意識が戻らない。誓って変な事はしていない。母さん、アルカを助けてくれ」
早口でまくしたて、倒れているアルカを指さす。
その顔に、白いタオルが乗っている。
麗子はそれを見てがっくりと膝をついた。
「ま、間に合わなかったのね!」
「えっ!」
レイは慌ててアルカに駆け寄った。
脈を確認する。
ほっと一息つき、タオルを額に戻した。
「生きてるから! こいつ、凄く寝相悪いからズレたんだ!」
チャポン!
ガラスケースの金魚が、跳ねた。
「幼馴染の女子高生の寝相が悪い事を、息子が知っているなんて」
チャポン!
金魚が跳ねた。
「しかも、その子に変な事をして昏倒させてしまうとは」
チャポン! チャポン!
金魚が、連続して跳ねた。
バシャン!
水しぶきまで上げた。
「ああ、なんてこと――でも大丈夫よ玲ちゃん! 母は何があっても味方です」
「状況が俺を最低最悪の犯罪者にしているのはわかってるから! 今すぐ信じろとも言わないから!」
アルカの手を握って必死の形相のレイ。
――必死の形相?
自分でも不思議だった。
少し前までは人形とまでいわれた無表情の自分が。
むしろ、今は目の前の白い雛人形のような母よりも、表情豊かなのではないか。
「まあ、玲ちゃんを少女誘拐殺人犯にするわけにはいきません。少しお待ちなさい」
麗子は、手にした桜色の長い袋から、金属製の鈴と木製の柄を取り出し、組み立てた。
神楽鈴。
巫女が儀式でシャンシャンと鳴らす錫杖だ。
持ち運ぶ為に、分解できるようになっている。
「巫女装束ではないけれど」
スックと立ち上がり、アルカの前に立つ。
が、次の瞬間、すぐよろよろと膝をついてしまう。
「どうした、母さん。敵か?」
麗子は、口元を押さえた。
涙ぐんでいる。
「……臭い」
か細い声。
レイはすっかり慣れてしまったが、アルカの身体からは常に没薬の甘い香りが漂っていた。
これでは邪気が祓えないと麗子が言うので、レイは窓を全開にし、扇風機と換気扇を回し、空気を入れ替え、ファブリーズをまいた。
この間十分。
ガラスケースの金魚が、パチャパチャと激しく飛び跳ねた。
没薬の匂いが薄れると、麗子は椿の香料を部屋にまいた。
控えめな、バラを薄めたような上品な優しい香りで部屋が満たされる。
金魚が、またパチャパチャと暴れ始めた。
外に出そうかとも思ったが、直射日光の当たるベランダでは夏の暑さで弱ってしまいそうだ。
「はじめます」
錫杖を構えて、天津祝詞を唱え始める。
「むっ」
母の雰囲気が、変わった。
レイは、それを感じた。
先ほどまでの柔らかい空気が、消える。
清浄な水――いや、氷の結界のような神気が立ち上る。
高天原に神留坐須
神漏岐神漏美乃命以て
皇御祖神伊邪那岐命
筑紫日向乃橘小戸阿波岐原に
御禊祓給ふ時
生坐祓戸乃大神等
諸々乃禍事罪穢を
祓給へ清給へ
と申須事の由を
天神地祇八百万神等共
天の斑駒の耳振立て聞食世と
恐み恐みも白す
シャン!
最後にひときわ大きな音を立てて、杖が振るわれた。
「そこです」
麗子は、アルカの方を向いたまま、左手で真横を指し示した。
そこにあったものは――
チャポン!
金魚が、跳ねた。
麗子の指先から、光が放たれた。
霊気の矢。
それが、金魚を貫く。
金魚は、腹を上にしてぷかりと浮かんだ。
絶命したようだった。
同時に――
ぱちくりと目をしばたたせながら、アルカがガバッと起き上がった。
◇◇
「よかった。本当に大きくなったのね、亜瑠花ちゃん!」
どうやら、一件落着したようだ。
「アリガトウゴザイマス、オカアサマ」
「無事でよかった。あなたはあの金魚に魂を吸われていたのね」
「ハイ、タスカリマシタ、オカアサマ。レイクンニモ メイワク カケマシタ」
言葉遣いに気をつけすぎて、逆に発音がおかしくなっているアルカだった。
「しかし縁日の屋台にあんな悪魔だか妖怪が紛れていたなんて。しかもなんの邪気も感じなかった」
麗子は、ニコッと笑いながら「玲くん、修行、サボりすぎてたんじゃないの?」と辛辣に言った。
どうも、アルカがくっついていると機嫌が悪いようだ。
「そ、それじゃあ母さん、積もる話はあるけれど、俺はとりあえずアルカを送ってくる」
(え、私はどこに送られるのだ?)
(いいから、話を合わせろ)
「あらあら。小声でひそひそ、仲が良くて母さん妬けてしまうわ」
上品に座布団の上に正座しながら、麗子が手を振る。
「玲ちゃん、今夜一晩泊まったら明日一番で帰るから、亜瑠花ちゃんを送ったらすぐ帰ってきてね」
麗子は、微笑んだ。
「二人で変な場所に行ってはいけませんよ」
笑っているが、笑顔が怖い。
「もちろんだよ母さん」
「モチロンデス オカアサマ」
(なあ、私はどこに泊まればいいのだ?)
(駅前のカプセルホテルで勘弁してくれ、金は渡す。すまない)
若いカップルがひそひそと話しながら出ていくのを、背筋を伸ばして正座しながら、笑顔で見送る麗子だった。
◇◇
二人は出て行ってしまった。
麗子は、笑ったままだった。
「玲ちゃん、あんな風に笑ったり、焦ったりするようになったのね」
チラリと、金魚の死体を見やる。
「でも霊力は全然ね。邪気を感じない? 悪魔か妖怪? 見当外れ」
麗子は、微笑んだまま呟く。
「そもそも式神に、邪気はない」
「子供の頃から用心深く、自己肯定感が低くなるように、前向きにならないように育ててきたのに――台無し」
「修行もできず、霊道具も買えないように、仕送りも絞ったのに」
麗子の微笑みが、深くなる。
「あの魔女のせいで、台無し」
「間に合わなかった」
麗子は、金魚の死体を見つめた。
「もう少しで、金魚の中であの女の魂は溶けたのに。私の方が早く着いてしまった」
「まあ、とは言っても、この部屋で死体が出ても困りますし」
麗子の計算外は、レイが心臓の力でアルカの肉体を救っていたことだった。
予定では、事切れた魔女の遺体の前で途方に暮れるレイの前に現れて、「なんとかしてやる」と言って連れ出すつもりだった。
「あんな普通の顔をするようになるなんて」
麗子は、凛とした姿勢を崩さない。
「母さん、悲しいわ、玲ちゃん」
その周囲には、椿の匂いと、鋭い霊気が舞っていた。
◇◇
椿の花言葉。
「完全な愛」
「罪を犯す女」
魚怪の罠と訪れし巫女
The Fish-Fiend’s Snare and the Shrine Maiden’s
Episode 完
◇◇next episode◇◇
ステンドグラスの少女
―The Girl in the Stained Glass―




