謝罪があっても仕返しますが?
「心労がたたったんだと思う」
婚約者のマイルズは、ベッドの上で嘆くように言った。
彼の目には酷いクマがあり眠れていないのだろう。そんな彼にウェンディはとても優しい表情をしてそっとその背中に手を添えた。
「大丈夫ですわ。マイルズ、そう思い悩まなくてもいいんです。あなたの体が弱いことなんてわたくしはずっと前から知っていますから。サポートします」
「……でも、教師からの印象も悪くなる」
「出席率以外で目をかけてもらえるよう、課題を頑張りましょう? これでも教えられることは多いんです」
「嬉しい、でも例えば私が伯爵家跡取りの地位なんかじゃなければ、無理してこんな場所に来なくてよかったのにな」
「……」
彼は青白い顔のまま、いらだったように口にする。
マイルズはウェンディの婚約者であり、シューリス伯爵家の跡取りだ。
下には弟もいてマイルズは幼い頃から体も弱かった。そして突出して誇れる才能もない。
だからこそ地道に、しかし確実に魔法使いという資格を得られる魔法学園に通って実績を作るのはとても大切なことだ。
しかしそれは、同時に跡取りの地位でなければこんな風に週に一度は体調が優れない日がありながらも学園に通う必要はなかった。
その地位はすでにウェンディとの婚約によって決定していて、つらさ故にウェンディに当たってしまうマイルズの気持ちもウェンディは察した。
だからこそ無言で返す。
「つらいけど、君のためにも頑張るしかないよな?」
問いかけられて、その言い方には少し引っかかるものがある。
けれども、週に一度はベッドから出て活動するだけでも気持ち悪くなってしまうほど体調を崩すというのに、踏ん張らなければならないつらさ。
それでも教師から特別扱いされる訳でもなく健常な人間と同等に努力しなければならないことを鑑みれば支えようと思える。
頑張ってくれてありがとうとは言わないけれど、ウェンディは自分の中でできる限りのことを提示する。
「……そうですね。わたくしも応援していますし、手伝います。あなたが頑張ってくれる気持ちにわたくしも応えたいんです」
「……例えば?」
「課題への助言やテスト前の勉強、できる限りのことをしますよ」
「はぁー…………もっとさ、かわいそうな私を楽させてくれてもいいんだ。私はこんなに体がつらいんだから、課題の肩代わりぐらい、テストで君の回答に私の名前を書いてくれてもいいのに」
マイルズはつぶやくように文句を言って彼は、もっと自分が楽をできる方法を提示してくる。
たしかにそれは、今は楽に過ごせる方法かもしれないが、将来、魔法使いの資格を取ったときに困るのは彼だ。
彼のためには一つもならない。
体がつらいときにそういう楽をしたくなるのもわかるけれど、ここは言うべきところだろう。
「いいえ、マイルズ。そうしたとしても結果的にはもっとつらい状況になるだけです。わたくしは将来のあなたのためにそれをするのが正解だとは思えません」
「チッ」
「……」
「じゃあもういい、私はもう寝るから」
「……はい、おやすみなさい。行ってきますね」
「……」
ウェンディの言葉に舌打ちを返して布団をかぶる彼に、行ってきますと挨拶をする。
登校前にこうして、マイルズが体調を崩しやすい月曜日に顔を出すのは日課で、いつもそう挨拶をするのだが、最近は返してくれないことが多い。
それでも、甘やかすばかりが人を愛するということではないだろう。
今はウェンディもマイルズも堪える時なのだ。そう自分に言い聞かせて、彼の部屋を出た。
学園街の朝市には、この地方特有の珍しい食材などが並び中央広場を賑わせている。
その中には学園寮の食堂では出てこないような滋養強壮たっぷりの食材があると聞いてウェンディは顔を出していた。
そばには好奇心でついてきた友人のジャックがいる。
彼は人相悪くあちこちににらみをきかせていて、まるでこの中に敵でも潜んでいるかのように警戒していた。
なにがそんなに彼を過敏にさせているかわからないが、ウェンディは物珍しくみずみずしい食材たちに心が躍っている。
活気のいい人々の声、果物の匂い、すんだ朝の空気そのすべてが、非日常感を演出していて胸がドキドキして、見物しているだけでも楽しい。
「それで、あの女がな!」
ふと聞き慣れた声がした気がした。
人々の喧噪に紛れて、朝市とは違う方。
路地から出てくる、集団が視界の端に見えて改めて焦点を合わせようと振り向く。
「っ」
「み、見るな!」
不意に背後から目を手で覆われて、ジャックの手のひらしか見ることができない。
