63話 実家への手紙
そうじゃない。
そうじゃないのだ。
お菓子を作るための材料の入った袋が、リーシャの手元で揺れていた。
リーシャの脳裏で、「ケーキ」「交流」「甘いものは正義」
いくつもの計画書が、音を立てて無慈悲に崩れ落ちていく。
リーシャが見た事がある中で、クラリッサ・グランディールは一番キラキラしていた……!
どこか冷めた瞳が年相応の光を放ち、頬がわずかに上気していた。
リーシャは感じ取る。
ここが分水嶺。
ここで、まさに今この瞬間に、意地でも何か言わないとだめだ。
──引いちゃだめ!!リーシャ!!
「……非常に……大きい……」
「うふふ。でしょ?」
死ぬ思いでひねり出した回答が正解だったことに、ひとまずリーシャは胸をなでおろしたという。
「脂のノリもいいし、筋肉の質も上々。
しばらく駆除できなかったからなのか、ぶくぶくと太っちゃって。
鈍重だったから狩るのも手間取らなかったわ。
これなら煮込みでも焼きでもいけるし。」
「……」
(すごく詳しい……。まるで日常的に狩猟しているようにすらすらと……)
クラリッサの説明は、淀みない。
そしてどこか誇らしげだった。
袖を軽くまくり、まるで野菜でも取り出すような自然さで、その巨大な肉の塊を見下ろしていた。
味方だと思っていたマリアが、慣れた様子で布の中身を見分する。
布が解かれる。
そこに現れたのは、リーシャの知っている“猪”とは、明らかに別物だった。
全長は大人2人分ほど。
黒褐色の毛並みは硬く、一本一本が針金のように逆立っている。
背中には岩のような隆起が連なり、額から突き出した牙は、不自然なほど白く、長い。
――大型魔物。
リーシャの故郷でもたまに出ては、人を食い殺している類の。
確かにすごく大きい。
だが、それは既に動かない。
そこに横たわっているだけで、厨房の空気が一段重くなる。
リーシャは、思わず一歩、半歩と後ずさった。
「非常にいい状態です。
指示してあった通り、血抜きはしてありますね。
次は皮を剥いで、肉を捌くところから、まだまだ食材にするための工程は残っています。
はい。リーシャちゃん。鉈。」
「え……?うん。ありがと。鉈?」
「えへへ。」
「……鉈……」
「どういたしまして。」
鉈を渡され、リーシャの手に、ずしりとした重みが落ちた。
鉈は無骨だった。
飾り気はなく、刃は鈍く光り、どう見ても、日常的に使われている道具だった。
「ええ!?!?」
切る方向と力の入れ方さえ間違えなければ、怪我はしない。
そして刃は寝かせて。力は手首じゃなく、肘から。
リーシャは、事前に説明をされていた。
試しに、やってみる。
がっ!!
皮が硬すぎて刃が通らない。
まるで皮鎧。
衝撃でむしろ手が痛い。手首がもげる。
──いや、無理。
(……え、ちょっと待って、これ素手でやるものなの!?
あれ?そういえば今日って……お茶会じゃなかったの……?)
そしてリーシャは、半泣きのまま血の匂いの残る巨大な肉の塊と格闘した。
料理は完成し、リーシャ達の前には立派なトンテキが並んでいた。
長い調理台の上。
湯気を立てながら、堂々と鎮座するトンテキ。
厚切りの肉は、こんがりと焼き色がつき、ナイフを入れれば簡単に切れそうな柔らかさが伝わってくる。
甘辛い香りのソースが、艶やかに表面を照らしていた。
クラリッサは、手慣れた様子で、レストランのようなカトラリーと料理を並べていく。
ワイングラスに飲み物が注がれ、清潔なシーツが敷かれ、そこだけ見れば立派な貴族の食事だ。
「面目ありません。」
「ソースは作ってくれたじゃない。」
「ソースだけだから!!!
本当にそれだけだから!!何もやってないから!!!!」
全部の行程を、マリアとクラリッサがこなした。
食い下がるリーシャに、マリアがにこにこと言う。
「まあまあ、リーシャちゃん。
ソースは味の決め手ですよ?すごくいい香りです。
うん。味も肉に負けてません!甘さと酸味のバランスがいいと思います!!」
──いただきます。
リーシャは手を合わせて、一口、肉を口に運ぶ。
――非常に美味しい。
(うわっ。てーかちょっと何これ。
え?うますぎない?)
しっかりとした旨味。
噛むたびに広がる脂の甘さ。
そこに、リーシャのソースが絡む。
「……美味しい。異常に。」
「でしょ?トンテキだって適切に下処理と温度管理しちゃえば、驚くほどに柔らかくなるんだから。
タンパク質の凝固し始める温度は63℃。
人肌だと熟練の技が必要なのよ。ここまでおいしいなら本格的に開発しようかな。
一部の職人だけできても、どうしてもコストがね……安定供給ラインを整えるが先か……」
「お嬢様ってお肉好きですよねー。」
「お肉食べて、人間は進化してきたってことでしょうね。」
リーシャは黙々と肉を口に運ぶ。
これじゃない。
想像してたものではない。
ケーキもない。
甘いクリームも、ふわふわのスポンジもない。
泡立て器はない。
ゴムベラもない。
あるのは、鉈と、血の匂いと、肉塊。
経験したことのない世界。
でも。
テーブルを囲んで、
同じものを食べて、
同じ「美味しい」を共有している。
みんなが楽しいならいいのかな?
リーシャは首を傾げていた。
そしてそっと、肉を囲んでの女子会(※?)をしているその傍らへ、
その大きな違和感へ、
リーシャは視線を逸らした。
(……これって、どうするのかな?)
「さて、やりますか。」
食後、クラリッサは立ち上がる。
使用済みの調理器具。
大量の血と油まみれのまな板。
床に残る、夥しい肉塊。
換気が間に合わなかったのか、ひどく残る血と獣の匂い。
惨殺死体現場そのもの。
「クラリッサさん。なんか、これを片付ける秘策があったるするの?」
「反復。」
「……」
「手間と時間をかけるんですよっ。リーシャちゃん!!」
「いや、薄々そうかなって思ってたけど、規模が……」
当然、後で仲良くみんなで掃除した。
死ぬかと思った。
──その夜。
窓の外では、王都の灯りが静かに瞬いている寮の部屋。
小さな机に向かい、リーシャは羽ペンを取っていた。
リーシャは実家に向けて手紙を書いていた。
一文字目を少しだけ迷ってから、書き出す。
お父さん。
お母さん。
貴族って凄いです。




