リリ
――東京チカマチ。
正式名称は、東京都第七特異空間指定区域『分類:地下遺跡型複合迷宮』である。
発見されたのは、およそ十七年前……。
新たな電波塔に付随した巨大観光施設を建設しようとした際、東京地下鉄の旧ルート・未公開路線・都市開発予定地が“融合”する形で迷宮化した特殊空間だ。
上層部は地上との接点が多く、探索者や露天商、観光客などが常に出入りしている迷宮の皮を被った観光地と化しており、それこそがチカマチという呼び名の由来……。
上層から下層へ下っていくに従って、迷宮の構造が次第に複雑化していき、かつ、生息するモンスターも徐々に手強くなっていくという素直な探索難易度をしていることから、幅広い探索者が活動拠点としていた。
定期登録探索者は、実に12,000人。
ダンジョン配信者の視聴アカウント数は、5,000万以上。
我が国に数あるダンジョンの中でも、最大級の規模と迷宮利益を誇るのがこの東京チカマチであるのだ。
その、地下19層……。
到達したならば、パーティー、ソロ問わず探索者の最高位――A級の資格を得られるこの空間は、まさに地下遺跡型の分類にふさわしい静謐な空間である。
壁材や床材となっているのは、顔が映りそうなほどに磨き抜かれた白亜の大理石。
ただ、それは同時に景観的な目印がないということであり――ここへ到達している時点であり得ない想定だが――心得がない者ならば、たちまちの内に方向感覚を失ってしまいそうであった。
この階層でもう一つ特徴的なのは、生息するモンスターの種族であろう。
ことごとくが、物質系。
戦車すら破壊するだろうパワーを誇る大理石製の巨人――ホワイトゴーレム。
全身が鋭利なクリスタルで構成され、その手に握った水晶槍を恐るべき巧みさで振るう戦士――クリスタルソルジャー。
一見すれば宙に浮かぶ岩石の集合体だが、中央部には怪光線を放てる眼球が備わった浮遊砲台――ロックアイ。
いずれも劣らぬ強豪モンスターであり、もし、Bランク以下の探索者が遭遇したのなら、例えパーティーを組んでいても決死の覚悟が必要となった。
だが、それはあくまでもBランク以下の場合……。
Aランク探索者の中でも、トップクラスの実力を誇る彼女にとっては、ただのカモと呼ぶしかない相手だ。
大理石製のレンガを人型に組み上げたようなホワイトゴーレムの巨腕……。
それを握り拳にして放つ必殺の一撃が、視界スレスレのところを通り抜ける。
彼女がギリギリのところで見極め、必要最小限の動きで回避した結果だ。
そのような動きをされると、彼女が頭部へ装着している配信ギア越しに戦いを見守るリスナーは、自分自身が戦っているような錯覚を得られた。
それはさながら、スーパーヒーローにでもなったかのような感覚。
二撃、三撃と放たれるゴーレムの拳を、彼女は同じようにして回避していく。
『当たらなければ、どうということはない』
『貴様の攻撃……すでに見切った』
『正直、こっちの動体視力が追いつかない』
そうする度に、ギアからの生配信には湧き立つコメントが投じられた。
その密度たるや、尋常なものではない。
何しろ、二万人以上も同時接続がされており、熱心なリスナーたちがコメントしているのだから、場合によってはコメントで画面が埋まってしまうほどだ。
そうなっているのも、彼女が魅せる戦いを心がけているから。
そもそも、スピードで完全に勝っているのだから、いくら相手の動きを見切っているとはいえ、わざわざギリギリで回避し続ける必要はない。
また、反撃の手がないというならまだしも、両手にはコンクリートも豆腐のように切り裂けるミスリル製ダガーを手にしているのだから、さっさと反撃し、倒してしまえばよさそうなものだった。
全ては、リスナーを楽しませるため……。
ただダンジョンを攻略するだけでは、二流。
攻略すると同時に、視聴者へ迫力満点の映像を提供するのが、一流のダンジョン配信者なのだ。
「それじゃ、ギアを上げていくよ!」
宣言すると同時………。
『WARNING! WARNING!』
『画面酔い警報発令!』
『初見さんはマジでリバースするから気をつけろよ!』
一致団結したリスナーたちによる注意喚起のコメントが溢れる。
同時に彼女が魅せた、重力の制約から解き放たれたような動きの数々……!
