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第7話『二度目の整いと、夜風に揺れる次の予感』

しんと静まり返ったサウナ室に、私たちは再び足を踏み入れた。壁の温度計は変わらず90℃を指し示し、乾いた熱気が肌を包む。時刻ももう夜も更け、昼間の賑わいは遠い昔のことのようだ。常連らしき先客が二人、自分の世界に深く沈むように静かに座っている。


「どう? 少しは慣れたでしょ?」

今度は私の隣、下段に腰を下ろした陽子ちゃんが、にっこり笑って小声で尋ねてくる。私は小さく頷いた。

(うん、さっきより熱さが気持ちいいかも…? 息苦しさも、あまり感じない)

前回よりは、ほんの少しだけ心に余裕がある気がした。頭の上のキノコ(仮)も、心なしか安定しているように見える。


私のさらに隣には、音もなく小鳥遊 夢さんが座った。そして、有無を言わさぬジト目で、私の頭頂部をじーっと見つめてくる。ひぃっ! やっぱり見てる!

「…ヒカゲダケ(仮称)、環境適応能力が高いようだ。興味深い」

ボソッと呟かれた言葉に、私の心臓が跳ねる。

「え、夢ちゃん何かつぶやいた? 静香なんか育ててんの?」陽子ちゃんが不思議そうに聞くが、夢さんは「…独り言だ」とだけ返し、再び観察モードに入った。


(夢モノローグ:対象A、環境への順応速度、予測値を上回る。ヒカゲダケの形態変化も少ない。…私の身体も…発汗開始時間、短縮を確認。心拍上昇率も前回より緩やかだ。これは単なる慣れか、それとも『整い』体験による生理的変化か…? あの休憩時の感覚の再現性、注意深く観察する必要がある)


じっくりと時間が流れ、体中の毛穴から汗が玉となって噴き出す。熱い。でも、それが今はどこか心地よい。私は、前回よりも落ち着いて呼吸ができている自分に気づいていた。陽子ちゃんは瞑想しているかのように微動だにしない。

夢さんは…といえば、額にうっすらと汗が滲み始めているものの、表情は全く変わらない。ただ、そのジト目は、何かを計算するように細かく動いている。


再び陽子ちゃんの合図でサウナ室を出る。かけ湯で汗を流し、いざ2回目の水風呂へ。

今回は、私はほとんどためらうことなく、そっと水に身を沈めることができた。

「(冷たい! でも、大丈夫! この後が…!)」

前回よりも長く、多分30秒近くは入っていられたと思う。冷たさの中に確かな爽快感を感じ、小さな達成感が胸を満たす。頭のキノコも、冷水でシャキッと背筋を伸ばしたように見えた。


夢さんも、前回よりスムーズに水風呂に入った。水中で静かに息を吐き、何かを確かめるように目を閉じている。


(夢モノローグ:冷却時間30秒。身体反応、再現性を確認。…だが精神への影響は前回より顕著か? 思考ノイズ除去効果に加え、この…奇妙な『解放感』は何だ? 分析不能な因子が増えていく…ヒカゲダケはやはり活性化傾向。この菌類と『整う』現象の関連性は、ほぼ確定と断定していいだろう…)


「おっ、夢ちゃん、なんか水風呂の入り方サマになってきたじゃん!」

陽子ちゃんがニヤニヤしながら声をかけるが、夢さんはジト目で一瞥するだけだった。


そして、三度、休憩スペースへ。脱衣所の隅にある長椅子に腰を下ろす。開け放たれた窓からは、ひんやりとした春の夜風がそっと流れ込んできて、火照った肌を優しく撫でていく。深夜に近い時間帯のため、他の客はほとんどおらず、ただ静かな時間が流れていた。


私はゆっくりと目を閉じ、深呼吸した。すぐに、それはやってきた。前回よりも深く、穏やかに。

(あぁ……すごい……体が溶けていくみたい…頭の中が、どこまでも静かで、温かくて、キラキラした光で満たされてる……全部どうでもよくなって…ただただ、気持ちいい……)

全身の力が抜け、多幸感に包まれる。自然と頬が緩み、口元には自分でも気づかないうちに、ふんわりとした笑みが浮かんでいた。頭の上のキノコも、その感覚に呼応するように、満月のような柔らかく明るい光を、先ほどよりも強く放っている気がした。


