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中華そば

 少年が配達バッグから取り出したもの……。

 それは、ウレタンスポンジを加工して自作したのだろう数枚の仕切り板であり、折り畳み可能なアルミバッグであった。

 通常のクーバー配達員であっても、それなりの熟練者でなければ行わないだろう懇切丁寧な梱包……。

 幾重にも施されたそこから取り出されたのは、ごくごくありふれたビニール袋に包まれたプラ容器である。


「こちら、中華そばになります。

 お確かめください」


「あ、はい」


 接客業というわけではなく、配送会社に所属する従業員というわけでもないため、少年の表情は先までと変わりない無表情。

 このような表情で食べ物を届けられると、ここが迷宮深層などではなく、マンションの玄関口であるかのような錯覚にとらわれた。

 そうして受け取ったビニール袋は……。

 それに包まれたプラ容器は……。


「――温かい」


 本能的にほっとした声で呟いてしまう。

 冷え冷えとした迷宮深層の中にあって、これは確かな温もりだったのである。


『さっきの見た?』


『一瞬、消えてた』


『てか、すごい音、何?』


『←ロックアイが画面隅で秒殺されてた』


『あの配達員がやった?』


『他に候補いないし』


『で、今はラーメン手渡してる』


『情報量多すぎてパンクしそう』


『てか、おれらが見てんのって迷宮深層からのダンジョン配信だよな?』


『そこらのアパートでよく見る光景過ぎるw』


『おれん時は置き配使ってるわ』


『うちも』


 一方、相変わらずリリ本人に届いていない配信チャット欄は、リリーナイト同士によるコミュニケーションの場となっており……。

 ナイトの中でも、機に聡い者は早くも並列で動き出していたのだが、それが判明するのはもう少し後の話。


 ともかく、今この場で起きた現象は、リリが中華そばを受け取り、スマホアプリで配達受け取りの操作を行ったということだったのである。


「もしよかったら、高評価をしてもらえると助かります」


「あ、うん、するする。

 あと、チップも弾むね」


「それはありがたい」


 言葉とは裏腹に……。

 顔面の筋肉をどこかへ置き去りにしたかのような無表情で、配達員の少年が返す。

 ここでの仕事を果たし終えた彼は、さっさと仕切り板などを配達バッグにしまって担ぎなおし、マウンテンバイクへ再びまたがっているところだった。


「む……!」


 と、ここでふと少年が、その身を硬直させる。

 一体、何が起こったのか……?

 いぶかしげな視線を送るリリに対し、彼はホルダーで固定されたスマートフォンをいじりながら、こうつぶやいたのだ。


「新しい配達リクエストが届いているな……。

 申し訳ありませんが、俺はそろそろ失礼します。

 高評価の件、よろしく」


 言いながら、脇を90度に開き、指先は眉へと添えた見事な敬礼を送ってみせる少年。

 礼というもの……ことに、敬礼というものは、相手の背筋を正させる不思議な力が宿るもの。

 特に、少年が見せたような完成されたそれとなると、リリほどの実力者であっても二の句を告げることがはばかられ、ただ見送ることに徹してしまった。


「では……」


 言うべきことを告げ、ここでの仕事を終えた少年が、来た時とは違い前傾の運転姿勢となる。


 ――こんな深層にまでどうして配達リクエストが届いているのか?


 ――それだけの実力を持ちながら、どうして無名であるのか?


 ――そもそも、なぜクーバー配達員などをやっているのか?


 瞬間、リリの脳裏に湧き出てきたのは、少年に聞かなければならないいくつもの質問……。

 ただ、そのいずれも口に出せないまま、少年は最初のひとこぎを繰り出していた。

 いや、彼が見せた動きは、自転車をこぐなどという日常的な言葉で表してしまっていいものか、どうか……。


 天井から床に至るまで、白亜の大理石が敷き詰められた空間の中で……。

 少年の体が……マウンテンバイクが、一瞬にしてその姿をかき消す。

 後に残されたのは、残像と呼ぶことすらおこがましい漆黒の風……。

 高い迷宮加護(ステータス)を誇るリリの動体視力だからこそ、そのように捉えることが可能なのだ。

 一般人の目線で見れば、ただただ、少年の姿が消失したように見えたことであろう。


(そうだ……リリーナイトたちには、どう見えていたんだろう?)


