117話 エルフの森へ
リーシャは旅支度をしていた。
見慣れた学校の制服の上に、淡い水色の外套を羽織る。
肩にかけた鞄が、あまりに重い。
論文原稿
メモ帳
羽ペン+インク
小瓶
香草
さらには着替えなど。
「重い……」
リーシャの学生寮の部屋。
考えている暇などない。
タスクを考えると、その間に時間が過ぎてタスクが終わらなくなる。
――よくわからないうちに、何かに巻き込まれている……
(よくわからないうちに、何かが始まっている……)
心の中で水精霊が告げている。
『そろそろ殺す?
そろそろクラリッサ・グランディールを殺すの!?』
(殺さないから!?!?
そんな簡単に殺しちゃダメだから!!)
『でもきっと、クラリッサはリーシャをもっとすごい事に巻き込むの。
わかるの。』
(いや、すでに巻き込まれてるから!!
でもずっ友だから!!)
『むう……
検討案件なの。』
(それ、検討という名の保留だからね。)
闇試合。
カジノ。
謎のジム。
そして――
世界魔術協会の論文発表会。
さらにアルヴェルト殿下の付き添い。
リーシャは、明日の支度をしながら思う。
情報量が多すぎる。
とりあえず、旅をする準備だけはすすめる。
──世界魔術強化の論文発表会。
──あれ?これ私の論文も必要なのかな。
(私の最近書いた論文って《水精霊のあやし方》なんだけど。
水精霊と仲良く食後の祈りの言葉をとなえて、水精霊と仲良く一緒に眠ると気持ちいんですってことしか書いてないんだけど!?!?)
──犬を躾を参考にした、神聖なる水精霊と仲良くなる方法を考察した、ちょっとやばい論文だったのだが……
次の日。学校。
寮を出て、石畳の道を校門へ。
朝の空気は妙に澄んでいて、リーシャの寝不足の頭にやけに刺さった。
クラリッサ達は、すでに準備を終えているようで先にいた。
荷物を持った制服姿で、挨拶をする。
「おはよう。
リーシャ。よく寝れた?」
「寝れるわけないからね。
準備して考えてたら、あっという間に朝だったんだから。」
「そ。
まあそんな顔してると思った。
じゃああれが、殿下とあなたの馬車。
こっちが私とマリアの馬車。」
「なんで二台……
そしてなんでわける必要が!?!?」
「いや、私があんなでかい馬車乗りたくないだけだけど……
なんなら平民用の馬車ですらいいや。
山賊とか来たら、面白いし」
「ちなみに山賊がきたら?」
「山に埋める。
穴を掘るのがトレーニングにもなるし。」
「……」
そして彼は現れた。
第二王子アルヴェル・アルシェリオン。
朝だというのに、まるで祝祭の中心にいるかのような存在感で、整えられた金髪は光を受けてきらめていた。
制服の着こなしも完璧で、一切の隙を許さない。
「やあみんな。おはよう。
僕が最後か。
準備が終わったようだね。
行こうか。」
キラキラしていた。
馬車は、白金で縁取られた車体。
側面には王家の紋章。
車輪は、静かに宙を滑るように動き、そこに止まった。
──え。私って平民なんだけど。
(これ乗るの!?
乗っていいの!?!?
いや待って。
待って待って待って。)
リーシャが立ち尽くしていると、一人の従者が前に出る。
完璧に整えられた所作で、一切の迷いもなく当然のようにリーシャの前に立つ。
言い切りで確認でも、提案でもない。
すでに、そうすることが決まっている声。
「リーシャ様。
こちらへ。」
気づけば、馬車の扉は開かれている。
逃げ道だけが、きれいに残されていない。
「どうぞ、殿下。」
「ありがとう。
リーシャ。一緒に行こう」
後ろを振り向くと、クラリッサが早くしなさいよと顔で言っていた。
マリアは、ちょっと申し訳なさそうに目を逸らした。
助けは来ない。
リーシャは観念した。
「失礼します……」
馬車の中。
馬車は豪華だった。
柔らかな座席。
深く沈み込むようなクッション。
揺れすら穏やかに吸収されている。
馬車が出発し、その動き出しも滑らかだ。
リーシャは背筋を伸ばしたまま、固まっていた。
落ち着かないまま馬車が道を進む。
「リーシャ。君の論文を読んだよ。
水精霊と遊んで仲良くなるにはどうすればいいか。
非常に興味深い。
確かに精霊と無理に距離をおくのではなく、同じ歩幅で歩く事は、ある意味では盲点だったかもしれない。
新しい視点であり、その内容は斬新ともいえるね。」
リーシャは思った。
──うわーん。イケメンだよー。
──てゆーかなんで殿下と同じ馬車なんだよ!?!?
