32話 伯爵家メイド、マリア
マリアはメイド服を着たメイドだった。
服越しでもわかるほどの細身。というか15歳にもいっていない子供だ。
箒を構える姿に力みはなく、闘志も見えない。
(予選全勝?どうせ、運が良かっただけだろ。最初の一撃で終わらせる!)
バルドは、あえて大きく肩を回した。
筋肉を誇示するように、観客へと向けて。
観客は答える。割れんばかりの歓声。
力で押しつぶすことが彼の役割であり、この闘技場が求めている勝ち方でもある。
獅子の方角の少女は、微動だにしない。
(怖くて動けないか?)
バルドは、口の端を歪めた。
角笛が鳴る。
バルドが大剣を振り下ろさんとした時、箒が一閃された。
ドゴオッ!!!!
穂先が風を孕み、打撃でも斬撃でもない衝撃が解き放たれた。
「――っ!?」
鈍い音とともに、バルドの身体が宙を舞いかけ、その巨躯が砂地を削りながら後退する。
止まらない。
止まらないが、場外線、ほんの一歩手前。
踵と剣が砂に深く食い込み、巨体をかろうじて踏みとどまらせた。
マリアは、少し首を傾けた。
「あれ?……終わらないんですね。今までの相手と、ちょっと違うなあ。殺しちゃうと失格ですもんね。うわ。大変だぞこれ。」
観客のざわめきが消えて、闘技場に、重い沈黙が落ちた。
笑っていた男の顔から、余裕が、消えていた。
「……は?」
バルドの口から、低い声が漏れた。
チラリと後ろを見やる。
本当にギリギリ。
なんなら、少し態勢を崩せば終わっていたであろう距離。
バルドに笑みは、もうない。
歯を剥き、肩で息をしながら、巨体がゆっくりと構え直される。
「いいぜ……全力でやってやる。まさか、初戦でこいつを出すことになるとはなあ!!!」
地面に突き立てていた大剣を、引き抜くと同時に、複数の魔術陣が展開した。
赤、橙、深紅。
筋力強化、反応速度増幅、耐久補正。
戦闘用エンチャントと自己強化バフの同時解放。
魔力が血管を駆け巡ると、筋肉が一段階、異様に膨張する。
観客席がどよめいた。
「――魔剣解放」
バルドが呟くと同時に、大剣の刻印が明滅し、刃が火を吹いた。
ただ燃えているのではない。
魔力を媒介に、剣身そのものが熱を纏い、一振りごとに灼熱と衝撃を叩きつける兵器へと変じたのだ。
砂が溶け、空気が歪んだ。
「これで――潰れねぇなら、褒めてやるよ。クソメイド。遊びは終わりだ。」
王都武術会常連、バルド・ガルディオスが本気で戦う時、必ず踏む――戦闘力解放の定型手順。
観客のざわめきが、恐れへと変わる。
「出たぞ……」
「ここからが、本番だ。」
「本物の戦いがはじまる。」
この状態のバルドを正面から受け止めて無事で済んだ相手はいない。
――少なくとも、バルドはどんな相手も、これで真正面からたたきつぶしてきた。
それは闘技場の空気が、一段階――危険域へと入った事を意味していた。
マリアがその炎の軌跡を避ける度、会場は異様な雰囲気に包まれていた。
バルドの剣撃は、美しく、そして力強い軌道を描いてた。見惚れるほどに。
赤、橙、深紅の魔力、全力で振るわれるバルドの練達されたその攻撃は、マリアには、一切届いていない。
マリアはすべて――避けていた。
バランスを崩したかのように転んだかと思えば、箒を振り払い、炎を払った。
大袈裟に飛びのく。
悲鳴をあげて、体を縮める。
どれも掃除の途中で、人を避けるように、そんな日常の所作が感じられる、素人くさい動きだった。
やがて炎を払っていた箒が破損した。
そりゃそうだ。普通に箒だからだ。掃除用なのだ。
焦げ臭さと同時に乾いた音。
柄に亀裂が走り、穂先が、ばらばらと砂に落ちる。
「……箒が壊れました……!?弁償しないとならないんでしょうか……!!控室にあった、アルシェリオン王国の備品なのですが!?どうしましょう!?」
闘技場に、ざわめきが戻る。
「終わりだな……避けるだけじゃ、勝てねぇ。」
「……大丈夫かなあ。箒がないと、死んじゃうかもなあ。」
「ほざいてろ。クソメイドが。」
バルドは大きく息を切らしながら言った。
肩が上下し、魔剣の炎もやや弱まっている。
マリアは無表情で壊れた箒を見下ろしていた。
観客席が、再度静まり返り、誰もが思った。
――このメイドは、おかしい。
武器は破損し、絶対絶命。
相対するのは、アルシェリオン王国有数の実力者、バルド・ガルディウス。
すでに勝負は決まった。
だが、誰もがなぜか、笑えなかった。
衝撃だけが――あった。
バルドの腹部に、何かがめり込む。
拳か、体重か、あるいはただの前進か。
見えた者はいない。
空気が潰れ、鈍い音が遅れて響く。
「――ぐっ……!?」
バルドの巨体が、腹を折り、背をまるめ、炎を纏った魔剣を取り落としながら、吹き飛んでいた。
砂地を削り、場外線を越え、結界に叩きつけられてようやく止まった。
闘技場は、完全に沈黙した。
そこに立っていたのは、
華奢なメイド一人。
声が闘技場全域に響き渡る。
「勝者、マリア。」
マリアは、倒れ伏す男の肩が上下しているのをて、ほっと息をついた。
「……よかった。生きてる!!お嬢様と違って、私って拳での攻撃って――手加減があんまり得意じゃないんですよね!!」
マリアは、ふとこの6カ月のことを思い出していた。
――クラリッサに、「護身用ね」と言われ、剣を一本を雑に渡され、身一つで、ダンジョンにぶち込まれた事を。
時折領内に現れる、オーガだの、トロールだの、頭のおかしい大型魔物と正面から戦わされた時の事を。
戦闘が終わるたび、手渡されたのは水筒。
中身は砕いた魔石を溶かした、どろどろの何か。
そして、戦闘後のフィードバックの為の論文を書かされ、足りない動きを覚えるまで、マジで寝かしてくれなかった事を。
さらに筋トレで激しく追い込まれて……etc
……やばい。
今更ながらに、マリアは結論に至った。
(私って、ロクなことされてないんですけど!!お嬢様ぁぁぁ……!!!)




