72話 最深部の守護者。ウツボ
やがて、視界が開けた。
目の前に広がるのは、これまでの層とは異なる空気。
風も水流もない、世界の底に穿たれた意思のように静謐な空間。
ダンジョン最深部。
リーシャは、両手を塞ぐ装備がごちゃごちゃのまま杖をギュッと握り直す。
来てしまった。
なんか今までとは違うぞ。
空気は重く、しかし澄んでいる。
光も魔力も、まだ届かぬ闇の奥底で、何かが静かに息をしているようだった。
クラリッサはそっと一歩前に出た。
「それじゃ地形破壊で。」
「ダメだから!!!」
リーシャのツッコミがあまりに早かった。
「調子でてきたじゃない。リーシャ。
ふっ……心強いわ。
でもダンジョンときたら、地形破壊すると早いんだけど。」
「お嬢様。
それはあまりにもマッチョすぎます。
ここは深層。上層ではありませんから。
万が一海水が流入したときの被害は、上層の比ではありません。」
「くそ軟弱なのよね。ダンジョンのくせに……むう……」
リーシャは思った。
──いや、むうじゃなくて!!
──てーかダンジョンが軟弱って何!?!?
深層主の広場は、一段下がった位置にあり一同は穴だらけのそこに足を踏み入れる。
穿たれ、抉られ、喰われた広間から、深層主は隠れる気すらなく姿を現す。
潮牙鱓≪タイドファング・イール≫
つまりウツボだ。
海の闇が、怒りと飢えをまとって、そのまま這い出てきたような姿。
「海のギャングと呼ばれる、ウツボの魔物ね。
見えてる範囲で全長10mを超えてる。食卓の影にあると嬉しいやつ。」
マリアは頷く。
「普通、食べませんけどね……
鋭い牙がありそうです。
魔力の残滓がある。周囲の水を操る特殊攻撃
もあると思って良いかと。」
体表はヌルヌルで光沢をおび、暗い洞窟で光を反射していた。
リーシャは再度杖を握りしめた。
──これが、深層ボス!!
「な、なんかおっきいんだけど!!!」
「リーシャ!!いい事教えてあげる。ウツボっておいしいのよ!!」
「あの!?味ってなんか意味あるの!?!?」
「モチベーション!!!」
食わねーから!!!!
リーシャは、咳払いする。
そして杖を掲げた。
「……じゃあ手筈通り、行くよ。」
そしてリーシャはそれを使った。
アビスドミニオンから会得した、リーシャの超高等魔術。
重力魔法。
──デバフ。
拘束は、戦の礎
拘束手段は生存率を著しく高める。
威力、精度が、広間を埋め尽くした。
大地が、命令されたかのように、下へ、下へと落ち込んでいく。
リーシャはひくついた。
出力が明らかに普段より出てしまっていた。
「ご、ごめんさない!!
なんか出力が!!」
「構わない!!
マジックアイテムの力で威力が増大してる!!
そのまま維持して!!」
リーシャはドロップアイテムの装飾品でジャラジャラしている。
その、夥しい装飾品がまるで星座のように共鳴していた。
うまいこと噛み合ったのだろう。
悪戯に大地が陥没する。
陥没に巻き込まれ、ウツボは大地に押し付けられ、明らかに動きが阻害されていた。
動きが、止まった。
その一瞬を逃さず――
二つの影が、滑り込む。
クラリッサはウツボの尻尾を掴むと、綱引きを行う。
「――引くわよ。」
力比べ。
相手は、深層主。
宣告は短く、そして傲慢。
次の瞬間、力と力が、正面から衝突し、地面が、鳴いた。
ウツボが身を捩り、岩盤が、悲鳴を上げる。
十メートルを超える肉塊が、海そのものの質量で反抗する。
クラリッサの踵が、深層の地面に沈み込む。
石が砕け、床はまるで粘土のようにわずかに歪む。
その隙に。
どがぁんッ!!
マリアの剣閃が一閃。
鱗と肉を裂き、確かな衝撃を痛烈に刻む。
それは閃光。
潮牙鱓は咆哮する。
確かに刻み込まれた痛みで、巨体がうねる。
ウツボが制御を失った嵐のように、洞全体を揺さぶるように、暴れ狂う。
マリアは、即座に距離を取る。
一撃で終わる相手ではないか。
深層主は――狂乱状態へと入る。
「離すわけないでしょ。」
身を捩り暴れる巨体を、ウツボをそのまま壁へ。
深層主の身体が、壁に叩きつけられ、岩盤が鳴り、洞が震え、衝突の衝撃が、波となって広がる。
──どごぉ!!!!
「だー滑る!!!ごめん!!無理!!」
「ご無理なさらないで下さい!!」
うねり、暴れるウツボがクラリッサの手の中で暴れ、握力を嘲笑うかのように逃げていく。
クラリッサの拘束から抜け出し、そのまま地下に潜って逃げた。
地を穿つ。
岩盤が裂け、大地が呻き、ウツボはそのまま地下へ。
振動が遠ざかっていく。
「リーシャ。探知魔術を。
追うわ。」
すでに次の戦を見据えている沈黙。
穴を歩いていく。
明らかにウツボの通り跡。
岩は抉れ、床は引き裂かれ、ぬめる痕跡が、深層主の通過を雄弁に物語っている。
そして深層だと思われていたところからさらに深層へ。
ウツボは逃げたが、戦場が、移したともとれる。
さらに下へ。
さらに暗く。
さらに、重く。
「お嬢様。
……誘いこまれてませんか?」
「かもね。
まあ、話が速くていいじゃない。
それにリーシャの探知だと、ダンジョンの最深部みたいよ。
ね?」
「うん。
探知の反応が止まった。
もう少しだと思う。
……ダンジョンが私達を食い破るのが、先か、
私達がダンジョンを食い破るのが先か。」
曲がり、下り、重なり、まるで人体の腸を辿るように、迷路のようなその道を進む。
リーシャは、目を閉じ、
魔力の流れを、確かめる。
いつのまにかリーシャの手には、じっとりと汗が吹き出していた。
深淵が人を呑もうとし、人が深淵を測るような。
お互いの全存在をかけるような。
「なんかすごい世界だね。」
「恋愛みたいでしょ?
ダンジョン好きなのよね。わたし」
「いや。さすがにそんな……
引いたら負け。
先に心が折れた方が、終わる。
……ちょっとは似てる、のかなあ?」
首を、傾げる。
──いや、チキンレースなとこは少し似ているのか?
「クラリッサさんって、実際の恋愛は好きなの?」
「くそどうでもいい。」
ですよねー。




