お笑いへのいざない
「さて、それじゃ、お店の前で立ち話というのもなんだね。
どこか、場所を移して話そうか?」
クーバーの配達パートナーというものは、荒野を行くガンマンのように孤独な生き物だが……。
だからといって、一切の人付き合いから解放されるのかといえば、それはNOだし、そもそも、荷を受け取る時と届けた時に、必ず他者との接触が生じる。
今、ヤマトが気にしたのは、荷の受け取りに関する人間関係……。
パン類だと食べた気のしないヤマトにはいまいち理解は及ばないが、出動場所に選んでいるこのハンバーガーチェーンは、驚くほど人気があった。
客層は様々。まさに、老若男女問わずという言葉がふさわしいだろう。
日々、大勢の人間がここで作られるハンバーガーを求めており、それを届けるまでの狭間は、自分たちクーバー配達員にとっての主戦場であるのだ。
金を払うのは配達先のお客様だが、仕事を発生させてくれるのは飲食店側……。
ヤマトにとってこの店は、ある意味、最大のお得意様といっていい。
顔見知りである年上店員のお姉さんから向けられるスマイルが目減りしないよう、気を遣うのは当然であった。
「いいね。
それじゃ、どこに行こっか?」
幸いなのは、この少女が変にゴネたりすることなく、すぐさま同意してくれたことだ。
これには、少しばかり意外さも感じてしまうヤマトである。
何しろ、悲しいかな……ヤマトは目付きが悪い。加えて、表情も精一杯前向きな表現をして、仏頂面固定だ。
道行く女性が落とし物した時、拾って声をかけたら「ひっ」と言われてしまったくらいであった。
自分でも、どうにかならないものかと思う。
だが、いかなるトレーニングを試したところで、鉄壁の顔面筋たちは決してほぐれることがなかったのである。
話を戻すが、そういうわけで、ヤマトにとって女性との会話は鬼門だ。
配達員としてやり取りをする際は、クーバーのブランド名が迷彩――あるいは鎧――として機能するためか、特に支障はないのだが、それ以外の場面でとなると、てんでダメダメなのであった。
ゆえに、この展開は……意外。
自分の提案を、同世代やや年下の少女が素直に受け入れる……。
そもそも、同年代の人間が周囲にいない環境で育ったことはさておいても、これはヤマトにとって生涯初の快挙なのである。
だが、感動しているわけにもいかない。
「ここでバーガーでも食べながら話する?
……って、言いたいところだけど、もうだいぶ注目集めちゃってるね」
少女が苦笑いして見回しながら言った通り、すでに、ヤマトたちの周囲は先の攻防――でいいのだろうか?――を見たギャラリーたちが集まってきており、中にはスマートフォンのカメラを向けている者もいるのだ。
さきほど、「生リリだスッゲー」と言っている人間もいたが、ひょっとしたら彼女のことだろうか? だとしたら、やはり新人の芸人か何か? なら、配達員志願というのは勘違い?
……いや、若い頃に上京して芸人を目指したというゴンゾウさんも言っていた。若手芸人というのは食っていくだけでも大変で、他に仕事をせねばならないのだと。
新人女芸人とクーバー配達員……点と点が、線で結び付いたか……!
「……何かすっごく誤解されてる気がするけど、よかったら、付いてきて。
君なら、問題ないと思うから――」
言うが早いか……。
少女の姿が、瞬間的にかき消える。
いや、これはそうではない。
この地上部から、およそ二十メートルほど上にあるチカマチ第一階層の天井部……。
そのスレスレまで、ひと跳びで達したのだ。
なかなかのジャンプ力……!
