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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界転移したので幼馴染を優等生から開放しようと思う。

作者: 露月やか


「あの……」


 職員室に入ると、担任の朝倉先生がこちらに駆け寄ってきた。学校の女子に人気の、イケメン爽やか先生である。

 

「おっ、五十嵐。補修課題は終わったか?」


「はい……採点お願いします」


「おし!」


 朝倉先生は、ポケットから赤ペンを取り出し、補修課題のプリントの採点を始めた。ペン先が紙を擦る、シュッという音に、なんだかドキドキしてくる。


「五十点以上ならオーケー。五十点未満だったら、明日も居残りね〜」


 ううむ、それは嫌だな。ここでちょっと小芝居を。


「グスン……。部長が病に倒れて……今、部活動が大変で……」


「病じゃなくて骨折な。しかもお前ンとこの部長、部活来てるしな。ピンピンしてるぞ」


「……」




 俺は、十七年という年月を過ごしてきて、人生には最高が連続で訪れる時期と、最悪が連続で訪れる時期が存在する……と、思っている。例えば、今、俺は最悪が連続で訪れる時期”最悪スパイラル”のど真ん中にいる。


 例えば、今日は数学の小テストがあった。それだけでも最悪だが、なんと俺は、家に数学の教科書を忘れてきてしまったのである。それに気付いたのは一限目の三分前。数学の小テストは一限目。終わっている。最悪だ。しかも、昨日は帰宅早々、気絶するように爆睡。無論、ノー勉。どこが範囲なのかも覚えていない。最悪だ。文明の利器に頼ろうと、スマホを取り出し、落胆。スマホの充電は、一パーセントだった。なぜなら昨日はスマホを充電しないまま、()()()()()()()寝たからである。いやはや、見事な伏線回収。最悪だ。


 結果、俺は小テストで赤点を取り、放課後居残りで課題提出をする羽目になった。誰もいない教室でカリカリ課題を解き、担任に提出。そして今になる。最悪だ。でも、不幸中の幸いか、課題が小テストより簡単だった。最悪スパイラルもこれまでか。いくら俺がバカでも、いくら俺がノー勉でも、あの簡単課題プリント、流石に五十点は超え……。


「十三点。五十嵐、十三点だ」


 爽やかな笑顔が、胸に突き刺さる。


「五十嵐。明日も居残りな」


「……」


 俺は撃沈した。最悪スパイラルは明けそうにない。


   ◇   ◇   ◇


 ほとんどペケのプリントを握りしめ、誰もいない廊下を歩いていく。もう日が暮れて、幽霊が出そうなほどに暗くなった学校は、流石にちょっと怖い。さっさと帰ろうと足早に教室へ向かい、ガラガラと扉を開ける。しかし、そこにある人影に、思わず息を呑んだ。


「……加藤、なにしてんの」


 二年四組の教室の奥、クラスメイトの加藤ミナがぽつんと一人、席に座っていた。無我夢中で何かをしていたが、俺がいることに気付き、大きな瞳をこちらに向ける。


「日誌書いてんの」


「ああ、お前、今日日直だっけ」


「うん」


「……でも、あれ? 金木、日誌書いたって言ってたけど」


「うん、二行だけね」


 ほら、という風に、こちらに掲げられた日誌を、覗き込む。日誌というのは面倒なもので、月日、曜日と天気、時間割の他にも、”今日あったこと”を書かなくてはいけない。”今日書いたこと”の欄には、金木がやっつけ仕事で書いたと思われるヘニョヘニョの文字が、少し。その下には、細かくきれいな文字が、ずらりと並んでいる。


「日誌は三十行ある。八割の二十四行分は書き込まないと、提出したくない」


 加藤は真顔でそう言って、再び日誌の空白を埋め始めた。俺はふと、教室の時計を見る。あと五分で、午後七時だった。


「……お前、そんなことのためにこんな時間まで居残りしてんの?」


「部活終わってから書き始めたから、遅くなったの。でも後でどうこう言われたくないし」


「朝倉先生は、どうこう言わないと思うけど」


「どうこう言われなくても、無意識下で好感度下がる。高校生活や大学受験に支障が出たら嫌だし、日誌を書く程度のことも真面目に取り組めない人間だって思われたくない」


「……」


 加藤ミナ。

 その女は、バカがつくほど真面目な奴だった。


 小中高と同じ学校で、腐れ縁なのかわからないが、クラスもたいてい同じ。高校二年生の今も、同じクラス。だから彼女のウザさ加減は、不本意だが熟知している。漫画や小説に出てくる優等生キャラを、より濃い〜くした感じの優等生。敵に回すと、学校の先生より面倒くさいタイプだ。


