67話 海合宿開始
海。
白い砂浜と、どこまでも続く蒼。
古き誓約のように波が寄せては返し、潮の匂いが、夏の始まりを強く主張していた。
夏合宿はそこで行われる。
海にある校舎の別棟だ。
まるで世界の縁に築かれた前哨の砦のごとく、生徒たちを待ち構えていた。
「集合!!」
号令が、海風を切り裂く。
生徒たちは、即座に簡易的に設営された会場に並び、その前に、教師たちが立つ。
教師の話を聞く。
ぼんやりと説明を聞いていると、リーシャに級友たちが話しかけてくる。
「リーシャさん。お疲れ。
この合宿、なんか大変そうだよね。」
声量は大きくはない。
教師の話はまだ続いているからだ。
「うん。大変そう。」
「荷物運びは終わった?」
「うん。そっちは?」
「大体かなー。ねえ。
クラリッサさんとあんな仲良くして、平民だけどリーシャさんってすごいね。」
「え?
みんなもあんなもんでしょ?」
「だって……」
「ねえ。」
「うん。」
「確かに独特の迫力があるし、目力もすごいけど、話してみると普通だから。」
「えーすごーい。」
ざわつく女子たちの中、リーシャは冷や汗をだらだらとしながら思っていた。
──ごめん、みんな!!あの人、一切普通じゃない!!
(一見普通。
でも彼女は、なんかどこかおかしい!!
そして多分、アクセサリーとか男子とかには一切興味がないんだ!!!)
ガワだけの、なんちゃって貴族なんや!!
夏合宿。準備体操。
筋肉の女神を自負するクラリッサは、浜辺の木陰に倒れていた。
強い日差しが、別棟となる校舎と、訓練場を白く焼くなかで、彼女だけが涼やかな影の中にいた。
照りつける日差しの下、他の生徒たちが元気よく準備体操をしているというのに、まるで病弱な令嬢のように、木陰であおむけに倒れていた。
筋肉痛だ。
前日行われた神聖なる儀式の後遺症だった。
筋トレをやりすぎたのだ。
リーシャは気づいたので、声をかけに行く。
すでにクラスの中で、クラリッサ・グランディールの担当がリーシャなのは、暗黙の了解となっている。
「あの……クラリッサさん。どうしたの?
何かすごく……弱っているような。」
「リーシャちゃん。お疲れ様です。
お嬢様は、本当に動けなくなるまで筋力トレーニングを行うんです。
そして次の日、全身ガクブルの状態で授業を受けられます。
なぜなら、お嬢様はあらゆる授業を、筋トレのレストタイムと誤認なさっているからです。」
マリアが困ったような顔で説明する傍ら、日陰でタオルを顔の上に乗せて、クラリッサはノックダウンしていた。
「ふっ……いうようになったわね。
分割法を考えた時、必然的に1日のスケジュールをそう設定せざるを得ないのよ。
一日は24時間しかないのだから。
睡眠を削らず、効率を最大化するなら、授業を“間”に挟むしかない。
ましてやこれから夏合宿よ。どうするのよ。カタボリックしたら。
筋肉が削れるという事は、積み上げたものが失われる事を意味する。やり溜めないと。
あーだる。
きつーい。」
「おの、お嬢様。
顔にタオルを乗せて、グロッキーになりながら講釈を話されても、全く説得力はありません。
それにお嬢様は夏合宿の為の荷物すら運べていません。
予定が崩壊しそうです。」
「ふっ。」
クラリッサは、口元がわずかに緩む。
それは叱責ではなく。対等な者に向ける、短い賛辞。
そのやり取りを横で見ながら、リーシャは、にこにこと微笑んでいた。
なんでもいーや。
荷物運び手伝えばいーのね。
クラリッサは顔からタオルを外すと、手伝い始めたリーシャに気づく。
「ありがと。リーシャ。優しいのね。
ただの筋肉痛よ。少し休めば落ち着いてくると思うから。
リーシャも、私の領地から帰った後に、体が痛くならならなかった?」
「どうだったかなあ……」
リーシャは首を傾げていた。
そして思い至る。
は。そういえばなった!!すごくなった!!
クラリッサは強く頷いた。
「筋肉は、強い負荷を受けると、目に見えないほど細かく傷つき、そしてそれを治す過程で、身体は“炎症”を起こす。
ブラジキニン、
プロスタグランジン、
それからヒスタミン……
そして筋肉は前より少しだけ――強くなる。そういうことね。」
「いやいやいや、あの、微細といっている割にはかなり重症なんだけど……」
「ふっ。」
(炎症のピークは二十四時間後――今日は、捨て日。)
いや、ふっじゃなくて。
教師は、ざわめきの中、スケジュールを説明した。
「では、夏合宿のスケジュールを説明する。
五時。朝食を含めて準備をすます。
六時から浜辺での基礎体力訓練
八時から海中抵抗下での移動訓練。
昼食は、その後となる。」
「午後は、班ごとの課題演習。
魔術、剣術、補助行動、状況判断――
すべて混成で行う。」
「夕刻、自由時間と夕食。
そして座学。
就寝は、21 時。」
教官は、淡々と続けた。
「以上が、一日の基本スケジュールだ。
これを、七日間繰り返す。」
そしてクラリッサは海へと消えた。
とてつもない速さだった。
「あの……マリアさん。クラリッサさんは?」
「基礎体力訓練そして、海中抵抗下での移動訓練。
つまり泳げばいいんでしょう、との事です。そして魚をとってくるとの事です。」
──へー魚……
(波の間をすごい速さで通過して、きっと泳いで取るのだろう。)
──相変わらずすげーや。
……いや、そしてクラスのみんなに、この状況をなんて伝えればいいんだろう。
「はっ。
リーシャちゃんが、すごく、すごく遠い目をされています!!」
――なぜだ。
ノックダウンしていたではないか。
だが、それこそだからなのか。
倒れ、
そして、
海へ還る。




