49話 宝剣クラウソラス
帳簿が議会に提出された以上、議題は紛糾を要するものとなる。
闘技場の裏帳簿。不自然な勝敗。不正に吊り上げられた配当率。
──裁定は確定する前に。これらの論点を可及的に速やかにすり替える必要があった。
ただ、盤面が露わになっただけだと、貴族席の一角では、冷や汗を流す。
確定したのは、マリアの件についてだけにすぎない。
そして前哨戦の言葉は、尽くされた。
ゆえに――
切り結ぶのは、ここからだ。
互いに武器を抜き、
間合いを測り、
どこに踏み込めば致命となるかを探るようにオルデリク老公爵は踏み込んだ。
「殿下。まさかクラリッサ・グランディール嬢の、発言全てを信じたわけではありませんな。
帳簿そのものが偽造されたものである可能性もある。」
「はっきり言おう。仮にこの帳簿が本物であった場合、多くの貴族が役目を終えることになるだろう。
精査。そしてその手続きの処理は、一両日では終わらぬ。」
「わかっております。」
(……小娘が。)
オルデリクの毒づく思考が、歯の裏に滲む。
能面を張り付けながら、心の中で毒づく。
オルデリク公爵は、クラリッサ・グランディールの平然とした様子に、腑が煮え繰り返る思いだった。
──すでに議会会場が王国騎士により包囲されているだと?
なんという手際の良さだ。まるで初めから、罠にかかった獲物を仕留めるべく、最善手を打ち続けるような。
周囲の手のものがジェスチャーで告げている。
外につながる通路、全てが。
否定の余地はない。
本当に、包囲されていた。
「そもそも皆さん、不自然だと思わなかったのですか?王国武術会の試合結果は偏っていますよね?
栄光ある武術大会は、下劣なる遊戯大会にされていた。その仕組みは非常に効率的で、私、感心しているんです。説明しても?オルデリク公爵。」
「……」
「ありがとうございます。
まず試合順操作。実力差のある者同士を初戦で当てる。あるいは、連戦になるように特定の選手を配置し、消耗を誘発する。
次に、審判を買収します。反則の見逃し、攻防判定の遅延、場外の基準変更などでしょうか。
最後に裁量。
――ここまですれば、意図的に結果を操作できる。
なんなら、“格上に勝った奇跡”の演出も簡単であるという想像に容易い。
番狂わせを意図して引き起こし、台本をなぞるように、晴れて英雄が誕生しましたね!おめでとうございます!!」
長い歴史を誇る武術大会の英雄を、根こそぎ穢すような残酷な事実を、クラリッサは告げていた。
「――表向きの勝敗は偶然。
賭博は娯楽。
配当は運。
しかし裏では、貴族にしか払えない金額での高級賭博グループ。
まあそれくらいは構わないと思います。しかし試合結果の八百長はいただけません。結果そのものを操作した時点で武術大会ではなく――ただの詐欺です。
そして、最も私が関心したのは、マネーロンダリング。
試合結果を利用して資金の横流し。
〈黒檀の秤〉
〈赤環同盟〉
〈夜帳〉
〈聖灰会〉
台本の通りに、資金は“合法的な賞金”となり、
“正当な賭博利益”となり、
“寄付”になります。
これで、出どころのない“きれいなお金”が出来上がります。なるほどよく考えられている。わたくし、考えもしませんでした。
表裏、問わず。
私の目から見ても、武術大会は優れた資金洗浄装置です。
なのでマリアのレベル詐称くらいは、可愛いものだと思いますけど。」
その時、会議室に入ってくる、第二王子アルヴェルト・アルシェリオンの姿。
オルデリク公爵は、それを見た時、すでに罠の奥深くまで引き込まれている事を悟った。
理解したときには、もう一歩も、退くことも進む事もできなかった。
アルヴェルト・アルシェリオンは、周囲に一瞬だけ視線を巡らせ、それを提出した。
「兄上。こちらを提出します。」
提出されたのは剣。
鞘は深い蒼銀で表面には微細な星紋。
柄には淡い金糸。
ゆるやかに鞘から抜かれた刃は、息を呑むほどに澄んでいる。
見るものの心を奪う、まずお目にかかれない美しさ。
「宝剣――クラウソラス。
かつて王権の正統を証明する象徴にして、歴史の闇へと失われたはずの剣。
……武術会場の地下で見つけました。」
今、何かが一つ、確実に終わった。
終幕を告げる合図の中で、アルヴェルトは、一瞬だけ視線を巡らせ、クラリッサへと目を留める。
「終わったよ。クラリッサ。」
「殿下。お待ちしておりました。」
(──いや、ほんとにナイスタイミングっす。)
クラリッサは一歩、優雅に身を正した。
沈黙の中、レオナールは、ゆっくりと立ち上がる。
「全員動くな。立ち上がることも許さん。動いた瞬間、首と胴が離れると思え。」
杖が、床へと振り下ろされる。
カンッ――!!!!
直後、扉が開き、武装した騎士たちが無言でなだれ込んでくる。
そのまま会議室の輪郭に沿うように、配置が組み上がっていく。
扉の内側。
壁際。
柱の影。
窓の前。
会議室は完全に凍結した。
──が。
座り損ねたクラリッサは、立ったままだった。
手持ち無沙汰にしていると、父である、エドワードと目があう。
──絶対に動くなよ、クラリッサ。空気読まずに、いつもみたいにトイレとか言わないように!!!
──いや、座るタイミングを、完全に失っていただけです!!
今さら腰を下ろすのも不自然な以上、この状況で動く勇気などあるはずもありません!!トイレなんていきません!!!
表情には、一切出さない。
内心の綱渡りを、誰にも悟らせない、完璧な微笑みという仮面。
そしてもじもじしながら、クラリッサは思う。
(……父上。さすがです。予知魔術の使い手になられたのですね。喜ばしいかぎりです!)
※非常にトイレに行きたい。
その時、
拘束しようとしていた騎士ごと、部屋を包囲していた一画が吹き飛んだ。
ラインハルト男爵がその中央に立っていた。