「……お前、そんな風に生きてて楽しいか?」


「!」


 ふと口をついて出てしまった言葉に、加藤の筆が止まる。


「アンタには関係ない。迷惑もかけてない。私の経験上、これが一番いい生き方。ケチつけないでよ」


「ケチはつけてねーだろ。ただ、俺なら息詰まる。そんなバカ真面目に生きてたら」


「……うるさいなぁ。補修終わったならさっさと帰りなよ」


 加藤はカチカチとシャーペンの芯を出しながら、大袈裟なくらいのため息を吐いた。イラついているのが見てわかる。触れると火傷するやつだ。


「ホドホドにしておけってこと。じゃ」


 俺は踵を返し、教室の扉を開け……。


 ーーガチャ……


 教室の扉を開け……開け……。


 ーーガチャ、ガチャ……



 俺の思考は停止した。

 鍵を開けたり閉めたりするが、やっぱり開かない。

 嫌な予感がする。

 俺は加藤に、早口に言った。


「扉、開かないんだけど」


「……は?」


 あれほど机にかじりついていた加藤が、勢いよく立ち上がる。焦るのもわかる。誰もいない(まあ正確には二人だが)静かな学校に取り残されるなんて、嫌だし。


「どいて」


「ん」


 足早にこちらに来て、加藤も俺と同じように、扉を開けようとする。が、しかし、全く開く気配がない。加藤の絶望が空気に染み出し、俺の肺へと流れ込む。その空気が不味いこと不味いこと。


「五十嵐、そっち引っ張って。私がこっち押すから」


 何を思ったか、加藤が共同作業を願い出てきた。それだけでも、彼女の焦りが手に取るように分かる。しかし、一人や二人人数が増えれば開く……というものでもない気がする。

 まあ、やれることはやって……。




 ーーガシャン!!




 次の瞬間、さっきまでびくともしなかった扉が、大きな音を立てて外れた。しかし、その先にあったのは、廊下ではなかった。そこにあるのは、ただ、真っ白な世界。何もない、真っ白な世界だった。


 訳が分からず呆然としているうちに、なんだか意識が朦朧としてきて……俺は静かに、瞳を閉じた。


   ◇   ◇   ◇






「五十嵐タク。起きなさい」





 突然、謎の声が、俺の鼓膜を揺らした。

 淡々としていて、しかし温かみのある声。

 静かに目を開き、始めに視界に入ってきたその女性は、水晶のような透き通った瞳をこちらに向け、優しく微笑んだ。怖くなって飛び起き、辺りを見渡して、再び怖くなる。どこまでもまっさらなその純白の世界は、どう考えても現実世界じゃない。と、すれば……。


「え。え、え、え!? 俺死にましたか? 死因はっ?」


「落ち着きなさい、五十嵐タク。ここは貴方の教室と異世界との境界線に位置する虚空の世界。貴方は死んでいないわ」


「いっ、異世界? 俺がっ?」


 やけに冷静な目の前の美女を、じいっと見つめて考える。異世界、異世界……異世界。死んでないけど異世界に行く……ってことは……。


「もしや、異世界転移ってやつですか?」


「ええ。異世界転移ってやつよ。これから貴方は、魔物が蔓延る混沌とした世界に飛ばされる。魔王を打ち倒し、その世界に平和をもたらすのが……貴方の大切な任務の一つ」


 美女のその言葉に、熱がブワッと頭に上る。


「うっそ。マジ? 夢? じゃあ、勇者パーティー作って、魔王を倒す……みたいな? 俺つえーですか?  ハーレムなっちゃう? いやあ、信じられない! 俺、異世界転生モノとか大好きなんですよ! えへへへ、やべ嬉しいっす」


「……わかったから。落ち着いて。あ、そこの剣をお持ちなさい。魔王討伐に必要だから」


 美女が指差す方にはっと視線を移し、思わず叫ぶ。


「はあぁ! かっけー!」


 足元に刺さっていたその剣は、”漆黒”と言っても過言ではないほどに真っ黒な片手剣。周りが真っ白いせいで余計にその黒さが目立つ。これは……厨二心をくすぐられる。俺は興奮しながら、その剣を引っこ抜いた。


