17話 主賓、第二王子
デビュタントで殿下とともにダンスのファーストステップを踏む。
それは、令嬢としてこれ以上ないほどの名誉な事だ。
王族が最初に選ぶ相手――それは実質的に「今日、誰よりも注目されている令嬢」という宣言と同義。
名誉であり、家の誇りであり、社交界デビューの頂点そのものだ。
その祝福されるべき会場の空気が、明らかに凍っていた。
クラリッサの隣の、兄セドリックだけが、ただ一人、頭を抱えながらも、まるで初めから全て計算していたかのように、一歩踏み出し、深々と優雅に一礼する。
(……絶対言うと思った。だが言うなクラリッサ!!というか、マジでそれを言うな!)
「失礼いたしました、殿下。」
声が通る。
そして落ち着いていて、よく通る“騎士の声”だった。
「妹は――本日、初めての大舞台ゆえ、少々緊張のあまり、言葉を取り違えたようです。」
(多分、取り違えていない。クラリッサは絶対わざとだ!でもそれを言ったら終わる!!)
セドリックは続ける。
「本来ならば、殿下のご厚意に感激し、歓喜のあまり涙するべきところを……
どうやら緊張が勝ってしまったようで。」
周りの貴族たちが(あ、そういうことね!)と頷き始める。
「妹は不器用ですが、家の誇りであり、努力の人です。もしよろしければ――最初のダンス、改めてお受けさせていただけませんか。」
完璧だった。
王子はその言葉にわずかに目を細め、面白そうに微笑を返す。
「……なるほど。緊張、ですか。では、もう一度伺いましょう。」
そして優雅にクラリッサへ手を差し伸べる。
「ご令嬢。最初の一曲を、私に。」
会場は完全に熱を取り戻す。
セドリックは軽く頷く。
クラリッサは息を吸って、言った。
「お断りします!!パワーアンクレットが重くて動けません!!」
「……え?」
会場中の空気が完全に止まった。
──パワーアンクレット?
会場内にざわめきが拡がる。
セドリック・グランディールは手で顔を覆うように天を見上げた。
王子は驚きでも怒りでもなく、むしろ興味深そうに、優雅に微笑んだ。
「なるほど……。では、もしよろしければ――その“アンクレットごと”踊れるよう、合わせましょう。
無理のないペースで。今日は、あなたのデビュタントですから。」
楽団員が弓を震えさせたまま固まっていたことに気づき、音楽を奏で始めた。
奇妙な緊張感だったが、演奏家たちはよどみなく音楽を再開する。見るべき人が見れば賞賛に値した。
クラリッサは、王子のリードに合わせてゆっくりと足を運んでいた。
そうするとドレスの裾がわずかに揺れ、そして重すぎるアンクレットが、金属質の鈍い音をほのかに響かせた。
ドゴォ……ッ!!!
ドゴォ……ッ!!!
「音がしてる!?!?」
「そもそもパワーアンクレットってなんだ?」
「テンポ……落としますか……?」
クラリッサはぎこちないながらも、殿下とともに懸命にステップを踏んでいた。
王子は、まるでその不器用さを受け止めるように柔らかくリードを行い、そして会場の視線は、なぜか二人に釘付けになっていた。
セドリックは小さく息を吐いた。
(私は、妹の事を見誤っていた。
やりやがった……躊躇なく、地雷を踏みに行きやがった……ま、まあ……結果としては……映えてるな……?いやでも……音が……いやでも……)
セドリックの心の中は忙しかった。
──王子視点
少しだけ、時間は戻る。
デビュタントの扉が静かに開かれ、第二王子アルヴェルトがその場に足を踏み入れた瞬間へ。
王子アルヴェルトは心の奥で、ほんの少しだけため息をついた。
(また来てしまったな……デビュタント。)
入場とともに、令嬢たちの笑顔の“仮面”が一斉に花開いていた。
柔らかい声で名前を呼びかける令嬢。
袖を引くように視線を向ける子爵令嬢。
父に押されて前に出てくる公爵家の娘。
微笑み。
優雅な所作。
完璧な礼儀。
(……笑顔は美しい。立ち居振る舞いも立派だ。だが、私は“誰の素顔も見ていない”。)
誰もが完璧で、誰もが理想的で、誰もが“王子が好むように整えた姿”で近づいてくる。
煌めくシャンデリアの下、また今日も、令嬢たち、あるいは貴族達の笑顔の仮面が王子アルヴェルトを取り囲んでいた。
――権力目当ての視線。
――家のために縋りつく手。
――自己陶酔の“王子様ファン”の熱気。
――そして、距離が近すぎるストーカー。
(今日も“誰も”本当の意味で僕を見ていない。)
微笑みは貼り付けたままけれど、胸の奥で冷えた思念が渦巻いていた。
本当に愛されるなんて、あり得るのだろうか。
王子でさえなければ、誰も自分を選ばないのではないか。
クラリッサ・グランディール。
その名を耳にしたことはあった。
病弱ゆえにほとんど家から出ず、ましてや社交界に姿を見せることなど一度もない。
深層に隠されたような謎の令嬢。
それが、グランディール伯爵家の一人娘だと。
王子アルヴェルトは、半ば都市伝説のように扱われるその令嬢の存在を、聞いてはいた。
そして、病から一切社交界には顔を出さなかった深層の令嬢は、多くの令嬢の中にありながら、その美しさは頭一つ飛びぬけていた。
噂に違わぬ美しさだった。
瞳はどこか研ぎ澄まされていた。
そして体格は細見でありながら、病に伏していたとは思えない、妙な体幹の安定感が目についた。
貴族令嬢の常道とは違い、ひれ伏すような礼も、媚びる微笑みも一切ない。
むしろ──困っていた。
むしろ──なぜ話しかけてきたんだこいつ、という顔をしていた。
そして淡々と、それでいて妙に必死な声で言った。
「お断りします!!パワーアンクレットが重くて動けないからです!!!!」
確かに、そ彼女の足首に鎖のように金属製の何かが巻かれていた。
細身の足に重くのしかかる金属の塊は、優雅に舞うどころか、踏み出すたびに鈍い音を鳴らす。
そして、踊りながらぶつぶつ言っていた。
「片方50㎏はやり過ぎた……設定を完全に間違えた……完全に死ぬ……」




