51話 戦いは終わった
――……あれ?起きてこない。
人ならざるものに変身を遂げたラインハルトを前に、クラリッサは眉をひそめる。
一歩、距離を詰める。
(呼吸……ある。動いている。
魔力……ある。多分。
変身……完了。でも、あー、変身したまま失神してる。)
空気だけが、なおも微かに震える。
魔力の残滓が、焦げた香のように場に漂い、静寂が、それを包み込む。
肉体は異形へと昇華され、角は夜を裂き、翼は血を孕んだ闇を抱く。
変身は、完全に果たされていた。
ラインハルトは、起き上がらなかった。
その顔は、凄絶だった。
変身の力が与えた悪魔の相。
しかし、純粋な予期せぬ痛みによって、なおも叫べぬまま固まる眼差し。
歪んだ口元。
引き攣る頬。
激痛に耐えきれず、神話から引きずり下ろされた敗者の相。
魔性の仮面を被りながら、その奥で、ただ一人の人間が痛みに震えている。
(なんだか、拍子抜け。
昂揚も、達成感も、訪れないというか、演出の割に、締まらないというか……痛みと混乱がそのまま固着したような、あまりにもすごい顔ね。無様。)
クラリッサは、しばし動かなかった。
そしてしゃがんで悪魔の頭をつつく。
わずかに遅れて、会議室全体が、爆ぜるように歓声を上げた。
「お嬢様!!やりましたね!!」
「ありがと。マリア。」
マリアの声で、現実へと引き戻され、クラリッサは立ち上がり、肩を軽く回した。
悪魔は、念入りに封じられていた。
悪魔の周囲に形成された幾重にも重なる魔方陣が、まるで透明な檻のように重なり、閉じていく。
刻まれた刻印は、意識を混濁させ、力を奪い、封じるための魔術。
魔術とくれば、この人。
セドリック・グランディール。
王国でも指折りの魔術師。
そしてクラリッサの兄。
彼は一歩、結界の内へ踏み出して、その魔術を完成させた。
つい先ほどまで、クラリッサをどうにか貶めようと、言葉と理屈を巡らせていた貴族達からすら、思わず声が漏れる。
「……見事だ……」
「これほど無駄のない封印は……」
「クラリッサ。さすがだね。兄として、鼻が高いよ」
「お兄様!!わたくしは、お兄様のお手を汚す手間を省けて、ホッとしております!!」
セドリックは、クラリッサの頭をくしゃくしゃにするように撫でた。
「ところで、もう帰っていいと思いますか??
もう色々終わったなら、そろそろ帰って筋トレしたいんですけど。」
「我が妹よ。わたしが帰っていいと言うと思うかい?」
「はい!!!ダメですか!?!?」
「だめだね。」
「むう……」
名が重なるたび、議場の空気が一段ずつ冷えていく。呼名が終わらない。
「……。
「グスタフ・アイゼンベルク伯爵。
「ミュラー・エルンスト男爵。
「アーデルハイト・フォン・リーベルト子爵。
「ルドルフ・カインツ伯爵。
「ハンス・ヴァルター男爵。
「クラウス・フォン・ベルンシュタイン侯爵。
「……──
やがて終わる。
「以上だ。ここに名前が載っている全ての貴族言い渡す。追って指示は伝える。」
レオナールの言葉でもって、議会は終了した。
そのお通夜のような雰囲気の中で、1人ずつ貴族たちが呼び出されていく様子を、クラリッサは見つめていた。
(全員しょっぴくとやばいから、色々やるんだろうなあ。議論は終わったけど、裁定は終わっていない。
根回しと、切り分けと、段取り。まあ政治ってそういうもんか。)
──つまり、祭りが終わったので、ようやく現実に戻るという事なのだろう。
ただ。現実に戻るということは、恐るべき問題に直面することを意味している。。
──どうでもいいけど、筋トレの日課終わってないんだけど!!!!
もう帰っていい!?!?
事がすべて終わった後、一室に集められたのは、選ばれた者たちだけだった。
クラリッサ・グランディール。
その父エドワード・グランディール伯爵。
第一王子レオナール・アルシェリオン。
第二王子アルヴェルト・アルシェリオン。
教会代理(大司教代理)エルンスト・グレゴリウス
宰相ヴァルター・フォン・シュトラウスをはじめとして、財務、法務、軍務──名前を聞くだけで国政の重みが伝わる顔ぶれ。
まるで、国の重鎮のデパート。
一人ひとりが、それぞれの分野で頂点に近い。
先ほどまで火花を散らしていたはずの面々が、妙に呼吸が合っているというか、役割分担の空気で揃っていた。
これが普通だとばかりに敵意などは微塵も見られない。
距離。
立ち位置。
視線の交わし方。
クラリッサはさりげなく配置を見て気づく。
(あれ?なんだか仲良くない?この人たち。
なんかさっきまでやたらギスギスしていたような気がしたんだけど。)
互いに牽制していたはずの視線は、いまや一切無駄に交差していない。
誰が話し、誰が黙るかが、最初から決まっている空気感。根回しが終わっているように。
――合意が取れてない?これ。
クラリッサは非常に、果てしなく非常に嫌な予感がした。
その場の最高権力者であるレオナールが口を開く。
「さて、クラリッサ・グランディール。八面六臂の大活躍だったな。」
「いえ、普通です。」
「お前、そこは受け取れ。」
「受け取ってます。全身全霊でもって受け取ってます。でも実際普通なんで。」
圧が強い瞳で紡がれる、第一王子レオナールの言葉を、クラリッサは全力でそっけなく流した。
不敬だろうがなんだろうが構わない。嫌な予感がしているので、クラリッサは全力で逃げると決めていた。
肌でわかる。
称賛の次に来るのは、役割の固定だ。
むしろ不敬とか言って怒ってくれる事を期待していた。
その方が、帰れるし。




