3話 剣の授業
侍女であるマリアが、侍女長からそれを聞いた時、戸惑いを隠せなかった
剣術。
「無理じゃないでしょうか。だって、クラリッサ様って階段を上り下りするのもお手伝い必要なんですよ?」
侍女長は答えなかった。
──どうせいつものわがままだろう、と、その沈黙が言っていた。
屋敷の正門を抜けると、来客用の広い表庭が広がる。
それを横目に、屋敷の奥にひっそりと延びる小径がある。
そこを抜けると奥庭だ。物置やプライベートな空間がある。
すでにクラリッサがいた。
柔らかなリネン地のブラウス
下半身は前後にスリットの入った長めの分割スカート。
足元は革製のレースアップブーツ。
運動のしやすい格好をしている。
「すいません。遅れてしまいました。」
剣術訓練に付き添うなどはじめてで、侍女長とのブリーフィングが長引いてしまった。
「いいのよマリア。早速始めましょう。筋肉は寛容なのだから。」
──あれ?小言が来ないな。筋肉?
それは、病になる前のお嬢様であったらあり得ない光景だった。
クラリッサが剣をにぎっていた。
クラリッサは剣を持った。
「ふんぬ!!!」
凄まじい発声と共にいきみ、剣を持ち上げると、すぐに落とした。
明らかな筋力不足。
──ほら、癇癪を起こすぞ。
マリアは身構えた。
無言でクラリッサは立ち上がると、何もなかったように先ほどの動作を繰り返した。
「ライウェイ!!!!」
そして騎士の見様見真似で剣を振り、すっ転ぶ。
膝に擦り傷。
クラリッサは、再度、奇声を上げて剣を構えては、転ぶ。
マリアは非常に距離感に悩んでいた。
放置もしづらい。
なんか思ってたのと違う。
泥臭い。
クラリッサは起き上がりながら、何やらぶつぶつ言っている。
怖い。
「筋力が無さすぎるのね。だけど、わずか数キログラムの剣で筋トレができるって楽よね。マリア、そうは思わない?」
「剣は、そこまで重いものでもないと思うのですが。あ……」
「んー。40レップでいいか。何セットできるか評価しよっと。」
「あの、クラリッサ様。続けるのですか?」
「見てたでしよ?まだ5回しか持ち上げてないの。あと35回あるし。」
「今までなら、もうやめていたと思うのですが。」
「かもね。剣って重いもの」
その日は、結局10回も持ち上げられなかった。
否定的な発言や、不敬な発言がかなりあった気がするが、全てスルーされた。
クラリッサの機嫌次第では、侍女の仕事を失ってもおかしくない。それほどの発言を何度も言ってしまっていた。
引率の騎士団を見ると、肩をすくめていた。
(いつもすんません。)
あとで差し入れを持っていこう。
次の日、這々の体で、庭までクラリッサはきた。
「ぐぬぬぬ……!く、全身が、痛いう、動けぬ。この俺が……こんなことでー!」
「俺……?クラリッサ様、無理ですよ。体に痛みがでて、歩くので精一杯じゃないですか。」
「むう……ひ弱すぎて泣きそう。ぐっすん。当座は素振り10回連続を目標にする。」
「今日はどうします?」
「騎士団の人に理由を言ってお休みにしてもらう。その代わり、歩く。血液を循環させて、炎症を吹っ飛ばす。く、悔しい……」
意味のわからない発言も増えた。
その日は庭で待っていた騎士のところまで歩き、剣術修行を休んだ。
その次の日から、どうも様子がおかしかった。
ふんっ!!。ふんっ!!。ふんっ!!。ふんっ!!。
動作は一般的な子供といったところ。初日比べれば、ひどく軽快。
「初日の超回復が終わったみたいね。さすが若い体。速い。素振り連続10回は、そりゃ、この体格でもできるわよね。あー焦る。とりあえず、40回できた時点で、プッシュアップに切り替えます。」
「プッシュアップってなんですか?」
「腕立て伏せ。プッシュアップ。最も基本的なキャリステニクス。上体から力を引き出す、人類の最も基本的な発明。」
ニヤリと、クラリッサは不敵に笑う。
別の日。
マリアは別人のように剣を振り回す、クラリッサを見てひくついた。
素振り100回。
剣術の型を10セット。
「残りの時間はもう腕立て伏せでいい。まだ10回もできないの。30回はできないと。それに。胸以外も鍛えないと……」
飢えた獣の目をしていた。
マリアは、ある時期から、本気でおかしいなと思い始めた。
倒立歩き。
懸垂。
スクワット。
腹筋。
その後、木の枝にぶら下げたロープで上腕二頭筋を鍛えはじめた。
さらにある日、とうとう重りを使い始めた。
「あの、お嬢様。なぜ私を肩車するのですか?お嬢様の肩の上に乗るとか、立場的に最高に危ない気がするんですが。」
「怖い?大丈夫よ。お父様に許可はもらったから。」
「いえ。なぜそんな極めて奇怪な許可を貰ったのかなって。」
「ちょうどいい体重の侍女が、マリアしかいないから。」
「何のためにちょうどいいんですか?」
「重り。」
「なんで重りが必要なんですか?」
「筋繊維を効率的に破壊するため。ベッドを持ち上げられるようになってきたけど、それだと鍛えられる筋肉が偏るの。だからマリアを重りにする。論理的でしょ?」
「いえ、あの、ベッドはベッドで持ち上げないでもらえますか?あと私は侍女で、重りではないです。」
「つべこべ言わず、さっさと乗ってもらえる?バルクが冷める。」
「バルク……」
「血流が流れ込んで、一時的に肥大化した筋肉の状態のことね。」
ストイックにクラリッサは剣術の基礎練を続けた。
剣を学べば子供なら模擬戦とかやりたがるものだが、一切そこには興味を示さなかった。
誰もが嫌がる地味な素振り、剣を持たないトレーニングを、念入りに、本当に念入りに繰り返した。
なんなら、それしかやらない日も多かった。
休みなく、雨の日も、風が強い日も、取り憑かれたように。
逆に模擬戦の機会を周りが作ると、渋々それをやる始末。
マリアは思った。
クラリッサお嬢様は、変わったのかも知れなかった。
そういえば、お前は平民だからと見下される事や理不尽な命令も、最近は全くなかった。
「お嬢様。明日ですが、一度訓練をお休みして、教会へ行きましょう。レベルの更新日です。」
「れ、レベル?」
クラリッサは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。




