16話 デビュタント
照明の柔らかな光が、白磁めいた肌を淡くなぞっていた。
肩をわずかに露わにするドレスは、深紅。
コルセットのおかげで、クラリッサの胸元のラインが驚くほど形良く整っている。
──いや、誰?この美人。
クラリッサは本気で後ずさった。
日々の鍛錬と栄養管理の末に身体を仕上げていた。
それがドレスの繊細な刺繍と宝石で“別の生き物”と化している。
クラリッサは完全に引いていた。これが乙女ゲームのキャラクターの本来のポテンシャルなのかもしれないが、これはあまりに。
「わあ、お嬢様、お綺麗ですね。」
「待って。脱ぐから!!」
「なんでですか。」
「これは嫌!!トレーニングウェアがいい!!」
「諦めてください。子供じゃないんですから」
「やーだー!!!」
舞踏会は、公爵領で行われる。
――国では通年の慣例だった。
季節ごとに細かい催しは各地で開かれるが、“社交界の幕開けを告げる大舞踏会”だけは、必ず公爵家が主催する。
歴史と格式と権威を象徴する、一年で最も重要な社交の場。
馬車は石畳を踏みしめ、緩やかに進む。
窓の外に広がる景色は見慣れた伯爵領から、公爵領の街並みに変わっていく。
「マリア……私。忘れ物があるの……」
「なんですか?」
「それは筋肉、置いてきた気がする!!」
「大丈夫です!ドレスの下にちゃんとあります!!大丈夫です、お嬢様はお美しい。――堂々と行ってください」
──いや、そういうことじゃないの!!!!
クラリッサの嘆きはよそに、やがて公爵領へと到着し、目的地に辿り着き、扉が開かれる。
光、音楽、香水、談笑のざわめき。
そのすべての中へ、クラリッサは一歩足を踏み入れた。
舞踏会が始まる。
薄明かりのシャンデリアが煌めく大広間――音楽が静かに場を満たす中、デビュタントたちは入場していた。
淡いブルーのドレスに身を包んだ者。
金色の髪を後ろで編み上げた者。
紫のシルクを優雅に揺らす者
──それぞれが光を纏ったように舞踏会の間を歩く。
クラリッサは、深紅のドレスを纏っており、肩から流れる長い髪には真珠の飾りが光っている。
緊張の色を隠すように、彼女は背筋を伸ばし、ゆっくりと歩む。
そして見知った顔を見つけると、クラリッサはスカートの裾を持ち上げ、足早に近づいていく。
その紳士は、黒曜石のように深い漆黒の礼服を纏い、長身を優雅に伸ばしてクラリッサを迎えた。
目が合う瞬間、どこか保護するような優しさが宿っていた。
兄セドリックである。
完全にデビュタント仕様に仕上がっている。すごく紳士している。
開口一番。クラリッサは言った。
「お兄様。帰っていいでしょうか。」
まだ会場に入って数分、花のように微笑みながら、クラリッサは聞いた。
「そういうと思ったよ。だめだね。」
「そこをなんとか。お願いします。」
「終わったらね。」
逃げ道を塞がれたことに気づき、クラリッサはしゅんと肩を落とした。
兄はそんな妹の頭の高さに視線を合わせ、微笑んだ。
「大丈夫。お前ならできるよ。」
「……はい。終わらせます。」
セドリックは満足そうに頷き、静かに手を差し出した。
「じゃあ、行こう。クラリッサ。」
「え、嫌です。」
「観念しようね。」
低く落ち着いた声が、会場の喧騒を遮るかのように届く。
「殿下の入場です。」
――その瞬間、空気が変わった。
司会の声が響くと同時に、ざわめきが波紋のように静まり、会場の視線が一斉に入り口へと吸い寄せられる。
そして主催者である公爵夫妻がゆるやかに歩み出て、華やかな礼服を翻しつつ、扉の前で一礼。
数百の視線が集まる一点――会場を埋め尽くす貴族たちは息を呑み、その先を見守る。
そして、音楽が変わる。
弦がひときわ澄んだ音を奏で、扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、若き第二王子、その人。
髪は光を受けて淡く輝く蜂蜜色。
しかし瞳はその対極――深い湖面のように冷たい蒼。
年齢12歳。
――その宣言は、会場全体の鼓動をひとつ高鳴らせた。
「さて、オープニングダンスの時間です――」
司会の声が響くと同時に、弦楽がやわらかく、しかし確かな重みをもって旋律を奏で始める。
灯りが少し落とされ、シャンデリアの無数の光が揺らいだ。
大理石の床は、まるで銀色の湖面のように煌め。そしてそこに――ゆるやかに道が開かれる。
最初のステップを踏むのは、主賓である第二王子。
第二王子は静かに一歩進み出て、周囲の空気を従えるようにホールの中央へ向かっていく。
貴族たちが見守る中、彼は立ち止まり、ゆっくりと視線を巡らせた。
クラリッサの心臓が一拍、跳ねた。
なぜならその視線が、彼女の方へまっすぐ伸びてきたからだ。
王子は歩みをさらに進める。
クラリッサの前へ。
まるで迷いなど初めからなかったように。
そして、優雅に、深く一礼した。
「――ご令嬢。最初の一曲を、私にいただけますか?」
「えっと……お断りします!!!!」