「五十嵐タク」


 美女に呼びかけられ、ん? と首を傾げる。


「その剣は、()()()()では成り立っていない」


「……?」


「だから、頼んだわよ……」


 美女は意味深にそう言って、俺の目の上に艷やかな手のひらを乗せる。アイマスクを着けたような、安心感と穏やかさ。俺がそれから深い眠りに落ちるまで、あまり時間はかからなかった。


   ◇   ◇   ◇




 ーーイガ


 いが? いがって、なんだろう。




 ーーイガッ


 イガイガうるさいな。喉がイガイガしてんのか。




 ーーイガラ


 いがら? いがら………いがら……?




「五十嵐っ! 起きて!」


 聞き馴染みのあるその叫び声に、はっと起き上がる。なにごとかと辺りを見渡してすぐ、その声の主が加藤であることに気がついた。


 が、しかし、逆に言えばそれ以外、何もわからない。当たり一面、木、木、木、もう木しかない。

 ついさっきまで教室にいて……いや、その後に廊下に……いや、もっと直近は謎の白い世界にいたか。今度は森か林か山の中か、なんでよりにもよって……と、ぐるぐる頭の中で考えているうち、ふと、白い世界で出会った美女の言葉を思い出した。


 ”異世界転移ってやつよ。これから貴方は、魔物が蔓延る混沌とした世界に飛ばされる。魔王を打ち倒し、その世界に平和をもたらすのが……”


「……あ、ここ、異世界か」


 俺のつぶやきに、加藤が緊迫した表情になる。


「イセカイ? なんでそんな所にいるの? 夢? いや、私の夢に五十嵐なんかがいるわけないか」


「どういう意味だよ」


「ていうか、私、教室のドア壊しちゃったかも。どうしよう。弁償できるかな。もし許してもらえなかったら、最悪停学とか……。でも、こんな世界来ちゃって、まるで逃げたみたいになって、そしたら……」


「分かった、加藤、分かったから。一回落ち着け」


 若干パニックになっている加藤をなだめつつ、俺は真剣な眼差しで、彼女に言う。


「これは……異世界転移だ」


「イセカイテンイ? なにそれ?」


「え、知らない? 異世界で人生一から始めたり、魔王討伐したりするやつ。ラノベとかで読んだこと無い?」


「らのべ? らのべってのも知らない。なに?」


「ラノベってのはライトノベルの略称」


「ライトノベル……ね。隣の席の山口くんが授業中に読んでた可愛い女の子が表紙の本だ。没収したけど」


「そんなの、なんでお前が没収するんだよ。知らんふりしときゃいいのに」


 話しながら、薄々気付き始める。

 加藤ミナ、異世界モノの知識ゼロ説。

 いや、なんならゲームとかもやってなさそうだし、ファンタジー全般のことを知らない可能性が高い。


「で、イセカイテンイってなに?」


「異世界に、何らかの原因によって飛ばされちゃうこと。さっき女神さまっぽい人と会わなかったか?」


「……女神さま? 会ってないけど」


 キョトンとしている加藤に、俺もキョトンとする。


「え。じゃあ俺だけ会ったってことか……?」


「……あ、でも、これがいつの間にか」


 加藤は背負っていた、一本の剣を見せてくる。それは、俺の剣とは対照的な純白の剣だった。しかし形が、俺のものとそっくりである。


「……! 剣じゃん。女神さまに渡されなかったのか?」


「いや、いつの間にかっていうかんじ……」


 いつの間にか……?

 よく分からず、ウーンと首を傾げた、その時。



 ーーぷよん




「「!」」


 その軽快な音に、俺たちは後ろを振り向く。すぐ背後に、ぴょんぴょん跳ねる青い生き物がいた。

 まるで町中でプライベートの芸能人を見かけたときのような、妙な興奮に襲われる。本物だ。本物の……。


「……スライム! よっしゃ! この剣で一斬りだな。おし!」


 俺は漆黒の剣を手に、意気揚々と一歩前へ進む。


「え、いいの?」


 加藤の不安な声。ファンタジー初心者だ、きっと怖くて仕方ないんだろう。ちょっとベタなセリフ言っちゃおうかな、と後ろを振り返る。


「ここは俺に任せとけ」


 俺の精一杯の決め顔が、刺さってるんだか刺さってないんだか。加藤は目を大きく見開いたまましばらく硬直していたが、次の瞬間、ブンブン頭を横に振り始めた。


「いやいや、そうじゃなくて」


「ん?」


「ソイツ、倒しちゃっていいの?」


「んん?」


「倒すって殺すってことでしょ? そんなことしちゃっていいの?」


「んんん〜!?」




 嘘だろ……加藤……!