しかし、ウェンディは彼がなにを思ってそうしているのかなど気にせずに、腕をつかんでぐいっと下に引っ張った。
「見るなよぉ……」
ジャックはとても残念そうにそう言うが、ウェンディはしっかりと視界に捕らえた。
週初めの朝市を通り過ぎ学園寮へと戻ろうとする一団。その中にはマイルズの姿があった。
声が大きく、足は千鳥足で、ヘラヘラしながら歩いている。
「今日はさすがに会えないな! まぁ会えないほど参っていると言えばいい! それにしてもあの女! あの女お高くとまって偉そうにぃ! むかついてこんなになるまで飲んじゃっただろ!」
マイルズは楽しそうだった。
そしてきっとウェンディのことを話題にしている。
「はぁーむかつく、あんなに言ってんのに、お前のやった課題を寄こせっての! ばぁか!」
「アハハハッ」
「うぁ、最低だなお前!」
「うるせー!」
ゲラゲラと笑って、進んでいく集団は学園へと戻っていく。
その背中を見送って、ウェンディはさすがに買い物という気分ではなくなってその場に立ち尽くしていた。
背後から「だから見るなって言ったのに」ととても残念そうな声が上から響く。
「ウェンディ? なぁ、ウェンディ、ショック受けてるのか? だから見るなって言ったろ、どうせいつかばれるにしたって、あんなところ見なくたって知らなくたってよかったろ?」
「……」
「だから見るなって言ったのに、おい、泣かないでくれよ? 俺お前が泣いててもどうしたらいいかわかんないからな?」
「……」
「それに俺も悲しくなるし、涙もろいんだ、そうは見えないだろ?」
聞きながらウェンディの前に回って、とりあえずウェンディの頬を拭って見るジャックは、面白いことを言って笑わせようとしているらしかった。
しかし、ウェンディは涙などにじんですらいない。
ただ、無表情でしゃがんでウェンディのことを伺っているジャックのことを見下ろした。
「なぁ、何考えてる?」
「……」
「……ウェンディ……」
割としつこい彼に無言を返すと、小さくつぶやくようにジャックはウェンディのことを呼ぶ。
「……ええと、ジャック」
「ん」
「なにを考えているかですか?」
「うん」
「なにも」
「……」
「特になにも、行きましょう。ジャックはなにか欲しいものありますか?」
「えー……何も考えていないってなに」
「わたくしはあの露店が気になりますわ。見てみましょうか」
ウェンディはそのまま、少し微笑んで前に進んでいく。一方ジャックはやっぱり心配そうに彼女の後ろを早足でついていったのだった。
「ウェンディはなにがしたいんだ?」
不安そうに問いかけてくるジャックに、ウェンディは彼にチラリと視線を向けた。
ウェンディはいつも通り、週の頭に休んだマイルズに伝える連絡事項や、今日の授業内容を網羅したノートをまとめている。
その最中なのだから、なにがしたいかと問われれば早くこれを届けて部屋で休みたいが答えだった。
しかし、わざわざそんなわかりきったことを聞くわけもないので、きっとここ最近のウェンディの行動についての問いだろうと考える。
教室でわざわざする話でもないと思うが、答えられない訳ではない。
「なんでなんも言わないで今まで通り言うこと聞いてやってんだ? 嫌じゃなかった?」
「……」
「それとも……なんだろ。自分なしじゃだめにしようとしてるとか……? 全然わかんないんだけど」
大きな体を小さくして、机の上に腕を組んでそこに顔を乗せてジャックはウェンディを見上げた。
「……いずれわかりますわ。寮の談話室にいれば詳しくわかるかもしれませんわね」
「なんで他人事なんだよ」
「……」
「最近俺のこと無視する」
「いいでしょう、ミステリアスで」
「よくない。何考えてるのわかんないし」
「ふふふ」
笑いながらウェンディは手を動かす。こうなる以前からジャックはいい人だとは思っていたけれど、最近は彼のことがそれなりに心の支えになっていた。
ウェンディは、ここしばらく寮の談話室で時間を過ごしていた。
部屋の方で待ち構えていてもよいのだが、こうして人の目がある場所の方がより効果的だろうと考えてのことだった。
斜め横の席に座っているジャックは退屈そうに周りを見たり、ウェンディが本を読んでいるのを眺めたりしていた。
周りには情報交換をしている男子生徒や、噂話に花を咲かせている女子生徒がおり、多くの人が往来していた。
そこへと、キョロキョロと捜し物をしているような様子でマイルズが入ってくる。
