ヤマト
――地蔵。
仏教における菩薩の一尊であり……。
人々を苦しみから救済し、特に子供や死者を守護する仏様として、我が国で広く信仰されている。
また、正式名称を地蔵菩薩といい、釈迦の滅後から弥勒菩薩がもたらす来世までの間、世の中に留まって衆生を救うとされ、日本各地……というより、都会も田舎も問わぬ町のそこかしこに像が作られ、祀られていた。
まさに、日常的な景観の一つであり、我々にとっては、最も身近な仏像であるといえるだろう。
ところで、近年においては仏教と関わりのないお地蔵様が恐るべき勢いで増殖し、これも日常的な光景の一つとなっている。
それらが立ち並ぶ場所はアトランダムであり、特に、雨が降った日は大幅にその数を減らすことで知られているが……。
大抵の場合は、人が多い繁華街やビジネス街などで、ハンバーガーチェーンの前に姿を認められた。
おおよその場合、おだやかな顔で手を合わせ、場合によっては赤い前かけなどを着用しているのが、伝統的なお地蔵様というものだが……。
飲食チェーン前で見られる地蔵たちの格好というものは、実に千差万別である。
気合いが入っている者は、サイクリングウェア。
だが、ジーンズやチノパンなど、動きやすくラフな格好でまとめている者も数多い。
唯一、彼らに共通している装いは、背中のリュック。
これが、ひどく特徴的だ。
デザインは四角い箱型で、その大きさたるや、女神を守護する少年闘士たちの鎧も運ぶことができそうであった。
上部のみではなく、後ろ側……背負う人間のお尻辺りにも開閉用カバーが備わっており、フレキシブルに出し入れが可能。
特筆すべきは、最新の断熱素材を用いた保冷&保温能力。
冷たい品は、冷たいままに……。
温かい品は、温かいままに目的地へと運ぶことを可能としているのだ。
この機能的かつ、収容量が大きいバッグを背負った現代の地蔵たちは、果たして何を思って大手飲食チェーン前に佇んでいるのか……。
衆生の平安を祈っているわけでないことは、傍らに存在する自転車やバイク――これも車種は様々だ――を見れば、明らかであろう。
そう、彼ら現代地蔵の正体は、運び屋であった。
正式名称は――クーバー配達員。
クーバーテクノロジーズから委託される個人事業主となり、マクド菩薩やヨシギュウ菩薩がもたらす様々な料理を、衆生の人々に届けるのが使命なのである。
およそ十年前にサービスが開始されて以来、爆発的に数を増やしている彼らクーバー配達員であるが、東京チカマチの第一階層においても、その姿は認めることができた。
やはり、多くがたむろしているのはハンバーガー店……。
何しろ、観光地として整備され、電気ガス水道ネットといったインフラの全てが揃っているチカマチ上層部であるから、一般的な飲食チェーンも数多く出店しているし、それら店舗への配達需要も豊富だ。
せっかく地方の観光都市までやって来て、最初に見かけた飲食店がありふれたチェーン店だった、という例が数多いように……。
観光産業者の食需要も当然満たされなければならず、それらの人々が求めるのは多くの場合、王道にして外れがない大手チェーン。
結果、曲がりなりにも迷宮であるこのチカマチ第一階層においても、クーバー配達員たちが地蔵と化し、自らの出番を待ちわびていたのである。
このチカマチで産出されるドロップ品を加工した自作アクセサリーの露天商が、中国人カップルに流ちょうな中国語で商品を売り込み……。
観光地化しているとはいえ、迷宮であるからには当然出現するモンスター――第一階層の場合はゼリースライム一種のみだ――を駆除するため、『町内会』の元探索者たちが見回りを行う……。
『PPPPP……!』
いつも通りの日常が展開されるチカマチの中において、あるクーバー配達員のスマートフォンが電子音を鳴り響かせた。
配達リクエストが届いたのだ。
「ん……」
アプリからリクエストを確認した配達員は――若い。
