73話 ダンジョンコア。冒険の終わり
深層種。
潮牙鱓≪タイドファング・イール≫
胴は柱のように太く顎は二重に割れ、内側には潮の刃と呼ぶにふさわしい牙が並ぶ。
眼は一対ではない。複数の光点がゆっくりと瞬く。
巨大ウツボの姿。
そして巣がそこにあった。
巣は、『それ』を抱くように形成されていた。
骨。
甲殻。
沈没した魔獣の残骸。
それらが幾世代にも絡み合い、まるで玉座の基壇のように積み上げられている。
『それ』とは、半透明の球体。
色は深海の藍から翠へ、脈打つたびにゆっくりとうつろう
内部では、霧のような魔力が渦を巻き、心臓の鼓動に似た律動を刻んでいる。
ダンジョンコアを守るように、巨大な異形のウツボが、そこを訪れたクラリッサ達に、立ちはだかっていた。
「ダンジョンコアね。初めてみた。
もしかしたらあのウツボは、コアが脈打ち始めてから、幾度となく侵入者を噛み砕いてきた、守護者だったのかもね。ずっと。
私とマリアみたいに。」
「どうします?お嬢様」
「当然破壊一択。
なぜならダンジョンなんて、そこら中にあるから!
でも実際、ダンジョンコア見るのって、初めてなのよね。
マリアは見たことある?」
「何度か。
魔力が残っているので、護衛が集まってきますよ。
泥仕合になります。総力戦になるので。」
「まあ、そんなもんよね。
露払いは私がしとく。
マリアとリーシャと、そっちをやっといて。」
確かに魔物の気配が近づいてきていた。
洞窟の奥、つまり来た道の向こうから、魔物の気配が濁流のように。
すでに総力戦は始まっている。
動くなら、できるだけ早い方がいい。
入り口をふさぐように、クラリッサは立ち位置を調整する。
そこはダンジョンコアの間の喉元。
唯一の通路。
逃げ道であり、侵入口であり、最終防衛ライン。
さながら。
いや否。
それは比喩ではない。
ゴールキーパー。
世界を背に、敵を前に立つ者の位置取り。
一匹も、漏らさない。
ここに来たこと。
ここに踏み入ったこと。
このダンジョンが、自らを敵に回したこと。
ここに来た事を後悔させてやる。
全て華麗にカットを決めてやる。
クラリッサは骨を鳴らす。
死神が鎌の角度を確かめるように。
彼女は笑い、その眼に一切の慈悲はない。
「誰と向かい合ってるのか、教えてあげるよ。
魚風情が。
陸にも上がれない魚類が、地上を支配する霊長類様に勝てるわけないのを、教えてあげる。」
戦闘音が後ろから聞こえ始める。
ギィィン……ッ、バァン!!
ズンッ。ブツリ。
――ドゥン……
2人は走っていた。
マリアが前衛で戦闘。
リーシャが後ろから追う陣形。
「リーシャちゃん。急ぎましょう。」
「クラリッサさんは!?」
「決して振り返らないでください!!
お嬢様は、足止めに残られました!!
私達でダンジョンコアを破壊します!破壊すれば魔物の統率も失うはずです!!」
「マリアさん!!前からウツボが!!」
問いは、悲鳴に近い。
ダンジョンコアの前に控えていたウツボが、その巨体に物を言わせて肉薄してきていた。
潮牙鱓≪タイドファング・イール≫。
残骸で作られた玉座の影から。
速い。
隙を嗅ぎ取り、距離を測り、合図もなく食らいつくウツボという、捕食者の動き。
ダンジョンの侵入者を殺す為だけに進化を続けた守護者の質量が、一直線に二人へと叩き込まれる。
「任せてくださいっ!!」
マリアが、前に出た。
マリアの剣撃は、あまりに静謐だ。
──ごぼう(※根菜)を削ぐ、ごぼうという野菜に対するような、的確なそぎ切り。
およそ剣で払えないはずの質量が迫る、その瞬間。
巨大な胴が振り抜かれる刹那に、刃は滑らせるように当てられていた。
──繊維に逆らわず、力を断たず、流れだけを盗む。
そして、およそ剣で払えないようなウツボの攻撃を、巧みに受け流す。
巨大な胴が振り抜かれる瞬間、刃は最小の接触で角度を変え、殺意の軌道だけをずらした。
完璧なごぼうのそぎ切り。
料理の技術の応用。
食材をおいしく食べるための、完璧な下ごしらえ。
「リーシャちゃん!!道は切り拓きます!!
食材のように!!
だからまっすぐ走って!!!」
「わかった!!!
