25話 王子の提案
応接室へと場所を変える。
応接室の扉が開かれる直前、周囲の空気は、妙に張り詰めていた。
(婚約者との私室での会談……これは、重大な意味を孕む。殿下はまだ十二歳とはいえ、立場は立場だ。伯爵家の娘に“気配り”を誤ってはならぬ!!)
そんな王子の側近たちの、政治的警戒心は当然と言えた。
一方、エドワード・グランディール伯爵も、どこか神妙な様子だった。
(殿下と私の娘が二人きり……これは、家門としては名誉だ。
だが……危うい。あまりにも危うい……!!)
多分、120%筋肉の話しかしない。
扉が静かに閉まる。
第二王子アルヴェルトは椅子へ静かに腰を下ろした。
向かいに座るクラリッサは色めきたち、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
──まさに筋肉の大会こそ、転生したクラリッサの第二の人生の目指すべき地点だったからだ。
国中のマッチョを集めて、筋肉を美しさを競うのだ。
鍛錬の果てにある“美”を競う。
それも王族が主導する筋肉大会。
──あがる。バーベルのようにぶち上がる!!
そして、いずれは世界規模で。
なんなら多種族で競ってもいいかもしれない。
新たな筋肉の地平は、いつだって筋肉との対話の果てにあるのだから。
クラリッサは、まっすぐに殿下を見た。
不安げな様子でこちらの様子をうかがう第二王子アルヴェルトを。
まずは王子の力を借りて、国内の大会を開くことは、悪いことではないのかもしれない。
予行演習として。
「具体的な話に入りましょう。」
応接室。クラリッサは身を乗り出した。
「う、うん。だけど検討がついていないんだ。筋肉の大会とは、具体的には何をするべきなのか。」
クラリッサは真剣に頷いた。
「大会には三つの要素が必要です。」
「三つ……?」
「権威と、栄誉と、評価です」
アルヴェルトは思わず手を止めた。
少女とは思えない重みで言い切られていた。
「……具体的にはどのようなものを?」
クラリッサの目が輝いた。
「草案があります。それと資料が。」
「なぜ草案が?」
「殿下の提案は渡りに船でした。
筋肉の大会は、まさに私自身が求めていることそのものです。
──いや、筋肉を愛するすべての者たちの、未来そのものだからです!!」
一度休憩をはさむことになった。
応接室の扉が静かに開き、
マリアが盆を両手に抱えて入ってきた。
銀の盆の上では、二つの陶器のカップが揺れている。
マリアは深く一礼し、丁寧にテーブルへカップを置く。
「……ありがとう、マリア。
殿下。すいません。少し熱くなってしまいました。どうぞ。お飲みなってください。」
「う、うん。感謝するよ。クラリッサ。」
「プロテインですけど、いいですよね。」
「え……」
「ホエイプロテイン。羊の乳、あるいは牛乳からチーズを作る際に出る、淡い黄金色の液体です。
それを丁寧に濾過し、不純物を取り除くことで……極めて高品質な“乳清タンパク質”が得られます。」
王子は無表情で、カップの中身をじっと見つめていた。
マリアがお茶のカップを片付けている最中だった。
「殿下。……話を戻しましょう。筋肉の大会を開くための、もっとも大きな問題について。」
「問題……?」
「──教会です。どうやら、筋肉の大会は教義に触れます。」
マリアは、持ち上げていたティーカップを落としそうになった。
(いやいやいやいや!!!!──お嬢様!?そんなヤバそうな話は!!私が退席してからにしてください!!!)
マリアの心の中で全力土下座を、全力でスルーしてクラリッサは続ける。
「問題は服を脱いで競う部分です。教会の教義に確定的に触れます。」
「そ、そこまでは理解できる……」
マリアは全力で心の中で突っ込んだ。
(殿下も理解しないでください!!!やめて……この場で“革命”の作戦会議みたいな雰囲気出さないで……!!!!聞いちゃいけない、絶対やばい!!!!絶対やばいすぎる話じゃないですか!!!!)
応接室の空気が凍っていた。
アルヴェルトの表情も心なしか青ざめている。
「筋肉の大会は、筋肉を“見せる”のが目的だ。つまり、男女を問わず……上半身あるいは。下半身を露わにする、ということか?」
「はい。本来の目的はあくまでも“努力と造形美の評価”ですが……教会は“身体の露出”に極めて厳しい視線を向けます」
クラリッサは淡々と続ける。
「教会教義では、“身体は神の器”とされていますので、器を過度に晒すことは“卑俗化”に当たり、聖典の中でも明確に慎むべき事として扱われます。」
アルヴェルトは眉を寄せた。
「……つまり、『人前では不用意に脱ぐな』という立場なのだな、教会は」
クラリッサは小さく頷く。
「それとレベル制。」
ブフォッ……!!!!
(お嬢様~~ッ!!お願いだから私が退室してからにしてぇぇぇ!!)
内心でマリアは絶叫しながら涙目で祈った。
というか、口から泡をはきはじめた。
「レベル……つまり、“神の加護を数値化した体系”のことか?」
「はい。教会はレベルの上昇を“神意の顕現”と見なす立場です。
つまり、身体の成長や能力の向上は……本来、神と教会が司る領分なのです。」
アルヴェルトは静かに頷いた。
クラリッサは続ける。
「ですが、筋肉大会は“神の権威を介さずに、個が鍛えた成果を競う場”です。
これは、レベル制の価値観と衝突しかねません。」
アルヴェルトは思わず椅子から身を乗り出した。
「なるほど……!つまり、レベルとは関係なく“努力だけで”強さが可視化される。これは教会の教義とは真逆だ」
クラリッサは深くうなずく。
「そうです。筋肉は、祈らなくても育ちます。神の加護を受けずとも、鍛えれば強くなる。
――これが“教義上の脅威”になり得えます。」
応接室に重い沈黙が落ちる。
クラリッサはさらに踏み込む。
「レベル制は、国や教会にとって“統治の道具”でもあります。レベルが高い者は尊敬され、低い者は従うべき立場とされる。
ですが、筋肉大会は……レベルとは別の尺度を生み出す可能性がある。
努力の密度、継続時間、栄養学、技術といった“人間の営み”による成長が、公に認められる可能性ですね。思うに、両者の共存は、文化的な成熟と対話が不可欠です。」
アルヴェルトの喉が動く。
「……それは、確かに。教会は、自分たちの権威が脅かされると感じるだろう」
クラリッサは真っ直ぐな瞳で、さらに踏み込んだ。
「そういった背景はありますが、レベル上げの制度を、平民まで拡大したいんです。
少し喉が乾いたわね。マリアお代わりお願い。水差しの中にプロテインあるから。」
マリアは震えながらトレイを抱え直した。
「か、かしこましました……!!」
(お嬢様!!だから!!だから、なんで私が居るこのタイミングでさらに爆弾を投下するですか!?!?
こんなの聞いちゃって巻き込まれたら異端審問なんですけど……!?絶対いやなんですけど!!!)