本を読みながらも視界の端でその挙動は他の寮生と違って目に入り、ウェンディは本から視線を上げて、彼を見た。
目が合ってもマイルズは周りを気にしていてすぐに声をかけることはないが、おずおずとそばにやってきて「ウェンディ」と小さく呼びかけた。
「なんですか」
短く答えると、マイルズは不機嫌な表情で、つぶやくように言った。
「話があるんだ、応接室か私の部屋に――」
「何の用ですか」
マイルズが場所を変えたがっていることをわかっていながら、ウェンディは問いかけた。
実のところ理由など分かりきっている。
ウェンディは数週間前からパタリと彼に対するサポートをやめていた。
それについての話だろう。
ジャックもチラリとマイルズのことを見る。
ジャックの視線を受けて、マイルズはさらに嫌そうな顔をしつつも「二人きりで話すべきことなんだ」ととても深刻そうな声を出す。
「何の用ですか」
しかしウェンディは彼の言葉など聞こえていないかのようにまったく同じ問いを返す。
「っ……」
眉間にしわを寄せて、小さく拳を握るマイルズだったが、「チッ」と小さく舌打ちをしてから、かたくななウェンディに折れて用件を話し始めた。
「……最近、君が顔を出さなくなってから、すでに教師に何度も釘を刺されてる。私は体が弱くサポートを必要としてることをわかってるだろ。頭がよくて教師からの信頼が厚い君からの口添えもなくなって、いよいよ、教師も私のこと見限ってる」
「……」
「この間の課題だって休んだ日に出されたものだ、内容も知らないし、それを提出しないことには進級も難しいと言われた。いつも通り、手を貸してくれるだろ? 忙しくて、私を気遣えなかったことを怒ったりしない」
「……」
「提出物をすべて用意しろとは言わない、いつも通り、婚約者として助けてくれるだけでいいんだ」
マイルズの言葉にウェンディはやはりそれかと納得して、鞄からマイルズのために用意していた紙束を机の上に出した。
「ああ、なんだ。用意してくれてたんだな」
少しほっとして、それからテーブルの上に手を伸ばそうとする彼の手を遮って、ウェンディはそれを胸に抱いた。
「……」
「……ウェンディ?」
不思議そうに問い変えてくるマイルズにウェンディはとても平坦な声で、言った。
「惨め」
「は?」
「惨めですわね」
聞き返されたので二度、惨めと発言する。
「でも、足りませんわ。マイルズ、助けを願うには頭が高い、なんであなたそんなに偉そうにしているんです」
マイルズはあまりの衝撃にきょとんとしていて、紙束に手を伸ばしたまま硬直してウェンディのことを見つめていた。
「そんな人に手を貸してあげるなんて、慈善活動でもあるまいし、ごめんですね。これは廃棄しましょうか」
「……」
「どうしたんですか? わたくしの成果物が必要なのでしょう? それがないと教師から進級を危ぶまれているのでしょう?」
「……」
「ならばもっとそれらしく、他人から温情を与えられるべきかわいそうな人間みたいに這いつくばって、頼み込んで無様をさらしてくださいな。マイルズ」
さらさらと何の感情もこもってないような声で、彼を踏みにじる言葉を吐き捨てる。
「惨めな思いをしても、人から助けてもらわなければやっていけないんですと言いなさい。お願いします、このご恩は一生忘れませんと言いなさい」
「は、はぁ?」
「それが人にものを頼む態度ですか? あなたはわたくしにどんなに罵られたって文句の一つも言えないほど頼り切りなのですからせめて、謝罪の一つでもして感謝を伝えてくださいませ」
「はぁッ!?」
「できないんですの?」
「ふっ、ふざけんなっ!!」
追い打ちをかけるとマイルズは怒鳴りつけるように大きな声を上げる。
朗らかな人の交流の場となっていた談話室は水を打ったように静まりかえる。
しかしマイルズの突発的な怒りは収まることはなかったようで、続けてウェンディに言った。
「お、お前!! 何様のつもりなんだ! 私は君のためにこうして魔法学園に通っていて、体が弱い中でも必死にやってんだぞ!」
「……」
「君だってそれをわかってるはずだろ! なんでそんな相手、ましてや婚約者にそんな非道なことが言えるんだ! 最低過ぎるだろ!!」
「……」
「君こそ謝れよ! 私がどれだけ苦しんで、つらい思いをして――」
「わたくしに嘘をついていたか?」
「っ」
そうではないことをわかっていてウェンディはマイルズに問いかけた。
彼は、嘘という言葉に敏感に反応して、まさかと懐疑的な表情をしている。