食材という言葉に突っ込まないまま、リーシャは走った。
──もう、わけわかんない。
──なんでダンジョンを全力で走ってるかもわかんない。
それでも。
やってやる。
肺が熱く、太腿が悲鳴を上げる。
足は思っていたより前に進まなかった。
疲労もある。
身につけたダンジョンドロップの重みもある。
なにより、気持ちばかりが先走って、身体が追いつかない。
それでも、止まらない。
止まった瞬間、背後で戦っている二人の時間が、無駄になるのだから。
洞窟の最奥。
玉座の基壇の中心。
玉座を必死の思いでよじ上り、そこにあったのは、光輝く宝玉。
光輝くスイカのごとき大きさの宝玉。
──ダンジョンコア。
はあっ。
はあっ。
はあっ。
息が切れ、視界の端が揺れる。
そして、杖を掲げる。
背後では戦闘音。
金属の破断。
肉の断裂。
岩盤が砕かれる音。
──みんなが、私に繋いでくれた。
(私にかかってる。
私に前を走らせるために。
ここまで、辿り着かせるために。
体を張って、命すらかけて!!)
喉が鳴る。手が震える。
それでも。
やってやる。
息を吸い込み、重力魔法。
出力を高める。
空気が歪む。
足元の砂礫が沈むが、ダンジョンコアに魔術が通っていない。
魔力障壁。
思っていたより、強い。
押し返される感覚。
杖を通じて、腕が軋む。
だけど。
ふと魔力が通る感触。
同時にダンジョンコアから、氷が割れるような、石に亀裂が走るような音。
そこまでだった。
そして、ダンジョンコアは停止した。
輝きを失う。
脈動が止まる。
藍と翠の輝きが失われ、宝玉は、ただの石のように沈黙する。
鼓動が失われた。
「……っ。やりました!!」
――届いた。
遠くから、声が。
「だから!!やりすぎなのよ!リーシャ!!
あなたは今、マジックアイテムで魔力が拡張されてる!!!
そんな状態で全力を出したら――」
「へ?」
聞き慣れた声。
焦りと注意喚起が、完璧に混ざった声。
ピキ。
どこかで、音がした。
ダンジョンコアの玉座を中心に、蜘蛛の巣のように。
いや、もっと速く、もっと無慈悲に。
――幾度目だろうか。
リーシャの脳裏を、嫌な既視感がよぎる。
ダンジョンが崩壊する。
岩壁はその役目を終え、海水を受け入れた。
「ええええ!!!!」
――夏合宿場。砂浜。
白い砂は、波に洗われてなお温もりを残し、微かな光を返していた。
引いては寄せる波が、静かな音を繰り返している。
クラリッサは、息も絶え絶え、そこに泳ぎ着いていた。
「さすがに、さすがの私も今回ばかりは、死ぬかと思ったわ。
ぜぇ……。ぜぇ……」
髪は頬に貼りつき、肩は上下し、それでも両腕は離さない。
波に洗われながら二人分の重みを、最後まで。
クラリッサは2人を抱えて泳ぎ切った。
砂浜に倒れ込みながら、仰向けに空を仰ぐ。
「カロリーを……
有酸素運動しすぎた……
カロリーを摂取しなければ、カタボリックしてしまう!!
ぜぇ……。ぜぇ……でも、今は無理!!!!」
リーシャは、仰向けに寝転び、空を見上げていた。
どこまでも青い、何事もなかったかのような夏空を。
カモメが飛んでいる。
「生きてる?
リーシャちゃん。」
「うん。空が見える。」
「ドロップアイテムは?」
「一個もない。落とした。」
リーシャが装備していたドロップアイテムは、海底からの遠泳ですべて、どっかにいっていた。
「ま、いいわよ。
生きてたなら。」
「そうですね。
よくありますし。」
「よくあるんだ……」
変わらない2人の会話。
アレだけの大冒険をして、成果ゼロ。
きっと探索のコマの成績は、ひどいものだ。
だけど。
生きてて良かった。
そして、ボロボロだけど、やるだけやった。
何よりも。
リーシャは笑った。
涙も出てくるし、頬が引きつって、息も整わないのに。
大変で、はちゃめちゃだったけど。
何度も死にかけたし、足腰も立たないし、成績だってひどいものだけど。
笑えた。
「リーシャちゃん。
お、お嬢様どうしましょう。
リーシャちゃんが泣いてしまわれました。」
「違うのマリアさん。
なんか、笑えて。
あれだけ頑張ったのに、なんもなかったって思うと、すごくおかしくて。」
「笑う点ありました?
どうしましょう……
リーシャちゃんが、気が触れてしまわれました。」
「ふっ。あははは。」
「えっ!?
お嬢様もっ!?
なんでっ!?」
ズタボロになって彼女達は笑った。
英雄でもなく、勝者でもなく、戦利品すらない。
それでも、生き延びたから。
その笑いが、夏の海に溶けていた。
そして、普通に学校にクソ怒られた。