「……精霊は、えっと……
一緒にいると……その、安心するので……」
「なるほど“安心”か。
確かに、信頼関係の本質だね。
君はきっと、精霊だけじゃなく、人とも同じように向き合ってきたんだろう。」
「は、はひぃ……」
(距離が近い!!王子!!
距離が近いです!!!!)
リーシャは、完全に処理落ちしていた。
声が聞こえた。
水精霊の声だ。
『ねえ、リーシャお姉ちゃん!!
この男は殺していい!?!?』
(はい!?!?
ダメダメダメ!!?
なんでそうなるの!?)
『だって距離近いし。
リーシャお姉ちゃんは私と一緒だから?
殺すね?』
殺すなー
別の馬車。
王家の者が乗る馬車の後方で、質素な馬車が進んでいた。
木製。
多少の補強はあるが、見た目は完全に商人用の馬車だ。
「いいんですか?
お嬢様。
お嬢様と殿下って婚約者同士ですよね?」
「あのねえ。私は聖女候補よ。
聖女候補が結婚なんてできるわけないでしょ。
お互い便利だから婚約してるだけよ。」
「そうは思えないですけど。」
「私が?
殿下を?
なんで?」
「……さすがにお嬢様側ではないですね。
殿下の方です。」
「まあ、ぶっちゃけると手配したのよ。
リーシャには、さっさと他の精霊とも契約してもらわないとならない。
だからどのみちリーシャは、将来的にはどっかで囲い込まないとならない。
だったら、最初から一番強いところに置くのが合理的でしょ?」
「それを殿下に?」
「さっさと囲い込んだほうがいいですよって、殿下に“おすすめ”しておいた。
それにエルフ領にも精霊がいる。
どうせ今回も精霊関連で何かあるんでしょ。
あと、私って殿下とそのうち婚約破棄になるし。」
「達観してますよね。お嬢様って。
殿下が可哀想です。
殿下はきっと、お嬢様の事が好きですよ。」
「まあ私って心は紳士みたいなもんだから。
マッチョって紳士だから。」
「はーい。」
マリアは肩をすくめた。
馬車はエルフの森へと入っていく。
背の高い木々。
柔らかな木漏れ日。
踏み固められた馬車道。
どこにでもある、静かな林道。
リーシャは窓の外に目を向けた。
「……あれ?」
──同じ木だ。
──同じ木が、また現れてる。
(枝の曲がり方。
幹の傷。
根元の石の配置までさっきと同じだ。
違和感は、ほんの小さなものだけど、一度気づくと離れないな……)
馬車は確かに進んでいるのに、景色が“戻っている”。
振り返ると、さっき通り過ぎたはずの木が、またそこに立っている。
「……進んでる?これ」
「進んでいるよ。
正確には、正しく進まされている。
有名なエルフの迷いの森だね。
許可がないものを迷わせる、エルフの結界。
許可がないものは、永遠にこの出口にたどり着けず、森を彷徨うことになる。」
「どうすればいいんでしょうか。」
「問題ない。許可はある。」
アルヴェルトの持つ、許可証である水晶が光り輝く。
境界を越え、視界が開ける。
エルフの森。
大地が島の形のまま、空に浮かぶ。
それはエルフの首都、空中庭園アルヴェインだ




