57話 一時、別れて
グランディール領に馬車が到着した。
その馬車はこれから、魔王戦線の最前線まで、一気に移動する。
乗客は聖女見習い――クラリッサ・グランディール。
――ゲーム開始は3年後。
(とにかく魔王戦線を、可及的速やかになんとかするしかない。
そして破滅フラグをなんとか潜り抜ける。
そして――夢にまで見た筋トレ生活に入って見せる!
ボディビルの世界大会、オリンピア――それを企画し、その頂に、自らの存在を刻むまでは、止まれない!)
運命がきっとゲーム開始の地点にクラリッサを導くだろう。
たとえそれが、偽聖女の死亡フラグが立ち、行く先を暗雲が覆おうとも。
ゲームのオープニングには、クラリッサはいなければならない。
ゲーム画面的に。
馬車の前に立つクラリッサを、マリアはじっと見送っていた。
だが、マリアだけではない。
ほかにも多くの人々が、見つめている――まるで、英雄の旅立ちを見守るかのように。
クラリッサは、いつもの軽口を混ぜて言った。
「しばらくお別れね。マリア。
ミスってしまったから、聖女候補よ。
最悪よ。筋トレできるかなー。やだなーカタボリックしたら。」
「お嬢様。」
「マリア。そんな顔しないで。多分、15歳までには戻ってくるから。3年くらいかなあ。」
「なんでですか?」
「運命だから。」
(──ゲームが始まるのは15歳の、学園の入学式だからです。)
「神の啓示ですか?」
「まさか。知ってるでしょ。私にそんな力がないってことくらい。
私は戻ってこないとならないの。ここに。絶対に。
それまでグランディールをお願いね。マリア。」
「お嬢様。実は私、筋トレに興味がなくて、メニューもろくに覚えておりません。言われた通りに動くことしかできません……!」
「羊皮紙に書いてあるから。
あとバルド・ガルディウスを置いてくから、彼から教わって。
というか手紙を送って。彼の筋トレメニューを。」
「ところでお嬢様。お嬢様のレベルって。」
「5だけど?」
「……そもそも、お嬢様がレベル上げれば良かったんじゃ。」
「筋トレできなくなるから絶対に嫌!!ただでさえ頭のおかしい重量なのに!!!重りどうするのよ。バーベルのバーがもう耐久力限界なのよ!!!
「自覚なさってたんですね。
もしかして、あの、もしかしてなんですけど、レベルを上げたくないから、武術大会の件、全部私に任せたとか。
だって考えてみると、お嬢様が変装するとか他にも手段が……」
「……」
「お嬢様ああ!!!」
馬車の脇に立つエドワードは、影の中で静かに佇んでいた。
「父上。
思いの外大事になってしまいました。このクラリッサ、一生の不覚であります。」
「お前、仮に全てがお前の目論見通りに進んだら、どうするつもりだったのだ?」
「美容革命の利益で、教会勢力の買収に走るつもりでした。」
「……」
「この恨み、絶対忘れない。
レオナールめ!!!あとエルンスト!!」
──そうじゃない。
相対することは絶望と等しいと言われた魔王については、倒せる前提なんだなと、その時、エドワードは遠くを見ていたという。
魔王と相対することではなく、目論見通りに教会勢力を買収できない事に腹を立てているんだー。
アルヴェルトは、静かに風を受けながら、淡い光に輪郭を照らされていた。
その瞳には、険しい表情と、どこか少年のような不安が混ざっている。
「殿下。申し訳ありませんでした。」
「何を謝る。」
アルヴェルトのクラリッサに向ける視線は、誓いのようにまっすぐで、しかし少しだけ震えており、そしてどこか悔恨の影もあった。
「殿下との婚約は難しそうです。」
「すまぬ。力が足りぬばかりに。筋トレの大会どころではなくなってしまった。」
「婚約は破棄してしまっていいですよ。
事実上、婚約破棄みたいなものですけどね。」
「破棄はしない。生きて帰ってきて、僕を王にするんだろう?」
「殿下。
初めてあなたの兄上、レオナール殿下と話しましたが、あなたのお兄様は本当に手強い。ちょっとびっくりしました。腹黒さで並ばれたのは久しぶりです。」
(──ありゃやべえわ。命がいくつあっても足りない。)
「負けるかもしれない。だけど、クラリッサ。手を握ってもらえるかい?いつかの時のように」
手を差し出すアルヴェルトの指先は、緊張と期待に微かに震えていた。
そして手を握るとアルヴェルトは、小さく笑みを含ませた。
「動かないな。あれから僕も鍛えたのだけど。」
「ふふ。私も鍛えてるので。甘いですね。」
「僕は、この畏怖を忘れないよ。クラリッサ。」
馬車の輪が石畳を踏み鳴らし、ゆっくりと動き出す。
軋む車輪と遠ざかる足音、揺れる幌の隙間から光が差し込む。
その向こうでみんな手を振っていた。
父エドワード。
母マルグリット
兄セドリック。
第二王子アルヴェルト
多くのグランディールの領民。
そしてマリア。
クラリッサには静かに燃える強い覚悟があった。
どう、転んでも、3年後にはこの地へと帰ってこなくてはならない。
いたずらに時を過ごしていては、この命は無慈悲に散る。
だからこそ、運命に抗う術を、必ず見つけねばならない。
悪役令嬢としての運命に押しつぶされないように。
クラリッサは馬車に揺られ、消えていった。
3年が経った。