 ここでようやく、自分以外に一連の出来事を見ていた者たちがいたことを思い出す。

 振り向けば、三脚式のスマホスタンドに撮影用のスマートフォンが固定されたままであり……。


『なんだったん? アレ?』


『稀にある迷宮怪談の一種に思える』


『怪談扱いするには、おれたち全員ガッツリ見ちゃってる件』


『間違いないのは、A級レベルのステータスホルダーだってこと』


『←クーバーやってるA級探索者とかそれこそ怪談レベルでありえねえし』


『そこまで鍛えてクーバー配達員とかこの世に夢がなさすぎるw』


 配信アプリには、リリーナイトたちのコメントが無数に流れ込んでいた。

 配信者の習性として同時にチェックした接続数は、先ほどまでに比べて1,000以上も増加しており……。

 わずか数分の出来事であったことを思えば、バズりの兆候を感じさせる増加ぶりである。


「えっと……。

 リリーナイトのみんなも、今の見たんだよね?」


 人気ダンジョン配信者としての本能でそのことを念頭に置きながら、スマートフォンに向かって尋ねる。

 質問に対して返ってきたのは、画面を埋め尽くすほどのコメント。

 いずれもが、リリの質問を裏付ける内容であった。


「うん……やっぱり、わたしが見た幻とかじゃないんだ」


 例えるならば、これは頬をつねったようなもの。

 あまりに現実離れしたものを見せられたので、今がキチンと現実であるのかどうか、確かめたくなったのだ。

 そして、現実か確認できる品物といえば、もう一つ……。


『それより、姫様のラーメン生配信キター!』


『まさかの迷宮内食レポw』


『麺すすりASMR切らしてたから助かる』


『HDKYと姫様突然のコラボ』


 リリーナイトたちのコメントで、手の中に存在する温もりを思い出す。

 ビニール袋に入れられたそれを取り出せば、クーバーで配達された麺料理に特有の容器。

 透明な蓋越しに見ると、中に麺と具材しか入っていないように思える。

 しかし、これは仕切りとなる内蓋の上に麺と具が載せられているからであり、取り払ってしまえば……。


「……うん。

 暖かい……というより、熱々のスープだ。

 出来立てをそのまま届けてくれたって感じ」


 湯気が立ったスープの香りを嗅ぎながら、視聴するナイトたちにそう告げた。


『さっきの配達者が、出来立て届けたとほぼ確定』


『レンチンした可能性は? クーバーの容器はレンジ対応』


『それどういう状況だよw』


 掲示板でいうところのレスじみたコメントは、そのままリリの考えを代弁してくれている。


「……食べようか」


 とにかく、こうして熱々のラーメンが眼前にあり、リリもまた、空腹を抱えているのだ。

 心して食さぬは、無作法というものであった。


「……うん、すっごく中華そばっていう感じ」


 麺と具を丁寧にスープへ浮かべ、つぶやく。

 ラーメンと聞いて、万人が思い浮かべるものを使い捨て容器で再現したような。

 究極の平均的なラーメンが、そこに誕生する。


『今時、ガチの東京ラーメン食いたくなると、HDKYか個人の中華料理屋くらいしか選択肢なくなるよな』


『東京ラーメンの死滅した首都東京』


『個性がないラーメンは生き残れないのだから仕方ない』


『結果、消え去る当たり前のラーメン』


 リリーナイトたちの言葉で、確かに、そのようなものかもしれないと思う。

 あまりラーメンを食べる機会はないリリだが、街で見かけるラーメン屋といえば、チェーンを除けば何かしらの個性を主張する店ばかりのように思えた。


「そうかも。

 じゃ……頂きます」


 綺麗に食事をできるかどうかは、配信者としての好感度に大きく影響する。

 丁寧に手を合わせてから、ラーメンへと挑みかかった。

 よく麺へと絡めた麺を――すする。


「うん……美味しい」


 鶏ガラの味がクッキリと感じられるスープは、まさにラーメンの原初的な体験。

 このチェーン独自の麺は、ハッキリと角が感じられる茹で上がりで、ボリュームを増してくれる食感だ。

 しみじみと……美味い。

 このありがたさすらある味わいが、リリの口角を自然と歪ませた。


「本当に……美味しい」


『姫様のメシウマ顔キター!』


『こっちもHDKYのラーメン食べたくなってくる』


『おれはとっくにクーバーで注文済みなんだが?』


 見る者によっては興奮を覚えるらしい幸せな笑顔に、多数のコメントが付いていく。

 どうも、リリが食事をしている場面には需要があるらしく、切り抜き集などもかなりの再生数を記録しているのだ。


(佐川……大和君か)


 並列に物事を考え、処理するのは配信者としての基本スキル。

 大人気中華チェーンの味をしっかり堪能しつつも、脳裏では先の配信者について考える。

 すでに、顔と名前は完璧に記憶済みだ。

 探し出すのは、そう難しいことではないだろう。


(まあ、似たようなこと考えるやつは、多いだろうけど)


 同時に、今後の展開についても、思いを馳せるのであった。


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