 ()()()の心配!?


 叫びそうになるのを精一杯に堪える。しかし我慢ならずに、膝から崩れ落ちる。


 そこは……「五十嵐! 見直したわ!」って言ったり、キュン! ってしちゃったりするような場面じゃないのかあ!? そうやって、なんだかんだあって、なんか恋仲になっちゃうアレじゃないのかあ!?


 顔()()は可愛いし、漫画とかに出てきたら多分ヒロイン格だし、二人きりで異世界転移しちゃうし……フラグはこれでもかというくらい立っているのに。この現実離れした世界でも、加藤、優等生なのか? バカ真面目幼なじみ加藤ミナは異世界転移先でも優等生を貫こうとする……のか!?


 スライムに攻撃されてもいないのにかなりのダメージを負った俺は、地面の上でぺたりと座り込みながら、”バカマジメ・カトウ”を見上げる。とりあえず、説得しなくては。


「スライムだぞ? 今にも襲いかかってきそうな、スライムだぞ?」


「……」


「加藤ぅ……」


 コイツ、絶対に異世界転移しちゃ駄目なタイプだ。でも転移しちゃってる時点で、加藤がこの世界に慣れるしか無い。

 それまでは、俺が、どうにか……。


「俺は倒すぞ、このスライム」


 手にした剣を握り直す。いかにも勇者が持っていそうなカッコいい剣だ。スライムなんてイチコロだろう。俺は背中越しに、加藤に呼びかける。


「なあ加藤。異世界で、魔物が出てきて。話が通じそうなら、仲間にするパターンもあるけど、でも目の前のコイツ、どう考えても違うだろ? 殺気立ってる」


 スライムと向かい合いながら、ゆっくりと立ち上がる。ヤツの目は真っ赤に染まっていて、なんかおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。一緒に旅できるような、可愛い系、話し分かる系スライムじゃない。倒さないとヤバい系スライムだ。


「加藤は手を出すな。俺が倒す」


「……ん」


 加藤が静かに頷くのを見て、剣を握る右手に力をこめる。


 なんでこうなったか。

 もっと、テンプレ系異世界転移が良かったのに。

 これから出会うであろう強い魔物を倒して、パーティー内の女の子たちにチヤホヤされて、ハーレム展開になって。それだけで、良かったのに。


 なんで、こうなるんだろう。


 こうなるくらいなら、異世界なんか、来なくても……。





「ふんっ……!」





 意外に重いその剣を振りかぶり、スライムの頭に剣先を当てる。スライムを倒すだけでこんなに時間がかかるとは。

 でも、これできっと……。




「……あれ?」




 ーーぷよん、ぷよん




 当てた。

 剣先は、しっかり当てた。

 バシッと音が出るくらいには。

 でも、なぜかピンピンしてる。

 いや、ピンピンというよりぴょんぴょんというか、なんというか。


「てい!」


 俺はもう一発、スライムを斬りつける。しかし、倒れない。


「やっ!」


 もう一発。しかし、やっぱりぴょんぴょんしている。


「倒せない? なんで……」


 スライムはファンタジーの魔物の中でかなり弱い部類だったはず。魔王を倒せるようなこの剣で、倒せないなんてことがあるはずは……。




 ーーその剣は、()()()()では成り立っていない。




 ふとフラッシュバックした、美女の意味深な言葉。


 もしかして。

 もしかして、もしかして!?


 俺はちらと加藤が持っていた剣を見る。


 やけに見た目がそっくりだとは思ったけど、もしかして……加藤の剣と俺の剣、”二つで一つ”みたいなことだったり、するのか……?


