第1話「静かな場所」
教室のざわめきのなかで、優は窓の外を見つめていた。
春の風が校庭の桜を揺らしている。花びらがいくつも舞い、陽射しの中にとけていく光景は、まるで何かが始まる合図のようだった。
でも、彼女の中では何も変わらなかった。
早坂優、高校二年。
笑顔で「おはよう」と言い、ノートを貸してと頼まれれば「いいよ」と差し出す。目立つこともなく、嫌われることもない。だけど、誰にも本当の気持ちを話したことはなかった。
「ねえ、優、放課後カフェ行かない?」
クラスメイトの声に、優は笑顔を返した。
「ごめん、今日はちょっと用事あるの」
「そっか、また今度ね!」
女子たちは笑いながら去っていった。優は静かに席に戻り、鞄から文庫本を取り出す。誰かと一緒にいるのも嫌いじゃない。でも、本当はひとりでいる時間がいちばん落ち着いた。
放課後、彼女は学校の裏手にある小さな丘へと向かった。
そこはほとんど人が来ない、町を見下ろせる秘密の場所。古いベンチがひとつだけあり、優はそこに座って本を読んだり、空を見上げたりしていた。
今日もそのつもりだった——けれど。
そこには、先客がいた。
制服を着た男子が、ベンチの端に腰かけていた。少し風になびく髪。鞄の中からスケッチブックのようなものがのぞいている。
彼は、こちらに気づいても振り返らなかった。ただ、静かに空を見ていた。
「あ、ごめんなさい。よくここに来てて……邪魔だったら戻ります」
優がそう声をかけると、彼はようやくこちらを見た。
「ううん、邪魔じゃない。ここ、君の場所?」
「いえ……でも、勝手にそんな気で通ってたかも」
男の子は、ふっと笑った。
「なんか、わかるな。それ」
不思議な空気の人だ、と思った。
柔らかいけれど、近づきすぎると消えてしまいそうな。そんな気配。
優は彼の横に座った。少し距離をあけて。
しばらく、ふたりの間に会話はなかった。ただ、空と風と、遠くの町の音だけがあった。
「ねえ」
彼がふいに口を開いた。
「星って、消える前にいちばん強く光るんだって。知ってた?」
「……うん。なんか聞いたことある。超新星っていう現象、ですよね」
「そう。それって、ちょっと悲しいよね。きれいだなって思った瞬間に、消えるなんてさ」
優は言葉に詰まった。
何気ない会話。けれど、その言葉はなぜか胸に引っかかった。
まるで、自分自身のどこかを代弁されたような気がして。
「でも……私は好きです。最後にちゃんと光るって、強いことだと思うから」
そう言ったあと、少しだけ自分でも驚いた。
こんな風に、感情をさらけ出すようなことを、誰かに言ったのは久しぶりだった。
男の子は、少し目を丸くしたあと、また微笑んだ。
「君の名前、聞いてもいい?」
「……早坂優。あなたは?」
「久賀悠真。きゅうに賀正の“賀”、悠々の“悠”に、真実の“真”。ちょっと変わってるでしょ」
「変わってます。でも、きれいな名前ですね」
そう言ったとき、優の中で何かが少しだけ変わった気がした。
ひとりでいた場所に、もうひとつの気配が加わった。
それはまるで、夜空に新しく星が灯るような、そんな始まりだった。