10話 大型魔物
その瞬間──森は、狩りの時間へと切り替わった。
誰の縄張りに入ったか教えてやろう。
“ここは俺の森だ”
巨体が一歩踏み出す。
それだけで、落ち葉が爆ぜ、地面がたわんだ。
森番の指示で、クラリッサは膝をついた。
そっと朽ち木を持ち上げると、その影から白く太った 大きめのミミズ がうねり出た。
「ふん!!」
クラリッサは素手で、ミミズを素早くとらえた。
「お嬢様、バッタも取りましょう。跳躍力があるから、鶏が追いかけて喜ぶんです。」
森番の指示に従い、草むらをそっとかき分けるとバッタが跳ねた。
「むうん!!」
蜂のような俊敏さでクラリッサは、バッタをむしりとる。
「どおりゃあ!!!」
さらにクラリッサが捕えたのは、半ば朽ちた丸太の割れ目に潜む、大きな コガネムシの幼虫。
周囲の丸太ごと握力で抉り取る。
クラリッサは、森番の指示に従い次々に虫を捕獲していく。
まるで森に生息するあらゆる虫が、クラリッサの白い指へと吸い寄せられるようだった。
マリアはヒクついていた。
何、この人たち。
「マリア。見て。たくさんとれたわ。」
「ひいい!!虫があ!!虫があああ!!!!」
「何ビビってるのよ。大体ここでの作業は終わりよ。あとは鶏を買って帰りましょう。」
「その虫はどうするんですか!!??食べるんですか!?」
「食べないわよ。私をなんだと思ってるのよ。」
「よ、良かった。」
「鶏用。鶏は雑食だから。」
「鶏を飼うんですか?」
「厨房から、野菜クズとか結構出るでしょ。それをあげてもいい。近隣から集めてもいいかな。あと虫。虫の飼育の設備については、もうマリオンにお願いしてあるから。」
帰り道、マリアは顔面蒼白だった。
「お、お嬢様。私、森は無理かもです。」
「でもマリアってリアクションは面白いから、賑やかしに。」
「遊び半分じゃないですか!!!!お嬢様、わたし、さっきから虫が飛ぶたびに寿命が縮むんですよ!?ヘビとか出たら、わたし、倒れ──」
「まだ噛まれてないじゃない」
「まだってなんなんですか!?」
「まあ、作業については大詰めだから。気張りましょう。」
「お嬢様。森での作業は初日な気がするんですが、なんの作業なんでしたっけ、これ。」
「ん?私のタンパク質を確保する作業。
当座は魔物肉で粘って、その後、魔物肉から、鶏の畜産を軌道に乗せて、そちらに摂取を移行します。鶏の飼育設備ができれば、大体設備は完成。」
「……」
──マリアは思った。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやって感じ。
自分のような小さな燕が、どうしてこんな空高く舞う鴻の隣にいるのか。
その時、大きな足音がした。
──どん。
──どん。
その一歩ごとに大地がわずかに震えた。
ただの音ではない。
落ち葉を踏みつけるというより、大地そのものを押し下げているような。
虫を集めていた桶が、微かに震える。
「あ、かかった。」
「かかったって何がですか?」
「大型魔物。」
「は……?」
森はざわめき、森の主たるそれが動くとき、全ての生物は道を開け渡した。
木々の間に、鈍い金色の瞳が灯る。
森そのものを従える存在が、侵入者をまっすぐ見据えていた。
それは獲物を見つけると、走り出す。
──ちょろちょろとした人間が。捻り潰してくれるわ。
それは大きな猪だった。
──愚か者どもが。
前を目立つに走るクラリッサは、不敵に笑う
「かかった!!マジでちょろい!!」
森番に避難されるマリアを横目に、クラリッサは坂を駆け上がる。
誘導路のための囲いだ。
川の付近には、騎士団と森番が先日から準備していた囲い がある。
切り倒した若木や、杭、鎖で作られた簡易の柵だが、魔物を横へ逃がさず、一定方向へと押し流すように設計された“狩りの道”。
猪型の大型魔物がクラリッサに迫る。
思った以上に近い。
(そして、わりと速い。)
「でもいける!!余裕!!」
クラリッサの駆ける姿はまるで風に溶ける金の線のようにしなやかで、それでいて、脚力は地面を抉るほど強烈だった。
「レベル4だからね!筋力も1,3倍!」
転生したその日から鍛えに鍛えてきた。
さらにレベル3⇒4の恩恵。
──気持ち的には乗算!!計算は検証してないから知らない!!