老若男女を問わないのが、現代地蔵たるクーバー配達員の特徴。
とはいえ、二十歳に達しているかいないかという見た目の少年というのは、なかなか見られるものではなかった。
もし、配達員として登録するための規約に十八歳未満NGを意味する一文がなければ、現役の高校生である可能性すら疑ったことだろう。
そのような印象を抱いてしまう大きな要因は、その髪型である。
何しろ――丸坊主。
今時、よほど気合いの入った野球部でもない限り、見かけることはない髪型だ。
おしゃれどころか一種の社会性すら捨て去っているこの髪型は、少年へ実際の年齢よりさらに年若い印象を与えていた。
服装は、髪型と同様に気合いの入った――サイクリングウェア。
ピッチリとしたウェアは細く締まった筋肉へ張り付いており、並大抵の鍛え方をしていないことが一目瞭然となっている。
目つきの鋭さは、オオカミか、あるいは猛禽類かというほどであり……。
髪型、服装、目つきが三位一体となって、どこか異様な……浮世離れした迫力を発しているのであった。
そんな彼の傍らに停めてあるのは――マウンテンバイク。
フレームから何から、全てが黒一色。
見るからに強力そうなライトとスマートフォンホルダー以外、何一つ余分がない。
ただ、新品同様の輝きを誇る車体は、よく整備されているようであり……。
街中の配達員としてはやや外したチョイスの愛車に対し、並々ならぬ愛情を注いでいるのが推察できた。
「ふん……」
黒い瞳を狩猟生物そのもののように細めて確認するのは、スマートフォンへ表示されている配達リクエストの内容。
実のところ、クーバー配達員というものは、アプリに届いた配達リクエストを片端から受けていればいいというものではなく……。
効率よく稼ぐには、リクエストを取捨選択するロジックとセンスが重要である。
例えば、リクエストされた料理を扱う店舗が大規模商業施設の中であったなら、それだけピックアップにかかる時間は大きなものとなった。
届け先にしても、タワーマンションの上層部などであった場合、エレベーターの運次第ではかなりの時間をロスすることになってしまう。
その他、配達先で新たなリクエストを受けられるかや、そもそも配達に適したルートであるかなど、配達効率……ひいては、稼ぎの効率に影響する要素は数多い。
つまりは、世に数多ある職業と同様。
一見すれば簡単そうに見えて、実際に間口が広く用意されていたとしても、抜きん出て稼ぐためには、相応の努力とインテリジェンスが必要となるのである。
果たして、少年の選択とは……!
「………………っ!」
無言のままスマートフォンをタップし、外していたヘルメットも深く被り直したのだから、これは考えるまでもないだろう。
リクエストを、受けることにしたのだ。
その上で移動をしないことから、これは目の前に存在するバーガーショップの配達リクエストであると知れる。
「ふぅー………………」
それにしても、ひどく独特な姿で待機する少年だ。
現代において、何かを待つにあたっての必須品とは、スマートフォンを置いて他にない。
代表的なところでは、SNSの巡回やソーシャルゲームのスタミナ消化か。
周囲にいる他のクーバー配達員たちは、思い思いにスマートフォンを使い、退屈な待ち時間の気を紛らわせていた。
対して、この少年はスマートフォンに触りもしない。
配達リクエストの内容を確認した以上は、不要であると言わんばかりに……。
ただ腕組みし、瞑目して立ち尽くしているのだ。
衆生のために祈っているかいないか……。
あるいは、石でできているか生身の肉体であるかという違いはある。
だが、その様はまさしく――地蔵。
クーバー地蔵という蔑称の意味すら込められた俗称を、完璧に体現しているのであった。
少年がこうしているのは、特にすることが思いつかないからでも、ましてや、スマートフォンのバッテリーが危ういからでもない。