 俺はごくりと固唾を呑む。


「か、加藤」


「……?」


「もしかしたら、()()()じゃないと……倒せないかも?」


「……え、一緒にって、私が、この剣を使ってって……こと?」


 ”ここは俺に任せとけ”

 ”俺は倒すぞ、このスライム”

 ”加藤は手を出すな。俺が倒す”


 数々の俺の恥ずかしすぎるキザセリフが、今この瞬間から黒歴史へと変わっていく。あんなこと言った手前で、”一緒にじゃないと”とか……。すっげーカッコ悪いし、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。


「……わ、分かった」


 加藤は、渋々に剣を構えてくれた。でも、それがあくまで空気を読んだ結果であることは、見て取れる。その手は、小刻みに震えていた。


「加藤……」


 こんなはずじゃなかった。

 それは、加藤も同じなんだろう。

 いや、俺よりもずっと純粋な意味で、こんなはずじゃなかったと、思っていることだろう。腐れ縁過ぎて、もはや幼なじみと化している加藤ミナのこれまでを、俺はよく知っている。嫌なくらいに、知っている。だから、彼女が今抱えているであろう恐怖が、いかに大きなものかも、分かる。


「加藤」


「?」


「一回、逃げるぞ」


「……!」


 俺は咄嗟に、加藤の手を取り、走った。スライム相手に、全速力で逃げた。


 彼女に、無理やりこんなこと、させてはいけない。

 加藤ミナの、古傷えぐるようなことを、俺がしてはいけない。


 それは、スライム前に逃げ出す恥とは天秤の掛けようがないほどに大切なことだと、今の俺には思えた。


   ◇   ◇   ◇


 森を抜けた先にあったのは、広大な丘だった。足元には多くの村や町が広がり、その中央に、天まで届きそうな高さの城がある。すごく、美しい景色だった。


「ごめん」


 隣で縮こまっていた加藤が、ふと、小さな声でつぶやいた。


「なんだよ、急に謝るなんて。きもちわりーな」


「私と一緒じゃなかったら、あのぷにぷに倒せてたじゃん。ごめん。足引っ張って」


「加藤……」


 加藤ミナ。

 その女は、バカがつくほど真面目な奴だった。

 ただし、昔からこうだったわけじゃない。”バカマジメ・カトウ”は、中学一年生の春に誕生した。その前の彼女は、優等生とは真逆の人間。俺から見ても問題児。昔の俺が見たからこそ、かもしれないが。


 いずれにしろ、加藤にとってそれは恐らく、消し去りたい過去だろう。


 今の俺なら、あの頃の彼女の葛藤を理解してやれたかもしれない……なんて思う。なんというか、あの頃の加藤は、自分の中の正しさというものを履き違えて理解していた。そんな気がする。




「いつもこうだ」





 加藤はうつむきながら語る。


「いつも、何をするにも臆病で、失敗している自分ばかり想像して。なんにも出来ない。なんにも、したくない。もう誰にも迷惑かけたくない……」


 一呼吸おき、彼女はハッキリと言った。


「完璧に、生きていたい」


 加藤の瞳は真っ直ぐで、でも、どこか迷いがあるようにも見えた。


「……完璧かぁ。俺から見たら、お前は充分、完璧に生きてると思うけどな。なんでそんなに臆病になってるのか、わかんないくらいだ」


「どこが完璧なのよ……?」


 加藤は睨みつけるようにこちらを見て、大きくため息を吐いた。


「毎日、まいにち、夜になると昔の失敗を思い出す。誰かの心に傷をつけちゃった。誰かの人生を変えてしまった。ぜんぶ、ゼロからやり直したい。そうしたら、あのとき、違う選択が出来たのに……って。そんなこと、出来ないのに」


「……前を見過ぎて杞憂して病んだり、後ろ見すぎて後悔して病んだり、忙しいな。俺は後悔しかしないよ。杞憂はしない。だから俺は、異世界モノに憧れる」


「……どういうこと?」


 加藤に問われ、俺は自分の頭の中に描く理想を噛み砕きながら、話す。


「例えばさ、異世界転生すると全部ゼロからやり直せるんだよ。しかも前世の記憶があるから、前と違う選択ができたりする。環境やパターンの違いはあれど、今度こそ後悔のない人生を! って生きれるわけ。杞憂してる暇なんて無い」


