87話 二つのトリガー
高位魔族の瞳が、冷たく燃えていた。
「人間が……生意気な。
魔族より高い所に立つとは。
レヴィヤタン、行け。」
巨躯が、命令に応じ、奔流の中から跳躍する。
巨躯は風を裂き、空間を制圧する。
水精霊の化身ともいえる水龍が、リーシャを守るように召喚されていた。
その体は水。
全長は、あまりに膨大。
巨大な水の竜は、レヴィヤタンを巻き込むように、常識外れの力で襲いかかる。
鱗は波の奔流、
牙は潮の力、
吐息は冷たき霧雨。
高位魔族が歯噛みをするように、リーシャに魔術を放つ。
詠唱は黒紫に輝き、魔法陣は幾重にも重なり、毒のごとき濃密な魔力が凝縮する。
リーシャには、深海に落とされた火種のように何も効いていない。
「何よ。この女!!!」
「ゔゥゥゥゥ■■■■───ァァァァァァァ!!!!!!!!!」
高位魔族の怒声
帰ってくる咆哮は高位魔族の怒声を打ち消す。
深海の叫び。
海そのものが口を通し、世界に轟く。
──魔力の規模が明らかにおかしい!?
(戦場を塗り替え、常識を押し潰すほど膨大!!!
空気を、岩を、血潮を押し潰す奔流!!!)
リーシャの髪が、静かに浮かび上がる。
潮風などないのに。
内には荒れ狂う嵐。
リーシャは明らかに暴走していた。
洞窟の天蓋が砕けていたので、空より落ちる海が確認できた。
マリアは、素早く周りを確認する。
アルヴェルトは膝をつき剣を支えに、辛うじて姿勢を保つ。
その周囲に、騎士達。生きている。
────圧力から身を隠せ。
(……洞窟の中は論外。
水圧は奥へ奥へと押し込み、流れ込む水で空気溜まりを奪う、棺桶。)
「マリア、上だ。」
アルヴェルトの言葉。
高レベルの恩恵を用いて、マリアは洞窟の天井より空いた穴より外へ出ていた。
岩壁を蹴り、天井の裂け目へ。
──空に海……。まるで世界の終わり……
(これをリーシャちゃんがやったんだ……
クラリッサお嬢様は、しきりにリーシャちゃんを気にしていた。
これを予見していた……?)
洞窟は山にある。
山の斜面に足を踏み入れれば、あとは衝撃を受け流せる場所を探すだけで済む。
洞窟を抜けた先、鋭く尖った岩稜帯の上。
巨岩が積み重なる谷間。
──時間がない。
斜面の森。
素直だがこれが1番いいだろう。
「山頂側へ移動。
斜面を使う。直撃を受けない角度に。
耐えるな。やり過ごせ!!
伏せろ!重心を下げるんだ!」
やがて海がおちる。
騎士達の腕も、王子アルヴェルトの肩も、濁流に揉まれながらも繋がれたまま。
水は轟き、岩を揺らす。
海の水がはけるのを待ち、マリア達は、なんとか生存することに成功した。
「殿下!!大丈夫ですか!?」
「ああ……」
騎士達。アルヴェルト。
次々と身を起こす。
みんな生きている。
上空からの海は、無人島そのものからは、わずかに逸れていた。
それも大きかった。
岩は砕け、洞窟は削られ、地面は泥濘と化していた。
「お嬢様……。」
高台から見渡す。
砂浜に火がたかれていた。
脇に人影。
クラリッサだ。
トーチの魔術を使えば、火を起こすことはできた。
クラリッサは砂浜に膝をついていた。
濡れた金の巻き髪は重く、細い首筋に貼りついている。
普段なら香油と櫛で整えられる髪だが、今は塩を含み、硬い。
「しょっぱい……派手に塩水のんだ……」
クラリッサの声は、掠れていた。
海水を飲み、喉は痛んでいる。
細い肩が震えた
木々の表面は濡れている。
表面は水を含み、火を容易くは応えない。
だが中を割り、乾いた芯を使えば、火を起こすことは可能だった。
白い手が、容赦なく木を砕く様は、令嬢のそれではなく、ボーイスカウト。
手刀で木を割りまくり、火を大きくしていると、マリア達が合流してくる。
泥と水を纏ったアルヴェルト。
騎士達もまた、傷だらけだが、健在。
「お嬢様……リーシャちゃんが。」
「わかってる。」
クラリッサの姿もまた、大海嘯を泳いでやり過ごしたのでボロボロ。
衣服は裂け、袖口はほつれている。
岩に打たれ、それでも浮上した。
そしてクラリッサは海を抜け、マリアと合流し、歯噛みをする。
クラリッサは、ここにきて思い出していた。
──ドキドキ海合宿編。
選択肢と好感度で分岐する、軽やかな青春の娯楽イベント。
クラリッサの死亡するルートはクリアした。
リーシャが誰とも恋愛フラグを立てない場合、クラリッサが遭難死する分岐。
それについては、合コンイベントを強制発生させ、恋人フラグを世界に承認させ、死亡回避。
これは計算通りだった。
だがもう一つあった。
水精霊制御失敗ルート。
これは、リーシャが水精霊の力に飲み込まれ、アルシェリオン王国そのものが滅亡するという、おふざけみたいな遊び心でつくられたエンドだ。
成立条件は、リーシャが初期レベルである事。
水精霊を制御できず暴走。
神格化。
そして王国滅亡。
ゲーム進行において、これはきわめて発生しにくい状況下にある。
意図的に狙わなければ発生しない。
ゲーム開始時点のチュートリアルで、示されるレベル上げ。
そのレベル上げを示すカーソルをわざとスルーして、シナリオで魔物と戦っても、わざわざ教会で祝福を受けてレベル上げをせず、縛りプレイの先に起きるイラスト収拾用のエンドだ。
リーシャは夏合宿で魔物を倒したが、教会設備でレベルをあげていない。
そのレベルは、初期レベル10。
初期レベルのまま。
つまりアルシェリオン王国破滅トリガーを踏んだ。
クラリッサは歯を噛みしめる。
──なんで気づかなかった……
(リーシャは、水精霊の力の奔流に乗っ取られ、意識はもう焦点を持たない。力の暴走に抗えない状態にある。
あの空に満ちる海は、演出じゃない。
エンド分岐の確定演出。)
クラリッサは悟る。
──失敗した。全て滅ぶ。
(アルシェリオン王国滅亡ルートに入った。
全てが海の藻屑と消える。
……終わってたまるか。
計算しろ!!盤面をひっくり返せ!!)
この世界は、ゲームのようにシナリオに沿って進む。
クラリッサは、物語に愛されないポジション。
──分岐は認識できている。
──物語を書き換えろ。
「クラリッサ様……あれ……」
マリアは、遠くを見た。
指先が、震えながら遠くを示す。
海が膨張し、島を囲む水平線が盛り上がる。
世界の縁が、せり上がる。
島ごと飲み込む壁のように。
クラリッサの喉が鳴る。
(……最終段階。)
津波だ。