五感の一つを断ちながら瞑想することで、コンセントレーションを最大限に高めているのである。
しかも、そうしながらも脳内では様々な経路と発生し得るトラブルがシミュレーションされており、何があろうとも即応して、最速で配達リクエストを完了するための準備が整えられているのだ。
ただ、そうしている時間もそう長くはない。
『PPPPP……!』
さすがは、世界一のファーストフードチェーン。
配達リクエストを受けてからほんの数分で調理が完了し、少年を呼び出す。
そこから少年が見せた動きも、迅速。
「クーバーだ。
番号は――」
他の配達員にも、あるいはカウンターで注文の品を待ち受ける一般客にも迷惑をかけぬよう……。
俊敏にして密やかな動きで受け取りカウンターの前に立ち、よどみなく注文番号を告げる。
「ボーズ君、こんにちは。
今日もよろしくね」
少年と顔見知りの店員――彼よりいくらか年上のお姉さんだ――が、熟練店員のスマイルと共に紙袋を渡す。
「当然だ。
任せておけ」
対して、請け負った少年の態度はぶっきらぼうそのもの。
「こいつは、最高の状態で依頼主に届けてやる」
ただ、紙袋を抱える手つきは、極めて慎重なそれであった。
ありふれたバーガーセットの包みを、宝物か何かのように店外へと運び出す。
愛車の傍ら……周囲の邪魔にならない場所まで運んだなら、いよいよ背負っているバッグの出番だ。
素早く上部の蓋を開き……。
中から取り出したのは、アルミ製の――保冷バッグ。
クーバーで支給される箱型バッグは、それだけでも相当な保温能力を有している。
だが、少年はどこぞのホームセンターで購入したこのアルミバッグへ入れることにより、より強固な保温効果を得ると共に、内部で商品を固定する役に立てようとしているのだ。
しかも、アルミバッグはサイズ違いのものを複数折り畳んで入れてあるため、ドリンクとフードを分けて収納することが可能であった。
彼が取り出したライフハックグッズは、アルミバッグだけに留まらない。
例えば、ウレタンフォームの――緩衝材。
少年自らの手で様々な大きさにカットされたこれを組み合わせると、アルミバッグに入れられたフードとドリンクが仕切られると共に固定される。
今回はバーガーセットであるためそこまで問題にはならないが、フードデリバリーにとって、揺れや傾きは――大敵。
読者諸兄にも、せっかくスーパーで買ったお寿司がビニール袋の中で傾き、台無しになってしまうという悲劇に見舞われた方がおられるだろう。
少年の心遣いからは、そういった悲しみをなくし、食の喜びのみを届けようと腐心しているのがうかがえた。
「いくか……」
まるで、何かに挑むかのように……。
漆黒のマウンテンバイクへまたがった少年が、両の拳を打ち付ける。
それから、力強くペダルをこぎ出し……。
道路へと、走り出した。
そこから少年が見せたのは、まさしく、自転車という乗り物の模範運転であるだろう。
当然、走行するのは左車線側道。
定期的に後方確認し、背後の交通状況を常に把握。
また、各種の観光施設や商業施設を潤滑に営業させるため道路が整備されているとはいえ、元来が迷宮であることから、チカマチ内は車一台がギリギリ通れるだけの幅しかない一方通行の道も多く、しかも、そういった狭い道を大勢の人々が行き交っている。
配達中、そのような局面に出くわした時、少年が取る行動はただ一つ!
そう……。
「すいません、通ります。
すいません、横、失礼します」
マウンテンバイクから降りて、これを押しながら歩くのだ!
あくまでも、優先されるべきは交通弱者たる歩行者!
しかも、彼ら彼女らの大半は観光客であり、このチカマチを潤してくれる存在!
また、少年にとっては潜在的な依頼主でもあった。
「すいません、失礼します」
行き交う歩行者に対し、いちいち軽く頭を下げながら歩き抜けていく様からは、顧客となり得る存在への敬意というものがにじみ出している!