そうしながらもスカートはしっかり片手で抑えており、しかも、もう片方の手で何やら眼鏡を取り出し、着用しているのがヤマトには見えた。
「なんだっ!?」
「消えたっ!?」
よそ見でもしていたのだろう。
周囲の人間がキョロキョロするのを尻目に、ヤマトもまた、マウンテンバイク片手に――跳ぶ。
これは、ヤマトが跳躍配達法と呼んでいる技法である。
軽車両である自転車にとって、その道路における表示最高速度が、事実上のトップスピード。
それを守りつつ、しかも、他の車両等への妨げとならないよう移動した場合、せっかく出来たての料理が、その品質を落としてしまう事態はあり得た。
そういう時、ヤマトは跳ぶ。
自由なる空を行くことで、他の何物にも縛られず目的地までの最短経路を行くのだ。
これを教えられずとも習得しているとは、配達員としての見込みが高いお嬢さんだと言うしかない。
そんなことを考えつつ、少女とヤマトは幾度かの着地と跳躍を繰り返したのである。
その際、着地地点にいた人々を驚かせてしまうのは、やはりこの技法が持つ欠点であるといえるだろう。
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少女が最終着地点として選んだのは、ヤマトもよく配達するミスリルアクセサリー屋のお姉さんなども出店している露店広場であり……。
「――うわっ!?」
「――空から人がっ!?」
「なんだ、探索者か?」
「人騒がせだな」
少女と自分が着地すると同時に、周囲からはそのような声が漏れた。
ただし、それだけ。
チカマチ以外の場所……例えば、新宿などでこれをやるともっと大きな騒ぎとなるのだが、ここでは話が別だ。
何しろ、五メートルほどの高さまで跳躍して移動したり、時速80キロほどの速さで小走りにしたりする人も、時折見かけられる町である。
健康のために迷宮を利用してる人が多いのだろう。
「ここまで来れば、落ち着いて話せそうだね」
スカートの乱れを直しつつ、こちらに向き直った少女……。
「……む?」
その姿に、やや違和感を覚えた。
眼鏡をかけた姿が、やけにぼやけて見えるというのか……。
顔のパーツや体つき、服装など、一つ一つの要素がいまいち頭に入らないというか、認識しきれていない感じがするのだ。
「これは……?」
この感覚には、覚えがある。
幻覚とか幻惑とか、そういった種の攻撃をモンスターから受けた際と同じ感覚だ。
あるいは――トラップ。
視覚情報と三半規管が欺瞞された上で、気づかぬ内にグルリと床が半回転。
仕掛けへ気付かぬ限り、永遠にトラップの先へ辿り着けない……ヤマトが苦手とする類の罠であった。
総じて、認識の阻害。
少女の姿を見ていると、脳の情報処理に支障が出ることを、ヤマトは正確に把握したのだ。
「ああ、これ?
認識阻害用のマジックアイテムなんだ」
両手でカチャリと眼鏡を持ち上げながら、少女が告げる。
――マジックアイテム。
例えば、ヤマトが愛用しているマウンテンバイクのような……。
迷宮で得られた素材を素に、職人が仕上げた特殊な道具のことであった。
故郷の村では、もっぱら頑丈なクワやスコップを作るのに使われていた技術であったが、都会においては、このような品も流通しているのか……。
ただ、眼鏡の効力はせいぜい顔を覚えさせないという程度のもので、そう強力な品ではないと思える。
要するに、変装用。
こんなものを付けて変装する理由は、やはり一つしかあるまい。
ずばり……見栄。
(やっぱり、新人の女芸人なんだろうな)
あるいは、新人ですらない芸人志願者なのだろう。
ハッキリいって、衆目など気にする必要は薄い立場だが、スマートフォンを使えば――ヤマトはやったことがないが――他人と動画や写真を共有したりすることも、たやすいと聞く。
少なくとも、見た目は抜群に可愛らしいのだし、地味なアルバイトをする姿が誰かに撮られたりしないよう防御するのは、有効であるかもしれない。
そしていつか、ブレイクした日にこう言うのだ。
「いえ、わたしは幸い、すぐに芽が出たので、生活費のためのアルバイトとかはしていないんです」
さすれば、苦労知らず……挫折知らずの天才芸人として売っていく道も、あることであろう。
ヤマト個人としては地道な下働きを経験している人間に感情移入するが、イメージ商売の売り方というものは様々なのであった。
「それで、こんなものまで用意して、君に会いに来た理由なんだけど……」
……と、妄想の中でM1グランプリ優勝を果たしていた彼女が、現実の方で動きを見せる。
目線は、下の方に逸らし……。
両手は太ももの後ろあたりで組んで、もじもじと。
何か……言い出しづらそうに……。
あるいは、懸命に言葉を選んでいた彼女が、決心して口を開く。
果たして、ここまでしての用事とは……?
ヤマトの予想通り、クーバー配達員として働きたいというものなのか……?
「君に、あたしと組んでほしいの」
……予想と全然違うものであった。
そして、これに対するヤマトの返事は、ただ一つなのである。
「済まない。
お笑いの道に進む気はないんだ。
M1は、誰か他の人と目指してほしい」