75話 イベント開始
──どこ。ここ。
気づけば、見慣れない砂浜。
高い空の青は、澄んでいる。
雲は、刃物で引いたかのように真っ直ぐ引き伸ばされており、水平線が世界の縁を主張していた。
島。
否応なく、圧倒的に、島。
砂浜。
「いでで……うへえ。
口の中に砂が……しょっぱいし……」
クラリッサは身体を起こし、砂の上に座り込む。
そこは完璧な体育座りだ。
寄せては返す波が、足元で世界を撫でていた。
波打ち際。
ざざぁ……
手を海水で洗うようにして、潮に貼りついた濡れ髪を軽く整える。
濡れた制服。
怪我はない。
周囲を見回す。
誰もいない……最初から、誰も踏み入れていないかのように、足跡もない。
自分の足跡は、波にさらわれて消えており、波にさらわれてないところにも痕跡がない。
砂浜は、異様なほど美しさを維持していた。
初めて雪原に足を踏み入れたときの、あの人の手が入っていない自然の美しさ。
雪景色に初めて足を踏み込んだ時のような。
波に呑まれ、もみくちゃにされる中で、意識を失ったのは覚えていた。
白き粒子は、太古の記憶を宿す砂浜。
天穹は蒼く澄み、ただ神々の瞳のごとく風と波のみを見下ろす。
声はなく、足跡もなし。
そこに、人影はない。
「……」
──無人島……?
「……まさか、遭難イベント?」
クラリッサは、砂を握りしめる。
すでに否定する根拠の方が崩れ落ちていた。
「まじかよ!!!!!」
運命の気まぐれに、指の間から、白い粒が零れ落ちる。
クラリッサは、波打ち際で体育座りで途方に暮れていた。
波が寄せては返し、砂を浚っていく。
島が遠くにぼんやりと見えている。
遠くに。
なぜこんなところに。何が起きたんだ。
頭の中は混乱でいっぱいだ。
(あそこから流されてきたってこと……?は?……なんで??……どうやって??)
クラリッサは呆然と、ただ海を見つめていた。
次の瞬間。
人がいた。
湿った苔のような緑の小柄な影。
背骨は曲がり、不均衡な短い肢体。
錆と血と脂が混ざり合った、刃と呼ぶにはあまりにも粗末な武器を握る、原始的な殺意。
奪い、裂き、貪るという、文明以前の衝動。
ゴブリン。
ゴブリンは、正しく処理された。
クラリッサの手の形のまま顔面が陥没し、音もなく沈黙している。
らしくもなく混乱していたが、ゴブリンとの戦闘を得て、ようやくクラリッサは頭が働いてきた。
やはり筋肉だ。
ありとあらゆる事象は、筋肉の前にその一切が沈黙する運命にある
言うまでもない事だったな。
ふっ。
おそらくだが無人島。
されど静寂の島にあらず。
そこは、魔物のパラダイス。
魔物たちの楽園。
人の営みは絶え、代わりに魔の息吹が満ちる地。
血と咆哮が繁る。
この島そのものが、終わりなき戦を望んでいるかのように、ゴブリンが、次の群れとなして姿を現していた。
クラリッサの手により、流れるように群れは砂に還された。
秒で。
次の群れが、這い出してきている。
なんか、魔物の群れが途切れないな……
クラリッサは冷静に状況を分析していた。
嫌な予感がした。
夏合宿イベントには、クラリッサ遭難イベントがあった。
遭難したクラリッサを捜索する道中、リーシャが攻略対象達ときゃっきゃうふふして、好感度を荒稼ぎするイベントがある。
その時、攻略対象とのフラグが立っていないと、クラリッサは死亡する。
そんなルートがある。
級友の訃報という悲嘆によって、感情補正のバフがかかり、攻略対象とのフラグが立ちやすくなるわけだ。
学校入学後、リーシャはクラリッサ達としか交流していない。
フラグなど立ちようもない。
ならば、クラリッサ救出ルートが存在しない?
つまり、死亡ルートに入っているんじゃないか?
これ。
雨が降り出していた
違和感は、もはや曖昧な感覚ではなかった。
それは、姿を確信へと変えつつあった。
――島から、出られない。
見えない壁。
それがそこにあるのだ。
クラリッサは、無言で構えた。
呼吸は凪いだ水面のように静か。
ひどく美しい姿勢から拳が突き出される。
ドゴオ!!!!
ドゴオ!!!!
ドゴオ!!!!
音だけだ。
衝撃が殺された。
――ある。
確かに、壁が。
──早くも結論には至っていた。
転移した。
ゲーム的な処理だ。
両手両足にパワーアンクレットを装着している。
(※一つ150㎏。両手足で合計4個つけているので600㎏)
波にさらわれるくらいでは、今のクラリッサは、重量の関係で沈む。
ならクラリッサがここにいる事そのものが矛盾を雄弁に証明している。
砂を踏み砕き、低き咆哮を孕んで、魔物がまた出現する。
筋骨が膨れる、ボブゴブリン。
先ほどよりも敵が強くなってる。
雨が、先ほどよりも強い。
晴れていたはずの空から、説明もなく、理由もなく、雨が世界を濡らす。
静かに勢いを増していく空を、クラリッサは見上げる。
夏合宿場。
海辺に築かれた建造物群を、雨粒が思いのほか激しく叩きつけていた。
戦闘訓練は中止。
代わりに押し付けられたのは、学校から降ってきた、山のような書類上の課題。
学生たちは思わぬ休暇と、学校からの書類仕事に忙殺されていた。
夏合宿場の一角でマリアは雨宿りをする。
荷物の中でそれを見つけた。
手紙だ。