上から下……下から上……。
時には、ホワイトゴーレムの股下をくぐり……。
また時には、驚くべき跳躍力で巨人の頭上を跳び越える。
その際には、跳び箱を飛ぶような要領でペチリと頭を叩いてやっており、彼女の茶目っ気溢れる挑発にコメントはまた沸き立った。
なんという、美麗にして痛快なアクション。
しかもこれを、頭部配信ギアからの主観視点で楽しめるのだ。
これを味わってしまうと、ワイヤーアクションもCGも陳腐なものとしか映らなくなってしまうだろう。
たっぷりと相手の全力を出し尽くさせ……。
リスナーの画面酔い耐性などおかまいなしという動きでバク転など織り交ぜつつ、彼女がゴーレムから距離を取った。
いよいよ、キメに移ろうというのだ。
「みんなー。
力を貸してねー?」
彼女の呼びかけに応え……。
流星がごときコメントの嵐で、配信画面を埋め尽くされる。
俗に言う弾幕だ。
個々のコメントは、そう深い内容を書いているわけではない。
例えば、
『いっけえええええっ!』
『頼んだぞ!』
『魅せてくれ!』
……といった具合に、彼女を応援するものがほとんどだ。
が、中には変わり種として、
『やってみせろよマ◯ティー!』
『なんとでもなるはずだ!』
『ガ◯ダムだと!?』
……などと、コメントの嵐から器用に同好の士を見つけ出し、分かる人にしか分からない即興のパロディギャグをかます者もいる。
他には、
『応援参加記念のスパチャ』
……といった具合に、スーパーチャットを送る者もいたが、トップクラスのダンジョン配信者である彼女にとっては、小遣い金にもならぬ額であろう。
「いいねいいねー!
み な ぎ っ て き た !」
ともかく、これで全ての準備が整った。
頭部の配信ギアからもたらされる映像が、地を這うヘビじみたものへと変化する。
彼女のそれと近しい視点で写し出されているのは、顔の前へ突き出すように逆手で構えられた両のダガー……。
これほど低い姿勢で構えていながら、手が迷宮の床に触れることがないというのは、驚きだ。
二本の足と、生物離れした体幹によって、上半身を支えているのであった。
「コーメー……」
彼女がつぶやくと同時……。
一瞬だけ、コメント欄に静寂が訪れる。
かくも騒がしいリスナーたちが、あえて沈黙している理由はただ一つ。
待っているのだ。
ここぞというコメントを投じるべき、その時を。
「ドーン!」
彼女のかわいらしく、いささか迫力に欠けた声。
それがもたらした効果は、絶大だ。
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
『ドーン!』
彼女の言葉に合わせ、リスナーたちもまた一斉に『ドーン!』とコメントし、弾幕と呼ぶのすら生ぬるい文字の壁が形成されたのであった。
それにしても、恐るべきは古参勢がコメントしたそのタイミングであろう。
彼女が「ドーン!」と言ったのと、ほぼ同時。
呼吸や間というものを、これまでの配信によって完璧に把握しているからこそ可能な芸当だ。
さておき、彼女がこうまで意味深に行った一連のアクション……。
それがもたらしたのは、分厚い弾幕のみであったか?
……そうではない。
無数に流れた『ドーン!』というコメント……。
それによって形成された弾幕が晴れると同時、配信画面に映し出されたのは、先までと全く違う光景……。
いくつにも分割され転がるホワイトゴーレムの体を、見下ろす映像だったのだ。
分割されたホワイトゴーレムの各部位は、大理石で構成された体を切ったと思えぬほど滑らかな切断面であり……。
元々が丸太のような太さを誇る四肢であるから、彼女愛用のダガーが通じたにせよ、明らかに刃渡りを越える長さで切られていた。
では、どうやって切ったというのか?
簡潔に表してしまえば――オーラ。
より深く説明するなら、彼女の固有スキルにより生じた不可視のオーラが、両手のダガーを覆ったのだ。
地上の金属はもとより、ダンジョン産の魔法金属すら上回る強度のそれが刃渡りを伸ばし、切れ味も大幅に強化したというわけである。
「フ……つまらぬ物を斬ってしまった」
元ネタを思えば、あまりに可憐でニヒルさのかけらもない声で、彼女が告げた。
それから、見るも鮮やかなジャグリングの後に両手のダガーが消失する。
個人結界へと収納したのだ。
「……と、今のがわたしの固有スキル『アドベンチャー·チャット』でした!
リリーナイトのみんなは拍手!
