91話 聖女を運用するコスト
エルンスト・グレゴリウス。教皇代理。
クラリッサに面会する、彼のその姿はやつれていた。
頬は削げ、目の下には濃い影。
法衣は整っているが、どこか疲労の皺が消えない。
聖女の次に権力があると言えば彼だった。
聖女は権威。
実務は彼が。
祈りの裏にある金の流れ。
奇跡の裏にある責任の所在。
教皇代理にして、圧倒的中間管理職。
エルンスト。グレゴリウス。
ベッドの上。
クラリッサは、ストレッチしながら彼の言葉を受ける。
「ふーん。大変だったのね。
今回セレスティアは、勝手に動いちゃったみたいだから。
まあ、動かないと私は死んでたんだけど。
奇跡には責任が伴う。
派閥の調整。
進行の暴走。
王国との折衝。
目の隈すごいけど、寝ていないんじゃない?
大変ね。」
「聖女は国家戦力です。
その奇跡は、教会の承認を得て、派閥バランスを考え、国家との調整を得て使用されます。
今回それが、啓示の名の下に小聖クラリッサ個人のために使われた。
奇跡を教会の責任から、 共同決断に変更する必要があります。」
「王国も黙っていないでしょうね。
第一王子レオナールが、そんなおいしい教会の瑕疵に食いつかないはずがない。
国家承認なしに動いた詰問を抑えるためには、実利が必要になる。」
「さらには奇跡が起きた地域は、一種の宗教的バブル状態になりますので、鎮める必要があります。
概算では三万五千金貨。
王国が本気を出せば五万を超えます。」
「ふーん。安いわね。命って。」
「他人事のようにおっしゃるのですね。小聖クラリッサ殿。」
「私、忘れてないからね?
あなたとレオナール殿下が、無理やり私に聖女を押し付けたの。
大体、そりゃそうなるでしょ。
私って教義全部シカトしてるもの。
朝夕の定刻祈祷は必須だけど筋トレしてるし、聖水を飲料水扱いしてるし。」
「これは手厳しい。
あと、儀式をサボらないでいただけると、非常にありがたいのですが。」
「合理的じゃないから。
それに神が何を言っても、間違ってる思うならやらない。
やるなと言われても、間違ってると思うなら、やる。」
「……小聖。
その発言を、枢機卿会議でなさらないことを、心より願います。」
「面倒だしね。言わないわよ。
──まあいいわ。お金が必要なんでしょ?
グランディールに請求しといて。
地方都市の年間予算レベルなら、何とかなると思うから。」
「助かりますが、よろしいのですか?」
「あなたね、そもそもお金をせびりに来たんでしょ。
どの口が言うんだか……はあ。
……まー責任は感じてるし、今回の災厄は私がなんとかする。
セレスティアは、他陣営だけど、手伝ってくれるなら、これ以上ない助っ人だしね。
実際はどのくらいもちそう?」
「魔王戦線の聖女不在の穴埋め状況。
及び、他陣営の動きを抑えられる外交の時間。
……聖女セレスティアの自由を確保できるのは、10日ほどでしょうな。」
「余裕ね。
3日もあれば終わらせられるから。
怪我が治ればだけど。」
エルンストは無意識に指を組んだ。
──……三日。
(……水の竜巻は、王都級の都市を一つ飲み込む規模だ。
国土全域の水位上昇は、堤防線の再構築が必要になる。
それを三日。
事実ならば、傲慢ですらない──異常だ。)
「怪我の方が問題。
……あと7日で怪我治るかなー。
治らないとやばいんだけど。
余裕とか言ったけど、7日以上治癒に使うと終わるんだけどね!?!?実はね!?!?」
「小聖。では私はこれで。体を大事に。」
「はーい。
あなた、ホントにお金せびりに来ただけだったわね。」
おっちゃんが去った。
頑張って見送ったが、その時クラリッサは、だらだらと冷や汗が垂れていたという。
秩序が聖女セレスティアの行動倫理だった。
