8話 魔石食
クラリッサは、ゴブリンに火を通したものを切り分けると、一口、慎重に口に運んだ。
小さな手でフォークを握る姿は、まるで絵画の一部のように優雅だ。
しかし、口内に広がった味覚は、筋張ったな筋肉と魔力の残留成分が、口の中で混ざり合い、彼女の味覚を圧倒する。
その圧倒的なえぐみと苦味と獣臭さは、彼女の理論の計算を軽々と超えた。
「……っ!」
クラリッサの顔が歪む。
数秒後、小さな体が自然に反応する。彼女は容赦なく吐いた。
流石のクラリッサも、これは悟った。
これは人間の食べるものじゃない……
やばすぎる。
「……ふふ、これは……想定内。まあゴブリンなんてこんなもんよ。畜生だものね。よし、次。」
鬼気迫るクラリッサの様子に、調理人たちは息を呑む。
戦慄していた。
こいつ、やべえ。
ゴブリンは不味すぎて、クラリッサさえも悶絶した。
しかし、すべてが失敗というわけではなかった。
「ホーンラビット、ダイアウルフなどのウサギ種、ウルフ種はいける。そう考えると獣種は一通り食べられると考えられます。
これは、小さな一歩だけど、人類から見たら本当に大きな一歩ね。」
古来より人間は、他の動物が食べられないものを食べることで、その生息圏を伸ばしてきた。
悪食こそ人間の生存手段であり、食への知識は、そのまま可能性の拡大を意味している。
クラリッサは、テーブルの上に小さな魔石を置いた。
きらりと光るその結晶は、宝飾品のように美しい。
「次はこれも食べてみましょう。タンパク質に匹敵するかもしれませんし。」
老シェフ、マリオンは、額の汗をぬぐいながら青ざめた。
厨房の他の者たちも、同じく硬直する。
「お、お嬢様……!! それは……!!」
「魔石は食べられません!」
「絶対にやめてください!!」
クラリッサは首をかしげる。
「……食べられないのですか?」
「はい、お嬢様!!それは、この世界の常識です! 魔石は決して口に入れてはいけません!」
老シェフの声は、怒りでも恐怖でもなく、純粋な本気な制止だった。
台所の空気が、一瞬で戦場のように張り詰める。
「なぜですか?」
「え……それは……常識だからです、お嬢様……」
その言葉に。クラリッサは首を傾げ、目を細める。
「なぜ常識なのですか?」
「クラリッサ様、魔石は……口に入れるものではありません!理屈など関係ありません! 世界の常識です!!」
「理屈がわからないのに、常識と言われても納得できません!」
クラリッサは身を乗り出し、声を強めた。
「新たな地平を開拓しようとする試みを、常識という理由だけで止めるつもりですか?このグランティールも、未開の地を切り開き、国を支える一柱となったのではないのですか?それは常識だったからなのですか?」
台所の空気が震える。
マリアたちは、言葉を失い、ただ震えるばかりだった。
「……でも……それは……、食べてはいけないものだから……教会の教義にも……」
「質問変えましょう。なぜ教義となったのですか?」
「なぜって、そう教わったし、みんなそうしてます。」
「なぜ、何が起きて、何の理由があって、それを教義と定めたのですか?まさか盲目的に疑問も抱かず、教義と思ってるわけじゃ、ないのでしょう?」
彼女の声は鋭く、詰め寄るように響いた。
老マリオンは、額に手をあて深く息を吐いた。
「お嬢様……。根拠は明白です。ことごとく、体調を崩して、死んだ者もおります。故に、魔石は食せないのです。」
「……なるほど。死者が出たのですね。」
その小さな声に、少しの悲しみと納得が混じる。
老マリオンは頷く。
「はい。だからこそ、どんなに興味があっても、決して口にしてはなりません。」
「わかりましたわ、マリオン。命あっての好奇心ですね。ありがとう。命拾いしました。」
「わかっていただけて何よりです。」
クラリッサは魔石をそっと置き、微かに笑った。
厨房の緊張が、ほんの少しだけ和らいだ。
マリアは慎重に声を絞り出した。
「今日の事……教会にバレたら、異端尋問ですね……」
その一言で、食堂の空気は再度、張り詰めた。
クラリッサは、ゆっくりとマリアに向き直り、その瞳に冷静さと小さな微笑みを宿す。
「クラリッサ、子供だからわかんない。」
「ねークラリッサ様!それ通じないのわかっててやってますよね!!!!」