それにしても、だ。
一見すればもどかしく思えるこの行動の、なんとスムーズなことだろうか。
もし、天上から少年の動きを見ていたならば……。
マウンテンバイクを手で押しつつ、可能な限り歩行者たちの邪魔にならないルートを選んでいることが、ひと目で分かったに違いない。
歩行者というものが自分の意思を持って不規則に動く存在であり、それらが無数に集まっていることを考えれば、スーパーコンピューターすら凌駕する圧倒的情報処理能力であり、空間把握能力であるといえるだろう。
そのような道程を経て、少年がついに辿り着いた先……。
そこにあったのは、小さな――露店。
ダンジョン内でドロップした素材を探索者協会から買い取り、アクセサリーなどへ加工して販売する……。
このチカマチにおいてはよく見かける形式の店であるが、強いて言うならば、店主の美貌とファッションセンスが図抜けていた。
下は、白のワイドパンツ。
これと肌なじみがいいコーラルピンクのトップスを組み合わせ、ヘルシーな印象を与えつつも仕事時の動きやすさを確保。
肩口で揃えた茶髪はウェーブがかっており、愛想だけでなく、モデルめいた気品と美しさの漂う彼女にはよく似合っていた。
扱っているアクセサリーはミスリル製の逸品揃いであり、デザインの優美さなどもさることながら、最初に目を引くのは――値段だ。
商品台の上に並べられた品々は、手書きの値札が付いているわけであるが……。
最低でも、百万円。
モノによっては、一千万円の大台に達する値付けがされている。
ミスリルという素材の希少性と、それを加工する店主の腕前を思えば相場通りの値段であったが、街中の露店とは思えぬ値付けであった。
だが、もっと驚くべきは、商品を並べておくスペースの内、七割近くが――はけてしまっているということ。
当然、そこに置いてある商品が売れたからである。
まさに、チカマチドリームの体現者。
それが、この露店を開くミスリルクリエイター――銀子なのであった。
「お待たせしました。
注文の品々です」
「おー、いつもありがとうねー。
ちょうど、お客さんがはけたところだから、ご飯にするかなー」
露店の前でマウンテンバイクを停めた少年に、ギンコが気安く話しかける。
何しろ、扱っている品が高額なので、商売中はそう簡単に離れられない。
そのため、彼女はしょっちゅうクーバーを利用しており……。
時間帯とメニューの都合から、少年とも顔なじみなのであった。
「いえ、仕事ですから。
よろしければ、高評価をお願いします」
「オッケー、するするー。
と、これもいつものやり取りだねー。
チップも入れとくよー」
バッグから完璧な状態で保管されていたバーガーセットを取り出して渡す少年に、ギンコが笑顔でうなずく。
あとは、少年側がアプリの配達完了ボタンをスライドさせ、ギンコ側で評価やチップの操作を終えれば配達完了だ。
「ありがとうございます」
「いつもいつも、丁寧な仕事でありがたいよ。
うん……バンズもしわになってない!」
ギンコが包みを剥いたチーズバーガー……。
なるほど、そのバンズは水蒸気によってしわとなっていなかった。
少年が、最短最速で配達した結果である。
「美味しい状態で食べてもらいたいですから」
「その心遣いが、お姉さん嬉しいなー。
ほいっと」
片手にチーズバーガー、片手にスマートフォンという二刀流で、ギンコがアプリの操作を行う。
アプリ内へ顔写真と共に記載されている少年のプロフィール……。
そこへは、さん然と輝くダイヤモンドのランクと共に、こう記されていた。
――佐川大和。
――配達ポリシー:いかなる場所でもお届けします。
「いやあ、いつ見ても惚れ惚れするくらいシンプルで力強い配達ポリシーだねー。
本当に、どんな場所でも届けちゃうの?」
「もちろんで――」
『――PPPPP!』
クーバー公式バッグを背負い直していた少年のスマートフォンが、チープな電子音を鳴り響かせる。
どうやら、新たな配達リクエストが舞い込んだようだ。
「あ、ごめんねー。
確認しちゃっていいよー」
「失礼」
手短かつ、丁寧に答えたヤマト少年が、スマートフォンを真剣に覗き込む。
その様子が、何やら死地におもむく兵隊のようで……。
少しおかしくなったギンコは、つい尋ねたのであった。
「ちなみに、今回の配達先はどこー?」
「……どうやら、迷宮の地下19層ですね」
「は?」
――地下19層!
現役時代のギンコでも立ち入ったことがない魔境である。
だから、これには我が耳を疑ったが……。
「まあ、なんとかなるでしょう」
続くヤマトの言葉にも、目を瞬かせることになった。