118話 許可証
森が剥がれ、視界が開けた。
景色が反転し、同じだったはずの木々が、まるで幕のように左右へと開き、歪んでいた空間が一気に正される。
一行は息を呑む。
そこにあったのは、エルフの森ではあったが、森ではない。
宙に浮かぶ大地。
根を張ったままの森。
削られていない地層。
滝が空へと流れ落ちる。
巨大な“島”が、そのまま空に浮かんでいた。
クラリッサは、頷いた。
──これが迷いの森か。よくできている。
──構造は単純。
(まずは来るもの全てを迷わせる、エルフの迷いの森の迷路。
生物は本来、完全な直進ができない。
視界が遮られる森では、無意識に円を描いて歩き、やがて同じ場所に戻る。
森に足を踏み入れた瞬間に、違和感はなかった。
むしろ多少整備されて歩きやすいまであった。
下草は短く刈られ、足を取られることもない。
木々の間隔は一定で、視界もほどよく開けている。)
何秒かに一度、視線が数度だけズレる。
──今ズレた。
──これは、マッスルコントロールに卓越していなければ、到底気づかないだろう。
※マッスルコントロールに卓越していても気づけない。
(その上、森の中ではそのズレを修正する手段がない。
太陽は見えづらく、
景色は似ており、
音は信用できない。
その数度のズレを積み重ねていくことで、意図的に“似た景色”が連続する。
そうして記憶による位置把握を、破綻させていくわけだ。)
生きた森そのものを、術式の構成要素とするエルフならではの、生体共鳴型魔術。
許可証がなければ、永遠と森を、彷徨う事になる。
許可証を用いて森を抜けると、今度は島ごと大地を浮かす超魔力による、浮遊大陸。
そしてその上の都市。
それが首都アルヴェイン。
これがエルフ領の構造だ。
浮遊大陸の麓には、巨大な岩塊が幾層にも連なる。
そのすべてが宙に浮く。
滝が浮遊大陸の上から落ちており、夥しい水の量だが途切れることはない。
自然ではありえない流れが当たり前のように成立し、循環できる仕組みがあると考えられた。
ただ、問題があった。
──エルフと言えば、くっころよね。
──どうしよう。本場のくっころが見たい。
すごく見たい。
クラリッサは馬車の中、人知れず拳を握り、決意した。
今度、誰かに言わせてみよう。
島の大きさの空中庭園の麓には、街並み。
差し詰め城下町といったところか。
リーシャは馬車からそれを見る。
「これがエルフの森。
そしてエルフの首都、空中庭園アルヴェイン……」
「リーシャ。
今回は、あそこにはいかないよ。
あそこはハイエルフ達の住処だ。
ハイエルフ達は、真のエルフとして世界を睥睨する。
事実、魔王も手を出せなかった。
世界とは基本関わらない神の如き存在たちだ。」
リーシャも、多少はハイエルフについて知っていた。
学校で習ったからだ。
──かつて世界の半分が焼けた。
──同時に嵐の神が狂い、七日七晩、海が陸を呑み込もうとした。
空は煤に閉ざされ、酸のまじる嵐は止まず、
大地は荒み、生き物は死に絶えた。
彼らが少しだけ、世界を冷ました。
「いい人達なのかな……会ってみたいな。」
「違うよ、リーシャ。
……行ってはいけない場所なんだよ、あそこは。」
アルヴェルトは、小さく首を振る。
アルヴェインの麓。エルフの森。
街並みは大陸の上に生育する森の木々と、家々が一体化していた。
巨大な古木の幹をくり抜いた住居。
枝と枝を渡すように架けられた橋。
苔むした屋根。
煙突から立ち上る細い煙。
子供たちが、枝の上を跳ねるように軽く走っている。
非常に危ないが、落ちる気配はない。
近くの大人のエルフが、やんわりと声をかける。
「ほら、そっちは若い枝ですよ。」
「あ。ごめんなさい。」
一人のエルフが、祈るように木の幹に手を当て、目を閉じてじっと動かない。
やがて、その手の先で、幹の一部がゆっくりと形を変え、滑らかな棚のような形になる。
そこに、器が置かれ、水差しで水が注がれた。
どこか素朴で。
どこか懐かしくて。
──なのに、世界のどこにも存在しない光景。
案内役のエルフの指示に従い、一行は進んだ。
エルフの街の広場の向こう。
エルフの建築物しては、大きな建物があった。
魔術学会会場。
魔術大会は、各種族から代表者を出し合う。
人間族の代表の1人は、クラリッサだ。
馬車を止める。
「もう集まっているね。」
「へえ……世界っていうわりには、そんなに人数は多くないんですね。100人くらいかな……」
「世界は、まだ魔王が死んだ傷は癒えていないからね。
それにしても思い切ったものだ。
魔族がいる……」
「魔族……」
人間の形に、角と翼が自然についている者がいる。
(多分、あれだ。はじめてみた。)
リーシャが見ていると、アルヴェルトが言う。
「クラリッサは、魔王を殺した。
そして魔王領と世界連合における対話の公約を結んだんだ。」
「……初耳なのですが。」
「知っておくといい。
筋肉は、魔王を殺しうる。
もちろん、それだけではない。
聖女セレスティア。
各国連合の軍事力。
世界中からの補給。
多くの支援があった。
だけど、それら全てをもってしてもできない事を、ただ筋肉一つで成し遂げた。
それがクラリッサだ。」
「……頭おかしいですよね……
なんで学校なんかに通っているんでしょうか……」
「さあね。
狙いがあるんだろう。
セレスティアの指示だとも聞く。」
エルフ
ドワーフ
獣人
人間
そして魔族。
見慣れない意匠の馬車が集まる。
異なる文化。
異なる魔術体系。
それらが集まる事を意味している。
世界は移り行く。
『確かにそうなの。
クラリッサ・グランディールを、なんとか殺す術を考えないといけないの……
一刻もはやく!!』
──いや、殺しちゃだめだからね!?!?
ずっ友だから!!
ドワーフ。
低く、重い車輪の馬車。
その馬車は鉄で補強された構造。
降りてきたドワーフは、地面を一度踏み鳴らす。
ゴン、と鈍い音。
「……ここ、柔らかすぎるな。」
獣人の一団は、さらに分かりやすく視線が、常に動いている。
血の匂いを確認していた。
人間たちは、その中で最も普通だ。
アルヴェルトを見ればわかる。
整えられた衣装。
紋章入りの外套。
形式的な挨拶。
クラリッサは、見知った顔を見つけて声をあげた。
「あ。羽虫だ。
おーい。」
「え……え……?」
「殺す。クラリッサ・グランディール!!!」