クラリッサはひらりと倒木を飛び越え、枝を掴んで身体を捻り、進行方向をずらしながら木の間を抜けた。
誘導路の先には罠がある。
囲いの奥、草に紛れる隠された一角。
そこだけ土の色がわずかに浅く、踏みしめれば沈むように設計された“偽の地面”。
クラリッサの軽い体重では、板はきしむだけで落ちない。
そして、猪の巨体が罠の中央に足を乗せれば
次の刹那、地面が“割れた”。
ずぼぉおおん!!
土煙が巻き上がり、木板が悲鳴を上げるように歪み、縄の結び目がはち切れ、土の表面が一気に崩れ落ちる。
巨獣の足元が沈んだ。
谷底のような深さだ。
巨体が落ちれば、自力では這い上がれない。
穴の底を見ると、巨獣の猪がもがいている。
しかしそれだけだ。何も出来まい。
穴の蓋に立つと猪を見下ろしてクラリッサは言った。
「魔物風情が!ここが誰の森か教えてあげるわよ、くそ猪!」
ファッ⚪︎ユーをしながらさらに叫ぶ。
「人間舐めんな!!ちゃんと骨まで食い尽くしてやるから安心して死ね!!!!」
森番が声をかけてくる。
「お嬢様。やりましたね。」
「ええ。みんなもお疲れ様。今日は猪鍋ね。」
一瞬、皆がぽかんとした後──
いやっほーーー!!!!
歓声が沸き上がる。
「ははっ……! そう来ましたか、お嬢様!」
「でも確かに、今日は祝勝会ですね」
「あの猪、この辺の主っすよ……!」
「え? え? え? えーーー!!!!?」
マリアだけは、完全に事態についていけていなかった。
顔が真っ青で、どこを見るべきかも分からず視線が泳ぎまくる。
「お嬢様!? いまの巨大な……あれは……!そして落ちて……いや、猪鍋って……え、え、えぇぇぇ!?!?うわーーん」
完全に混乱の渦中。
ガチ泣きしだした。
「マリア、落ち着いて。ちゃんと計画通りよ? 罠に落ちたし、全員無事だし、ほら、それにここで活動するのに、あんなのいたら危ないじゃない。きっと嗅ぎつけてここにくるって思ってたの……騒がしいあなたを餌にしたら。」
「うわーーん!!!」
(餌って言った!……クラリッサ様、今私を餌って言いました!!!!ひどすぎるんですけどぉぉ!?)
「ほら、マリア。泣かないで?……帰ったら、猪鍋を最初に食べていいから。」
「…………猪鍋は嬉しいですけどぉぉ!!!」
マリアの悲鳴が、その日いちばん平和な音として響き渡った。
大型魔物の巨体は、落とし穴の底から引き上げられ、騎士団が素早く肉の解体作業を行っていた。
森番は落とし穴の前で捻っていた。
その穴は、常識で測れば異常な大きさだった。成牛が10頭まとめて落ちても余裕があるほど深く広い。
森番は、生まれてから一度もこんな穴を見たことがない。
「お疲れ様。何かあったの?」
「クラリッサお嬢様。一個わからない事があるんですが、どうして、こんな大きな穴があったのでしょうかね。」
「ああ、筋トレの一環で穴掘ってたら、ハマっちゃって。」
「いや、それと大きな穴と、なんの因果関係が……」




