18話 物語の強制力
それを言った時、実はクラリッサ自身も思っていた。
──あ、地雷踏んだ。やべえ。
その瞬間、王子は穏やかに微笑み、手を差し伸べていた。
「その“アンクレットごと”踊れるよう、合わせましょう。無理のないペースで。
今日は、あなたのデビュタントですから。」
クラリッサは思った。
(──え? まさかスルーした!?!?)
「いや、だからアンクレットが──」
「よろしいですね?」
(この人、笑顔で完全にスルーしてくるんだけど!!)
音楽がはじまる。
「え……?」
(あれ?音楽はじまったんだけど?)
「さあ、クラリッサ。」
王子は微笑みを絶やさず、手を優雅に差し伸べたまま、自然にクラリッサをダンスへとリードしている。
クラリッサは深呼吸し、王子の手を取り、広間の中央へと進んでいるが、心臓は高鳴り、緊張と混乱で頭が真っ白になっていた。
音楽が高まり、王子の黒曜石の礼服と、クラリッサの深紅のドレスが光と影のように交錯し、まるで絵画の一瞬が動き出したかのように踊りはじめた。
クラリッサは混乱していた。
(……あれ……?体が……動かない……いや、動いているんだけど……)
──どうもおかしい……体が、勝手に動くような……これは……一体……?
混乱と不思議、そしてわずかな恐怖が入り混じり、クラリッサの心臓は高鳴る。
体が勝手に、そして滑らかに動くその感覚に、なぜか一切抗えない。
王子の手に身を委ねたまま、オープニングダンスは優雅な光景を紡いでいた。
クラリッサからすれば、まるでオートパイロット。
イベントのドラマパートのごとく勝手に進んでいる。
クラリッサの混乱は置き去りにされていた。
置き去りにされたままダンスは進んでいた。
──まさか……これが……物語の強制力……?
頭では冷静に考えようとする。
すでに奇妙な点はいくつも出てきていた。
筋疲労から、そろそろ重くて動かせないはずのアンクレットがまだ動いている。
ステップの傍ら、試しに床を踏み抜こうとしてみるが、一切踏み抜けない。
硬い大理石の床は、変わらず頑丈に彼女の足を支える。
──おかしい……。
クラリッサの胸に、冷たいものが広がる。
心臓が高り、混乱と興奮や、抗えない感覚が入り混じる。
──まさか……物語の力に動かされている……?
小さな声が自分自身の耳に返る。
だが体は自然と次のステップを踏む。
クラリッサの意思とは無関係に舞踏は進行し、音楽の最後の一音が空間に消え、広間には一瞬の静寂が訪れた。
クラリッサは息を整え、ゆっくりと王子の手を離す。
体はまだ、舞踏のリズムを微かに覚えており、足元に不思議な余韻が残っていた。
拍手の中で、舞踏は終わる
王子は穏やかに微笑み、軽く一礼した。
「素晴らしかった、クラリッサ」
「王子様。ありがとうございました。ところで、失礼かもしれませんが、アドバイスを一つ。」
「何かな?」
「上腕二頭筋、広背筋などの引く筋力が弱いです。
もう少しローイング系の種目をした方がいいですね。あと体幹にブレがあります。基礎トレの反復ですぐに改善するかと。それでは。」
王子は唖然としていた。
クラリッサに余裕はなかった。逃げるようにその場を去った。
クラリッサとのダンスを終えた後も、淡い金の光に包まれた舞踏の輪の中で、第二王子アルヴェルトは変わらず優雅にステップを踏んでいた。
クラリッサは会場の隅で白い目をして、口から魂が出ていた。
やがて、震える指先でスカートの皺を払い、髪を整え、ついでに深呼吸をして、すんっ と真顔に戻った。再起動する。
食事がテーブルに用意されていた。
そこでクラリッサは先ほどの王子とのダンスを考える。
クラリッサは心の中で叫んだ。
──明らかにおかしいんだけど!!!
デビュタントがぶっ壊れてもおかしくはないポカをした!!
それほどの事をしでかしたはずだ!!
そもそもなぜダンスがはじまった?
そしてなぜ体が言う事をきかなかった?
クラリッサの心は敗北感で満たされていた。
──乙女ゲームを、舐めていたんだ!!
物語の強制力が、体の動きを制限し、物語の通りに登場人物を動かそうとしたんだ!!!
危機感がクラリッサを襲っていた。
ドラマパートの最中、筋肉の力が一切通じなかった。
あれだけ鍛えたのに、筋肉が意思の制御を離れて勝手に動いていた。
ワンレイディーファーストキスでは、正ヒロインに悪役令嬢クラリッサが虐めを繰り返し、そのクラリッサが断罪される事でストーリーが佳境を迎える。
すなわち、ドラマパートを進めれば、クラリッサは破滅へと近づく事を意味している。
いくら鍛えたとしても、ドラマはクラリッサの意思と関係なく進み、プレイヤーが求めた悲劇を乗り越えるカタルシスの舞台装置になり下がるのだ。
クラリッサの中で、何かが切れる音がした。
「この敗北は受け止める……なめていた……完全に舐めていた。だけど、私の筋肉は──」
低く、地の底から響く声。
「努力の結晶であって、運命の演出小道具じゃない。」
そしてクラリッサが立ち上がったと同時に、前のケーキが倒れた。
「私見まわしたわ!!クラリッサ・グランディール令嬢が、ケーキを倒したのを!!」
クラリッサは首をかしげた。
確かにケーキがぶっ倒れていた。
ただ、ケーキにはさわっていない。