人類の生存率の最大化させるためだ。
教会にて奇跡の個人行使に対する議論は続いていた。
「クラリッサ聖女候補を王国に置くにはあまりに危険です。
王都に存在させるだけで、リスクなのです。
魔王は、セレスティア様と神の奇跡によって討伐がさされた。
それならば、なぜ、今なお魔王領を放置し、新たな脅威を王都の内部に抱え込むのですか!!」
「啓示です。」
聖女の行動倫理は、合理。
しかし例外行動として啓示がある。
セレスティアが啓示を語るその様子に感情はない。
そしてそれを受けた相手は黙るしかない。
「つけ加えるなら、アルシェリオン王国及び、近隣諸国一同の共同判断です。」
「ですが!!!」
セレスティアは若い司祭に詰められていた。
「確かに魔王領と世界連合での和平は成立しています。
なぜ成立しているのか、その理由は、皆さんはどう思いますか?」
「それは無論、セレスティア様の──」
「違います。魔族は恐れています。クラリッサを。」
「馬鹿な……」
「彼らは神の威光に屈したのではない。
神の奇跡に跪いたわけでもない。
クラリッサの武力にひれ伏した。
魔族全てが。
そしてあの子が抑止力として働くうちに、本当の平和を築かねばならない。
魔族との対話を続けねばならない。
あの子が死ねば、魔王軍は今度こそ全生命を滅ぼします。
それが世界連合の見解です。」
「……っ!?ですが!」
セレスティアは議論が紛糾する様子に、心の中でため息をつく。
(そりゃ伝わらないかー……)
抑止力が「個人」であり、国家安全保障が「個体依存」になっている。
和平の理由が神学的勝利でなく、単純な軍事的恐怖が勝っていることは、教会の正統性を揺るがしかねない。
クラリッサが平和の鍵であるなら、彼女は最重要保護対象にも関わらず、怪我をしている。
事情を知るものなら合理で説明できるとして、そうでないなら許容も納得もできるものではない。
おかしいもん。
答えの出ない議会を終え、足早にセレスティアは馬車で移動して、クラリッサの元を訪れる。
扉を開けて、クラリッサが療養する部屋へ。
きし、きし、と規則正しい音。
振動。
床板の軋み。
「な、なんで、なんでスクワットなんかをしているの……?」
「上半身が骨折してるんなら、下半身は動くから。
バカだった。私って。
腕立て伏せに囚われていた……
腕立て伏せができないなら、スクワットすればいいじゃない。」
セレスティアは完全に固まっていた。
──この子、一回くらい断罪されたほうがいいのでは!?!?
せっかくクラリッサを擁護して戻ってきたのに、何やっているんだろう。
秩序に則り、
安定を考え、
人類の最大生存率を選択したつもりだった。
その中心にいる存在が、あっさりそれを踏み越えるのだが。
セレスティアは、思考を止めた。
──待って。
(安静とは?)
セレスティアは頭を抑え、よろけていた。
「あ、頭がおかしい……」
「そうですよね!!!セレスティア様もそう思いますよね!!
でも絶対聞かないんですよ、お嬢様!!
屁理屈こねまくるし!!」
「だって、筋トレできない令嬢なんて、ゴブリンにも劣る存在だもん。やだもん。」
「とにかく、怪我の具合をみるので座ってください!!」
「やーね。怒らないでよ。シワが増えるよ?」
「怒ってません!!」
彼女は膝をついて、クラリッサの血でぬれた包帯を取り換える。
指先は白く、細い年相応の少女の手。
包帯を切り、
傷を露出させ、
骨の位置を確かめ、
呼吸の間隔を測る。
「出血量、許容域内。
というか、バカげた治癒能力です。人間ですか?あなた。」
「ほめないでよ。照れちゃう。」
「ほめてないです。」
そしてクラリッサはワンレッグスクワットをはじめた。
なぜそんな事をするんだ。
やめろー




