22話 婚約通知
◆ ある日 ― 伯爵家に届いた一通の手紙
朝の執務室。
父エドワード伯爵は、机の上の書類の山を整理していると、家令がノックも早口も忘れて駆け込んでくる。
「……旦那様っ……! こ、こちらを……!!」
差し出されたのは、深紅の封筒。
金の龍紋章。
王宮直属、王家の象徴。
エドワードは息を呑む。
王家からの私信だと!?!?
有事でもなければこんなものは届かない。王命や、緊急の案件でなもなければ。
しかも――宛名はクラリッサの名。
手がかすかに震えた。非常にいや予感がした。
すでに開けたくなかった。
だが、エドワードは覚悟を決め、封を切った。
視線が文面を追い、次の瞬間、硬直した。
「……これは……っ……!!」
先日の舞踏会において、
クラリッサ・グランディール伯爵令嬢に深く心惹かれました。
我が婚約者としてお迎えする意思を、ここに示します。
アルヴェルト・アルシェリオン
エドワードの顔から血の気が引いた。
内容は短い。
しかし世界を揺るがすには十分すぎた。
「……クラリッサを呼べ……!」
―――――――――――
◆ 同時刻 ― クラリッサの部屋
侍女マリアが駆け込む。
「お嬢様っ……! あの、大変です!!」
クラリッサは、部屋でベッドを持ち上げていた。
「何? マリア。30秒だけ待って。あと数レップでフィニッシュ。」
「お嬢様!!だから、ベッドの上に机を乗せないでくださいって、前も言ったじゃないですか!!」
「でも、ベッドだけだと軽くて……ほら、ちょうどいい重さなの。」
クラリッサは、極めて自然に、ベッドの上に机を乗せる事で負荷を高め持ち上げる、デッドリフトトレーニングをしていた。
「ふんぬ!!ふんぬ!!ふんぬ!!」
「わあ、筋肉が隆起してますね!!じゃなくて!! 手紙が!! 王家から!!」
クラリッサは、ゆっくりベッドを置くと、汗を拭く。
「王家から? へぇ、珍しいわね。……税の件かしら? ちょっと設備を少なめに報告してるのよね。脱税バレたかな?めんどくさいなあ。ちゃんと議会で言えばいいのに。」
「こわ!!それ、こわ!!聞かなかった事にしていいですか!?!?と、とにかく! 執務室にっ!」
半泣きのマリアに連れられて、クラリッサは落ち着き払った足取りで廊下を歩く。
扉を開け、父と母が立ち尽くす光景を見る。
空気が重い。
普段、空気を全く読まないクラリッサが、ただ事ではないと一瞬で理解するほどに。
父が震えた声で手紙を差し出す。
「……読め。」
「手紙ですね。」
クラリッサは受け取り、目を通すと沈黙する。
かなり長い沈黙だった。
重く、長く、息を飲む音すらうるさい。
やがてクラリッサがそっと息を吸い、真正面から父、エドワードを見た。
そして――
クラリッサは泡を吹いてぶっ倒れた。
「クラリッサ―――!!!!!」
第二王子アルヴェルト・アルシェリオンは婚姻の手続きを進めていた。
意向を元に関係各所に動きを伝えなければならない。
「容姿は問題ありません。
家格もグランディール家である事を考えれば、伯爵でありますが、問題はないでしょう。婚姻理由を公式文書にどう記しますか。」
「歩みを共にできる者と結ぶ。」
執事は静かに羽ペンをとり、紙に短く書き記した。
「そもそも、そもそも殿下……なぜクラリッサ・グランディール伯爵令嬢と、婚姻を……?
政略的なメリットは果てしなく低いと愚慮します。」
「容姿は優れていると判断している。」
「私見を言わせてもらえれば、彼女は控え目にって化け物です。」
「話してくれ。」
「領内の栄養事情。伯爵領騎士団の武力改善。そして極めつけは大型魔物の単独討伐。
こと数年のグランディール家の発展の中心の全てに彼女が関わっている。彼女はあまりに異常です。」
デビュタントでのあの日、王子は「国とは何か」を気づかされた。
努力し続けろ。
歩みを止めるな。
たとえ誰ひとり隣にいなくとも。
いや、それすら建前だった。
クラリッサの美しい女性としての容姿は仮面だ。
相対した瞬間にたたきつけられる、論理で理解する前に認めざるを得ない「生物としての格」を手に入れたいと思った。
そういう、類の想いからくる、婚姻だった。
エドワード・グランディール伯爵は普通に悩んでいた。
なぜ、クラリッサなのだ。
なぜよりにもよってクラリッサなのだ。
頭の中が筋肉でできているこの娘のどこに、殿下を捉える魅力があったというのだ。
「お父様。大変な事になりましたね!」
「クラリッサ。お前、事態の重さを理解しているか?」
「それってバーベルより重いか、思索に耽っておりました!!」
容姿は優れている。
相当に。
だが、少し話をすればわかるはずだ。頭の中が終わっている事に。
アルヴェルト・アルシェリオン殿下。ご乱心したか!?!?
そしてエドワードは、再度届いた通知の内容をクラリッサに告げた。
「クラリッサ。どうやら近日中に殿下がここに見えられるようだ。」
クラリッサは見事に崩れ落ちた。
そしてすっと、立ち上がると言った。
「帰ってもらいましょう!!」
「無理だから。」