「うわっ! 静香、めっちゃ整ってるじゃん! すごい、なんかキラキラしてるよ! キノコも!」

隣から陽子ちゃんの弾んだ、でも少しだけボリュームを抑えた声が聞こえた。ハッとして目を開けると、陽子ちゃんが目をキラキラさせて私(と私の頭)を見ている。

私はまだ整いの余韻でぽわぽわしていて、「…え? き、キラキラ…?」としか返せない。


その様子を、少し離れた壁際に体育座りで座っていた夢さんが、ジト目でじっと観察していた。彼女自身も、再び訪れた分析不能な心地よさ――「整い」の感覚に内心で激しく戸惑いながらも、目の前で繰り広げられる光景(明らかに輝きを増したキノコ、それに気づき嬉しそうにする陽子、完全に「整って」いる静香)から目が離せないようだった。


(夢モノローグ:…対象A及びヒカゲダケ、第1セット時よりも顕著な活性化・発光現象。対象Bもそれを明確に認識・指摘。興味深い相互作用だ。…そして、私自身のこの状態は…思考が停止…いや、クリアになりすぎているのか…? 分析できない。計測できない。この多幸感にも似た感覚は、科学的に説明可能なのか…? 認めたくないが、これが…『整う』……。非常に…非常に、興味深い…!)

クールな表情の裏で、彼女の知的好奇心と未知の感覚が、激しい火花を散らしているようだった。


心地よい静寂の中、私たちはしばし、それぞれの「整い」の余韻に浸っていた。

やがて、陽子ちゃんがゆっくりと目を開け、満足げにぐーっと伸びをした。

「ん~~~っ! 最高! 体力も全回復って感じ! いやー、今日のサウナも最高だったね!」

そして、私たちを見てニカッと笑う。

「よし、名残惜しいけど、今日はこの辺で上がろっか! 無理は禁物だしね!」


私は、まだ少し夢見心地だったが、陽子ちゃんの言葉に頷いた。心地よい疲労感と、満たされた気持ち。

「(うん…! もっと整いたい気もするけど…今日は、これで大満足…!)」

私は、自分でも驚くほど前向きな気持ちで立ち上がった。頭のキノコも、なんだか自信ありげにシャンとしているように見える。


夢さんも、静かに立ち上がった。まだ少しだけ、そのジト目の奥に戸惑いの色が残っているような気もしたが、その視線は、先ほどまでとは違う種類の熱量を帯びて、のキノコに向けられている気がした。


私たちは浴場を出て、脱衣所で手早く着替えを済ませた。夢さんは、スマホを取り出して、何やら熱心にメモを打ち込んでいる。

「ねぇ夢ちゃん、結局どうだった? 今日のサウナ!」陽子ちゃんが、期待を込めた目で尋ねる。

夢さんは、スマホから顔を上げずに答えた。

「……データは、取れた。…非常に、興味深い現象だということは、認めよう」

その声には、ほんのわずかに、以前にはなかった複雑な響きが含まれている…気がした。


「おっ! それってハマったってことじゃーん! やったね静香!」

陽子ちゃんが私の肩をバンと叩く。私は「えっ?」と戸惑うしかない。

「断定は尚早だ」夢さんは顔を上げて言った。「さらなる検証と、比較対象が必要となる。例えば…」

そこで夢さんは、ふと言葉を切ると、陽子ちゃんと私を交互に見た。

「例えば?」陽子ちゃんが身を乗り出す。


鶴亀湯を出ると、ひんやりとした春の夜風が火照った頬に心地よかった。見上げれば、湯乃川市の空には、思ったよりもたくさんの星が瞬いている。3人で並んで、静かな夜道を歩き出す。さっきまでのサウナ室の熱気が嘘のように、世界は穏やかだった。


「例えばね」陽子ちゃんが、少し歩いて落ち着いたタイミングで、でも目をキラキラさせながら言った。「次はさ、鶴亀湯さんとは全然タイプが違うんだけど、すっごく面白いサウナ、行ってみない? 市内にあるスーパー銭湯なんだけどね、オートロウリュとか、めっちゃ広い外気浴スペースとかあって、また別の『整い』が体験できるんだよ!」


陽子ちゃんの新たな提案が、静かな夜道に響いた。

私と、そしてたぶん夢さんも、その言葉に、次なる冒険(あるいは研究?)の始まりを予感せずにはいられなかった。

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