「わたくしに嘘をついて病弱をうまく使って、夜な夜な友人たちと遊び回って、それがやめられずに隠すのがどんなにつらい思いだったか?」
「……」
「違いますわよね。あなた、楽しそうでしたもの。何度か拝見させていただきましたけれど、わたくしのことはただの道具としか思っておらず、体よく使っていただけなんですから」
ウェンディは、睨みつけるようにマイルズを見つめる。
マイルズは小さくゴクリと唾液を飲み込んで目を見開いている。
「わたくしも、苦しみながらも状況を脱却しようとしている人を侮辱したりしません。ただ、あなただから言ったんですの。頭を下げて惨めに乞いなさい、そうでもなければ、こんなものあなたに与えたいだなんて思いもしませんわ」
「……」
「機会はこれきりです。マイルズ、謝罪と懇願をお願いします」
「……い、いつから」
「それを聞いてなんになるというのですか」
「…………」
質問に質問で返すとマイルズは黙りこくって、それからはっと周りを見る。
すでに注目は集まっていて、談話室にいた生徒たちはひそひそと彼を見ながら話をしている。
それに追い詰められたような顔をするけれど、すでに『いつから』と聞いた時点で自分のやったことを認めてしまっている。
今更訂正もできない。
そして機会は今だけだ。
「……」
後はない、マイルズには謝罪をして慈悲を受けるか、なにもせずに受け取らないかの二択しかないのだ。
しかし、答えは出ずに信じられないものを見るような目でウェンディを見つめているだけだ。
それからその瞳は、訴えかけるような目に変わる。
乞うような願うような情けない瞳だった。
「……」
「……」
しかしそれだけでウェンディが満足することなどない。テーブルの上に紙束を戻して、置いておいた本に手を伸ばす。
マイルズと向き合っている時間すら無駄に思えた。
「っ、わ、悪かった」
本を手に取ると、やっと謝罪の言葉が飛び出す。
「……」
けれどもそれだけでは足りない、視線をやるとその意思が伝わったらしくマイルズはぎこちなく頭を下げて、再度「悪かった。助けてほしい」と謝罪した。
おずおずと顔を上げた彼の前に、紙束を差し出すと、彼は乱暴に受け取って紙はクシャリと折れ曲がり、指の跡にしわができる。
身を翻そうとするマイルズに向かってウェンディは言った。
「後日、ご実家から呼び出しがあると思いますよ。あなたの素行不良と成績不振についてわたくしの方から、あなたの弟の方へと連絡しておきましたから」
「え?」
「弟さんは真面目なかたで魔法の才能もありますから、彼の訴えならばきっとご両親も納得すると思います。よかったですね。もうこんな惨めなことをせずともすむのですから」
ウェンディが、マイルズの真実を知ってから、サポートをやめるまでに時間が合ったのはそれが理由だった。
実は学園街での行動についての多くは教師に報告が行っているものだ。実家から解き放たれて自由を得た若者たちが貴族として守るべき節度を越していないか。
それを見極めて、明らかに度を超して人に迷惑をかける生徒をふるい落とすのだって魔法使いのブランドを守る学園の勤めだ。
だからこそ多くのことが報告され、そして酷ければ一発で退学もあり得る。しかし多くは注意と実家への報告で改善を試みる場合が多い。
マイルズの行動はそれなりに問題ではあったが公になれば非難を受ける不名誉なことでありつつ、絶対に許されない範疇ではない。
しかし明らかな成績の悪化と、教師から期待されているウェンディのような生徒の成果の横取りをもくろむその行動を報告すると、教師陣は通常よりも早く実家への素行不良の通達を用意した。
後はそれを、跡取りの地位を狙っている弟にも自由に使えるように複製し送付しただけである。それを証拠として家臣たちの信頼を集めて、跡取りの地位をかっさらうことぐらいできるだろう。
お礼の返事と彼の実家の状況は把握済みだ。
マイルズはこうして謝ろうと、そうしなくても詰んでいることに変わりはなかった。
それだけのことである。
「っ……う、嘘だろ?」
「……」
「そ、そこまでしたのか? 君が? そこまでっ、ただ少し嘘をついて怒らせた、だけ、だろ?」
「……」
「ウェンディ。謝ったじゃないか、それ以前に昔から、病弱だった私を支えて……私を愛してくれていたのに?」
最後に愛を理由に信じられないというマイルズに、ウェンディはせせら笑って彼に言った。
「いえ、あなたへの愛情なんて微塵もございません」
「っ」