「へえ! ああ、そういうこと! それ、いいなぁ。異世界転移より異世界転生のが良かったかも」


「ん〜。そうか? 実際に経験するなら俺は、異世界転移のほうがいい」


 加藤は目を丸くして、首を傾げた。


「……なんで?」


「現実世界では出来ないようなことやって、失敗しても、現実世界には一切影響しない。なんなら教訓になって、現実世界で活かせる。だからさ……」


 言おうとして、しかし口を閉じた。


 加藤は変わった。

 変わった彼女に、こんなことを言っても良いのか、迷う。


 でも……()()()()として、どうしても言いたい。


「……加藤は、この世界で臆病になんか、なんなくていいんじゃないか?」


「え……?」


「だってさ、現実世界からの知り合いは、俺だけだろ。お前が失敗ばっかりしても、俺しか見てないんだよ? 俺なんかになに思われても、なんとも思わないだろ?」


 加藤は、ぽかんとしていた。口を開いて、でもすぐ閉じて。魚みたいに。なんも言い返してこない。返事が来ない。


 弱った。こんなシンミリしたくない。とすれば……茶化そうかな。俺もう優等生じゃないし。


 俺はニヤけながら、加藤の顔を覗き込んだ。


「……え、思っちゃうの? もしかして俺の好感度も重要だったりする? ハーレム展開も夢じゃなかったり……」


 加藤の目の色がハッキリと変わるところを、俺は見た。


「きも。ハーレム? なんないなんない。アンタのどこにモテ要素があんのよ。永遠厨二病ズボラーDK(男子高校生)じゃん」


「ゴロが良すぎて刺し傷があんまり疼かないぞ……」


「反論の仕様もないほどその通りだからウズカナイんでしょ」


 加藤がジト目で俺を見てきた、その時……。



「ギャウルウゥ……」


 

 その声は、突然に聞こえた。

 はっと後ろを振り返り、思わず後退りする。


「ゴブリン……」


 スライムを倒してないのに、ゴブリンが来た。本当にこの世界は、魔物が蔓延る混沌とした世界なのだろう。魔王を倒せば、なにか変わるのだろうか。


 そんなことをぼやっと考えている俺に、加藤が訊いてきた。


「ご、ごぶりん? 強いの?」


「強くは……ない。強くは……ないけど……」


 スライムでさえ、俺の剣だけでは倒せなかった。ゴブリンも、恐らく……。


「私でも……倒せるくらい?」


「……え?」


 加藤の、思ってもみなかったその言葉に、あっけにとられる。そんな俺の横で、加藤はよいしょと立ち上がり、木の幹に立てかけていた白い剣を手にした。


「やってみる。アンタは、私の過去の失敗、いっぱい知ってる。私がほんとは、優等生じゃないことも、知ってる。だから……やる」


「加藤……」


「アンタに嫌われても、無傷だもん! アンタだって、私になに言われても、なんとも思わないでしょ」


「それは……ううぅん」


 俺は首を傾げそうになりつつも、一応うん、と頷いて見せる。微妙な返答に、加藤は目をパチクリさせた。


「え……思うの!?」


「いやぁ、思う、思わな、思う……思わないっ!」


「曖昧過ぎでしょ」


 自分でも、思わないんだか、思わなくないんだか、好きなのか、好きじゃないのか、よくわかんなくなって混乱する俺に、加藤が少し呆れながら、小声で言い放った。


「勝手に傷つかないでくれる? 本気で嫌ってたら私、アンタに素なんか見せないから」


 一瞬、思考が停止する。

 え、これ告白?

 そういう意味じゃないだろう、と思う反面、いやそういう意味に違いない、と思ってしまう自分が……。


「……加藤、俺のこと嫌いじゃないってこと?」


「……」


「……?」


「い、今は、まあ、どうでもいいでしょ。とりあえず、ごぶりんとかいうのをどうにか……」


 話を逸らされた。

 しかし、ゴブリン前に話すことではないのは確かである。


「じゃあ加藤、とりあえず同時に斬りかかるぞ?」


「同時ね?」


「うん。やって駄目なら別の策」


 俺は腰につけた黒の剣を、ゴブリンを前に、ぎゅっと握りしめた。ゲームではザクザク斬り倒していたゴブリンも、こうして見ると少し強そうだ。ゆっくりと空気を肺いっぱいに吸い込み、声と共に一気に吐き出す。


「加藤、行くぞ!」


「……うん!」


 俺は彼女と呼吸を合わせ、剣を大きく振りかぶった。

最後までご覧いただきありがとうございます。もし少しでも面白いと感じて頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を押して評価してくださると嬉しいです。

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