初見さんは、楽しんでもらえたかな?」
彼女の問いかけに応じ……。
リリーナイト――彼女を推すリスナーの総称だ――が、次々と『パチパチパチパチパチ』『ptptptptpt』などといったコメントを投下した。
「うんうん、ありがとー。
こうやって、みんなに応援してもらえればもらえるほど強くなれるスキルだから、これからもごひいきにしてねー」
――『アドベンチャー·チャット』。
探索者たちが保有する固有スキルの中でも、とりわけ強力かつ、時世に合ったものとして知られるスキルである。
その能力は、配信を見ているリスナーのコメントが、彼女を強化するというもの……。
しかも、コメント数に比例してより強大な力が彼女に付与されるのだ。
人によっては、某世界的コミック作品にならい元◯玉と呼ぶ。
ともかく、ダンジョン配信が一大コンテンツと化している現在においては、チートの域に達しているスキルと見て間違いない。
リリーナイトというリスナーの総称は、伊達にあらず。
彼らはただ、配信を追い推し活するだけの受動的存在ではない。
コメントによって彼女を支え、共に戦い探索する……。
文字通りのナイトたちであるのだ。
『もちろん!』
『我らリリーナイトはいつもおそばに!』
『姫様のために!』
『この忠誠を姫様に!』
「あ、はは。
姫様はちょっと大げさだし、困っちゃうかなー
今はまだ、見ての通りの女の子だけど、これから先……」
リリーナイトたちのコメントに、うんうんとうなずく彼女。
だが、見ての通りと言われても、頭部の配信ギアが映し出している映像なので、リスナーに見えるのは、ドロップ品だけ残して消失していくホワイトゴーレムの残がいだけだ。
『見えないよー』
『おれは心の目で見てる』
『早く姫様のお顔を映してー』
「……あ、そうか。
ギアの主観視点にしたままだった」
たまに天然ボケをかまし、それがまた人気につながっている彼女であるが、リリーナイトたちのコメントで、ようやく、肝心な自分の姿を映さないまま語りかけていたことへ気づいたようである。
『気付いた』
『おれは一向に構わないんだが?』
「あっははは!
ちょっとドジしちゃったね!
……んしょ」
リリーナイトたちの温かなコメントを受けながら、ごそごそとカメラが設置され……。
「これでよし、と。
映像切り替えるよー」
たった今、主観視点で設営風景を共有したそのカメラに、視点が切り替えられた。
両手でハートマークを形作りつつ……。
配信画面に姿を現した彼女は、抜群の美少女というしかない。
青みがかった黒髪は、背の中ほどまで届きそうな長さのポニーテールとなっており……。
薄灰色の瞳はカメラ越しにも印象的で、サムネ映えする天性の才である。
身長は150センチほどとやや低く、小柄な体を包み込んでいるのはスポーティなジャケットとプリーツスカートで、当然……いや、残念か? スカートの下はスパッツでガードされていた。
一番の外見的特徴は、頭に装着した配信用のギア。
軍事用に転用することも視野に入れて設計されたこれは、迷宮産のレアメタルを外部のみならず、内部の半導体などにも惜しみなく使用しており、軽量にして頑丈。
それだけでなく、一個人の配信用機材としては明らかに過大な超高性能を実現しているのだ。
――抜群にして映えるビジュアル!
――巧みにして魅せる戦闘技術!
――固有スキルも含めたリスナーとの一体感!
全ての要素が……最&高!
トップクラスのソロ探索者であり、同じくトップクラスのダンジョン配信者としても知られる彼女の名は……!
「東京チカマチからこんにちは。ソロ探索者の一番星! 一ノ瀬莉々でーす!
リリちゃんは、今日もー?」
『かわいい!』
『かわいいー!』
『可愛い!』
『カワイイー!』
『kawaii!』
ひらがなだったり漢字交じりだったり、カタカナだったりローマ字だったりと、書き方に関しては様々。
だが、彼女――リリのかわいさを称えているのは、一様に同じ。
リリとリリーナイトの間で毎回交わされる定型のあいさつ……お約束であった。
なお、通常の場合は最初にこういったやり取りを経てから配信を開始するのが一般的であるが、彼女は時折、動画としてのインパクトを重視して、先ほどのような戦闘を入れてからあいさつしたりする。
ダンジョン配信者の世界は、まさに――戦国時代。
チャンネル登録者数は100万超え。すでに盤石な人気を誇る彼女であるが、まだまだ進化に対してどん欲ということだ。
「それじゃ、今日も元気に探索行と参りますかー」
『イクゾー!』
『デッデッデデデデ!』
『カーン!』
『デデデデ!』
不気味なほど統率されたネタコメントをするリリーナイトたちが、無形のお供となり……。
今日も今日とて、A級探索者にして超人気ダンジョン配信者――リリの探索行が始まった。
きっと、いつも通りにたっぷりの雑談と、迫力満点のバトルで彩られた配信になる。
リリーナイトたちも、配信する当のリリ自身も、そう信じて疑わないのであった。
……その時がくるまでは、だが。
お読み頂きありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、評価やブクマ、いいねなどをよろしくお願いします。