79話 封印の鍵
もはや、やけだった。
リーシャは殿下とテーブルについた。
白を基調とした上衣。
海風を受けるために意図的に開かれた襟元。
そこに施された金糸の刺繍。
マリアが、視線と視線の交差点を読み切り、人の流れを切り、周囲の動線を静かに断つ。
場を完全に制圧する。
明らかに意図的に小分けにして、マグロ料理の皿を無暗に運ぶ
給仕と杯のタイミング調整。
時には自分の体と笑顔で、動線をカットする。
まさに百戦錬磨。
陣地管理と戦術行動を用いた、王族と少女を同席させるための結界構築。
合コン界のパラディン。
運命のページが捲られていた。
──あれ?思ったよりずっと話しやすい。
リーシャは思った。
王子といえば、もっと堅苦しいと思っていた。
それがどうだ。
視線は柔らかく、言葉は間を心得ており、会話はリーシャの得意な話題へと、自然と彼の手によって編まれていく。
まるで売れっ子のホストだ。
会話はリードしてくれるし、逆に話題を投げれば、必ず受け止め、ひと呼吸置いてから、しっかり考えを返してくれる。
──地頭がいいのだろう。
というかクラリッサ・グランディールの事を話せば大抵何とかなった。
立場、学園、性格。いずれもぶっ飛んでいる。
どの角度から切り取っても話は尽きず、話題に事欠かないので、便利だ。あの人。
「少しあちらで話そうか。」
運命は、また一枚、音もなく頁をめくる。
波が低く息づき、月光は水面に砕けている。
夜の海辺に学生が2人。
あまりにも整いすぎた絶好のシチュエーション。
リーシャは、足元の砂を見つめながら思った。
──このあとどうすればいいんだろうか。ノープ
ランや。
完全に流されてここまで来てしまった。
恋人になるには恋をしなければならない。
──だが恋なんてしてねー。
そりゃ付き合う事はできるだろうが、恋とは別だ。
別なのだ。
不誠実なキープなんてしねーぞ。わたしゃー
あらかじめ定められていた宣告のように、ふとアルヴェルトは言った。
名を呼ばれたその瞬間、夜の海がわずかにざわめく。
「リーシャ。君の事は、実は知っていたんだ。」
「光栄です。
でも平民ですけど。私。」
「魔術学園に入学するにあたって、要注意人物のレポートは全て読んでいる。
それにクラリッサといつも一緒にいるだろう?」
「まあ、流れで……
席も近いし。
……え?……要注意人物?」
「リーシャ。
君は平民でありながら魔術学校。それも第一クラスに入る才媛だ。
みんな君に注目していると思うよ。」
「いやいやいやいや。」
アルヴェルトは頷くと言った。
月光が、彼の輪郭を挿絵のように縁取っていた。
ひとつの選択肢を、運命に差し出す。
「マリアから話は聞いている。
恋人を作らなければならないんだろう。
僕でいいなら、形だけにはなるが、恋人役はつとまると思う。
キスくらいなら許されるはずだ。」
──え……
たんま。
何この超展開。
「え……はい……?」
思考が追いつかない。
胸の奥で、何かが強く鳴っている。
アルヴェルトは、近寄ってくる。じりじりと。
「で、殿下……あの……」
「静かに。」
なぜか理由は、語られず。
指先の温度とともに顎をつかまれる。
逃げる余地のない、やさしい拘束。
そして。
思わずリーシャは目をつむる。
そして。
世界は白く反転し、光が、夜を切り裂いた。
キスが来ない。
おそるおそる目を開けると、光が飛び込んでくる。
月光でも、篝火でもない、異質な輝き。
代わりに闇を裂く光があった。
「なるほど。これか……」
リーシャの持つ杖が、目覚めるように光輝いていた。
ある方向を指し示している。
光の筋は夜を切り裂き、海原を越え、沖合に浮かぶ島へと、一直線に伸びていた。
道のように。
「え……
え……?」
マリアが控えていた。
「すぐに準備します。
アルヴェルト様はどうされますか?」
「同行しよう。
手の者も用意する。」
「そうですね。戦えるもの中心の方が望ましいです。」
「えええええ????」
決断は即座。
戦場を知る者の反応。
マリアは頷く。
リーシャだけが、状況に取り残されていた。
「リーシャちゃん。お手柄です。クラリッサ様の居場所がわかりました!!」
「そ、そうなんだ。殿下にキスされそうになってただけな気がするんだけど。」
「恋人判定がそこだったのかもしれないですね。友達以上恋人未満的な。その境界が。」
リーシャは頬を押さえ、視線を逸らす。
「いや、あの顔が熱くて。
あと……なんというか、すごく手のひらの上で転がされている感じが。」
「恋はしました?」
「しないから!!!!」
ただ甘い余韻だけが残っていた。
否定のあとに残ったものまで、打ち消すことはできなかった。
仕事の顔で、騎士達に指示を出すアルヴェルトにトクンと、胸がはねたのは無視した。
認められなかった感情を、後から運命と呼ぶかもしれないが。
──ブラッドオーガ。
見上げるほどの巨躯を、クラリッサは、一切怯む事なく真っ向から向かい合う。
空気がひりついていた。
一歩もひかない。
瞬きひとつもない。
決着は一瞬だ。
「■■■■ーーーーっ!!!!」
クラリッサは叫ぶ。
ウォークライ。
古き戦士たちが継承してきた魂を戦場へ投げ出すための儀式。
戦闘開始直前、あるいは突撃の瞬間に発せられる叫び
あるいは、恐怖を外に投げ捨て、個を殺す、宣誓。




