50話 変身と変身途中
彼の周囲を、闇が覆っていた。
ラインハルトは踏み出す。
最初に掴まれた騎士は、鎧の胸元を片手で掴まれて、そのまま投げられ、重さを失ったかのように宙を舞い、壁に叩きつけられて沈黙した。
次は拘束しようとしていた騎士ごと、凄まじい力で同様の結果をもたらす。
「オルデリク公爵。これは?」
「おかしい。ラインハルト伯は、あそこまでの強さはない。あんなのは知らない!!
彼奴は私の派閥です。武術大会での動きはある程度は把握はしていた。
だが、それは直接的な戦闘についてではない!!
あれは。あんなのは聞いていない!!」
「ほう。
公爵ともあろうものが、派閥の男爵の思惑を聞いていない。それをどうやって証明する?
貴様の名も帳簿にあるが。」
「あえて毒を飲んだのは制御のため。
国のための活動であったと、誓って。」
「ほう。」
「この場は責任を持って、私が対処します。
この命に変えましても。」
「まあ、やめておけ。」
「ですが!!」
「この場を、納めるのにふさわしい人物がいる。そうであろう?」
彼女はすでにそこに立ち、相対していた。
「見ろ。すでにそこにいる。ラインハルトの目の前にな。奴はおそらく、ここまでを最初から計算していたのだろうな。」
「な、ま、まさか。馬鹿な……あのような、年端もいかぬ少女が……」
「そのまさかだ。オルデリク。クラリッサの仮面に騙されるなよ。あれは毒だ。
お前だけではない。俺も、全ての貴族も、全ての教会勢力も、あの小娘の手のひらの上だったのだ。」
まるで最初から――今まさにこの瞬間に至るまでの段取りが、一つの誤差もなく組まれていたかのようなタイミングだった。
「マリアの35レベルは、確かに目から鱗だった。
だが、全て人為的にもたらされたものだ。
どこが本質か見誤れば、今度こそ奴に食い尽くされるぞ。アルシェリオン王国ごとな。」
「殿下……」
(レベル制の破壊すら、本質ではない。教会の懸念はまさしく正しかった。奴は、悪魔だ。)
クラリッサの無垢の仮面の下には、貴族全てを絡め取り、逃げ道を奪うための罠が、音もなく、完璧に張り巡らされていた。
むしろその無垢という仮面そのものが、獲物を安心させ、深く踏み込ませるための装置だったのだ。
「化け物……。」
戦慄に塗れたオルデリクの言葉は、誰にも聞かれず消えた。
闇のオーブが嵌め込まれた杖を、ラインハルトは静かに掲げた。
――その時だった。
会議室を包囲していた一画が、爆ぜた。
クラリッサにもそれは直撃していた。
足裏に体重を落とし、ベンチプレスをあげるように、腹圧でテンションを保つ──ようは単純にフィジカルで耐えた。
(……爆発じゃない、圧力のようなもの。音は遅れてきた。先に来たのは、空間そのものが拳で殴られたような衝撃。)
「……ああ、やはり、こうなったか。俺の執事が拘束されたと聞いてから、嫌な予感はしていた。」
ラインハルトが低く、苛立ちを含んだ声。
床が鳴き、壁が悲鳴を上げて会議室の一角が消し飛ぶ中で、彼の周囲だけは会議室は元の景色を保ったまま。
(……なるほど。中心は衝撃が及ばない。半径はせいぜい数歩。魔法障壁かな?)
悲鳴と、呻きの中で、クラリッサは、助走をするように、足を一歩だけ引いた。
そして――
ドゴオ!!!!!
クラリッサの拳が、確かな手応えとともにラインハルトのみぞおちへ沈み込んだ。
衝撃音が、爆発のように響いて、ラインハルトの身体そのものが、くの字に折れた。
クラリッサの拳が、正確に、容赦なく、腹部へと突き刺さっていた。
魔力防御も、闇の衝撃も、発動するより早く。
「……あ……」
ラインハルトの肺の空気が、一気に吐き出される。
「……が……」
声にならない音だけを残し、闇の魔力を纏う男はその場に崩れ落ちた。
クラリッサは拳を下ろして、倒れた相手を見下ろすこともなく、ただ一歩、距離を取る。
オーブが、脈打つ。
どくん、と。
地に伏したラインハルトの鼓動と、完全に同期するかのように。
次の瞬間、ラインハルトの体から闇が噴き上がり、魔力が解放される。
否、解放されすぎている。
空気が震え、床に精製されてい魔術陣が次々と悲鳴を上げて砕け散る。
変身だ。
筋肉の輪郭が、衣服の上からでもはっきりと浮かび上がり、背後に、影が生える。
翼。
魔力は、なおも増大を続けていた。
満ちる。
満ちていく。
「ちっ……変身が止まらないか。ブラッドオーガも悶絶した内臓殺しなんだけど。」
「お、お嬢様。それってありなんですか!?!?なんか変身しようとしてましたよね!?!?」
「だって。なんで変身待たないといけないのよ!!
敵が“これから強くなります”って宣言してるのに、律儀に待つ意味!?
戦闘は舞台挨拶じゃありません!!準備中は、殴られないって誰が決めたんですか!?」
あまりにも真っ当な意見に、ひどくやりきれない想いをマリアは抱いたという。
変身が進む。
闇が、なおも彼を覆い続け、背中の翼は肥大し、
筋肉は不自然なまでに膨張し、魔力は制御を失いかけたまま、噴き上がる。
マリアの視線は、なおも地に伏し、闇に半ば呑まれたラインハルトから離れない。
「あれってなんなんです?」
「悪魔化。魔王に魅入られるとああなるのよ。
本来、教会や貴族が私に認定したかったのは、私が魔王の手先じゃないかってこと。つまり、あれね。
戦闘力が爆発的に拡大するけど、理性を失うわ。」
「お詳しいんですね、」
「実家の書庫にあったの。」
──まあ嘘だが。ザ・レイディーファーストキスで似たような敵がいただけだ。深い考察でもなんでもない、ただの過去ログ参照。
やがて、変身が終わった。
闇の奔流は収束し、膨張していた魔力は、ひとつの形へと縫い留められ、それは悪魔と形容するにふさわしい。
「ここからが地獄かもね!!マリア。力をかしてもらうから!!!」
「が、頑張ります!!!」
……あれ?起きてこない。




