48話 帳簿
もう幾度目だろうか。議場の空気が――死んだ。
分厚く、留め金は歪み、角は擦り切れている、その革装丁。
その“何か”を、クラリッサは机の上に置いた。
言葉は呼吸を失い、思考が凍るような沈黙の中で、鈍い音ともに誰かの喉が鳴った。
「ここに帳簿があります。誘拐された時に、ここの地下で見つけた帳簿なのですが。」
ガタッ──!!
円卓の片隅で、一人の貴族が椅子を倒しそうになり、音をたてた。
「お前は異端だ!全て狂言だ。全てだ!教会も言っていた!!お前は悪魔だ。」
「急にどうされましたか?ラインハルト男爵。
異端というと、誘拐の件ですか?それともレベルの件ですか?」
「……どちらもだ!!」
「それは先ほど証明されましたよね。レベルの差は努力の差、積み重ねの差。
そして環境を整えた側とこなかった側の落ち度の差です。
ただ、私が誘拐されていた。これを証明する手段はありませんね。」
「ならそれは嘘ではないか!!」
「なるほど、なら、読み上げますね。」
低く、しかし明瞭な声が空気を切り裂き、議場全体を一瞬にして沈黙させた。
クラリッサの声は、逆に重く、冷たく、場の全ての熱を凍らせるように穏やかだった。
武術大会の試合順操作――オルデリク公爵。12,000枚の金貨。決勝戦前に組み合わせを操作、傭兵団への便宜を見返りに。
審判買収――アルマンド伯爵。6,700枚の金貨。裁定や反則の黙認、勝敗操作。
八百長賭場・配当操作――フェリクス伯爵。15,750枚の金貨。賭博のレート操作、負け分回収と裏帳簿明細あり。
隠蔽用魔法契約――セレノ伯爵。7,800枚の金貨。魔法で記録を改ざん、賭博関係者に秘密保持義務付与
偽装勝利金支払い――ヴィクトリア公爵夫人。3,200枚の金貨。架空の寄付名義で選手に現金支。
選手買収・脅迫契約――オリヴィエ伯爵家。11,200枚の金貨。試合放棄や敗北指示の契約書記録。
帳簿をめくるたび、頁を進めるたびに、場の重力が増すような錯覚。
クラリッサの読み上げは続く。
議会は異様な静けさの中にあった。
「あら、皆さんお静かになられて、どうなさったんですか?このような数字の羅列にどれだけ意味があるんでしょうか。
一応言っておきますと、マリアの嫌疑は晴れましたが、私自身が悪魔かどうかの嫌疑は、晴れていませんでしたね。」
「ほらみろ!!」
「今のあなたと同じです。」
「なに?」
「ひどく取り乱すんです。本当のこと言うと。意味がわからないって。」
バキッ──!!、
手すりが壊れる。
「鍛えれば、誰でもこれくらいできるのに、みなさん、こんなのはおかしいって。
本当におかしいんでしょうか。
剣は振れば強く振れるようになりますし、魔術だって同様です。
なぜ腕橈骨筋、手指筋群をはじめとする筋肉だけを仲間外れにするのか、理解に苦しみます。」
──いや、それはおかしいと思う。むしろ全員が思っていた。
誰も言わないが。
「まあ、どうでもいいですね。そんなこと。ではこれ。提出します。どうぞ。」
「でたらめだ!」
「出鱈目なことなら、余計にいいじゃないですか。だって出鱈目なんですから。」
「そんなものを殿下に渡すなといっている。」
「残念。」
クラリッサはレオナールの前に帳簿を置いて、ラインハルトに向けて舌を出した。
「もう提出しちゃいました。」
「貴様……!!」
「あとでアルヴェルト殿下が証拠品をもってくるので、合わせて照合してください。」
その一言と同時に、椅子にわずかな軋みもなく、衣擦れの音を、できる限り立てぬように、議場の“賢い者たち”が、ほぼ同時に出入口に向かっていた。
「ああ。帰られるんですね。お気をつけて。」
貴族たちの足が止まる。
「アルヴェルト殿下にお願いして、王国騎士達がすでに、会場を警備していますので。
正面、裏門、貴賓口、地下通路、全部です。何かあるといけませんからね。」