「すでに消し飛んで、影も形もないのです。あなたがそうしたのでしょう? なにを愛など語っているのですか、馬鹿馬鹿しい。さあ、さっさとそれを教師に提出してきたらどうですか。ただの無駄だと思うけれど」
彼の絶望にすら付き合ってやらないウェンディの様子を見て、マイルズは鼻筋に縦皺を浮かべて紙束を持ったままのその手を振り上げた。
同時にウェンディは杖を抜いてすぐに魔法を使う。
しかし放たれる前に、ウェンディの目の前にあった机がマイルズの方へと吹っ飛んでドガンッ! と言う轟音が響く。
書類がひらひらと舞い散り、テーブルに打ちのめされたマイルズは仰向けに倒れて伸びている。周りの生徒たちから遅れて悲鳴が上がった。
「……」
無言でジャックの方を見ると彼は、どうやら椅子を引いてテーブルをマイルズの方へと蹴飛ばした様子だった。
「……驚きました。乱暴なことをするのね」
「怪我ないか?」
「ありませんよ」
「そうか、ならいいんだ。びっくりしたな」
(わたくしはマイルズが手を上げたことよりあなたが、牙をむいたことの方が驚きましたが……)
しかしジャックはウェンディが無事であることを喜んで満足そうだ。
あまりにも荒っぽい始末の付け方だったが、すぐに寮監がやってきて、多くの人が見ていたこともあり、マイルズが問題の加害者として片付けられた。
隔離され程なくして実家に戻され婚約は解消されることになったのだった。
首尾よくマイルズは跡取りの地位から外され、さらにはウェンディへの恨み言や危険な思想を露呈させたおかげで、普通の貴族としていさせることすら危険と捉えられた。
彼は領地内の平民と結婚させられて、貴族という身分すらも失ったのだった。
その後、しばらくウェンディは新しい相手を探すつもりはなかった。
幸い学業に専念することを許されている身なので、このまま行けば将来魔法使いとしての付加価値を持ってよりよい相手との婚約も考えることができる。
そういう算段があった故に焦ることはなかったのだ。
しかし、想定外に、実家から格上の相手から婚約の申し込みがあったという話を聞いて、ウェンディはやっかいごとではないかと警戒した。
けれどもなんてことはない、その相手はジャックだった。
「俺のこと嫌いか? だから怒ってる?」
今朝方出会い頭に、婚約の話を聞いたと伝えると、ウェンディの声音から不機嫌を察してそんなふうに聞いてきた。
「婚約の話だろ。聞いたんだろ、怒ってる?」
寮から外に出て校舎への短い道のりを歩き始めても、ジャックは不安そうに問いかけてくる。
「怒っているとかそういう話ではありませんわ。ただ、友人としてこうしてともにいるのになぜ、わたくしに確認をとることができなかったのですか」
「だって……断られたら嫌だろ」
「……」
「他に、別の相手が決まっても嫌だろ。俺が出会った時なんてもう昔っからの婚約者がして、隙もなかったし」
「……」
「だから急いででも断られたくなかった。……でも手立てが欲しかった。まずお前が俺を見てくれる可能性が欲しかった」
落ち込んだ声でそういう彼に足を止めて、ウェンディは少し道の端によってジャックと向き合った。
「……俺のこと嫌いだった? うっとうしいか? だめか、ウェンディ」
そっと手を取ろうと伸ばしてくるその手にウェンディは抵抗しない。
(だめではないんです。ただあなたがそこまで強引なことをするほどだとは思っていなかったんです……それに……いつからですか……)
頭の中をぐるぐるとした思考が巡る。
反応すらできなくて返す言葉がないのは、ウェンディがまったくもってこんなふうに愛情をもたらす相手に慣れていなかったからだった。
自分から与えることはあっても、こんなふうに思われたことなどない。
ましてや友人だと思っていた相手が実は自分に好意を抱いていたなんてそんなことが自分に身に起ころうとは思いもしなかった。
「好きだ」
「……」
「何考えてるんだ?」
「い、いろいろですっ。もうっ……もうっ、別に怒ってはいません!」
それだけ言って、ウェンディはそっと握られていた手を離して、かけだした。
顔を合わせるのが難しく、こんな感情は初めてだ。
心臓がうるさいのに、嬉しいと思ってしまうのが恥ずかしくて校舎まで走ったが、結局ジャックを振り切ることはできず、一日中「だめか?」「いやか?」と言われて、折れるしかなかったのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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