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酒涙雨

七夕の夜に降る雨を酒涙雨といいます。それをテーマにした物語です。

400字詰め原稿用紙20枚換算

 僕が帰郷を決めたのは、一か月前のことだった。

 しとしとと五月雨の降る六月初め、職場の上司から急な出張を命じられた。雨の多いこの時期の出張はなんとなく気分が重かったけれど、出張先をみてそんな気分も晴れていった。そこは偶然、僕が生まれ育った故郷の近くで、そこを離れてから、かれこれ十年が経っていた。出張日はちょうど地元では七夕祭りの時期だ。地元の友達ともご無沙汰しているし、出張のあと少し有給休暇をとって、地元入りしてみようかと考えた。


 七月に入り、そのときが訪れた。東京行きの特急電車を下車してから、ローカル線を二度乗り換えて故郷へと向かうことになる。出張先のホテルを出たのは早朝だったけれども、故郷へ向かう電車に乗り継ぐ頃には、昼時をゆうに回っており、腹の虫が大声で僕に文句をいい始めた。その声に負けて売店で牛タン弁当とお茶を買ってからホームへ向かうと、二両編成の懐かしい車両が僕を待っていてくれていた。一両目の後部ドアから乗車して整理券をとってから席につく。車内には運転席の車掌一人の他は誰一人乗客はおらず、どこでも自由に座ることができた。しばらくして、さらに二・三人、他の客が乗車してきたけれど、彼らはみな知り合いらしく、離れたところにかたまって席をとり、懐かしい方言を交えながら談笑し始めた。自分たちの大声を気にしてか、ふいに彼らの一人と目が合った。とりあえず会釈をしあったけれど、相手もまた気まずかったらしく、それ以降会話がすすむことはなかった。

 定刻になり、車掌のアナウンスが流れ、電車は出発した。ここからさらに一時間は揺られていくことになる。以前ならそれは当たり前の時間だったけど、東京に慣れてしまうといささか冗長で退屈に感じてしまう。時間を持て余して、先ほど買った駅弁に手をつけることにした。弁当をほおばりながら窓の外を流れていく景色を見ているうちに、徐々に昔の思い出が呼び覚まされてくる。電車が短いトンネルを抜けたとき、白くてふわふわとしたカスミソウの花が僕の目に飛び込んできた。そしてその風景がさらにいっそう鮮やかに僕の記憶をよみがえらせた。


 あれは十年前の七月七日、七夕祭りの夜のことだ。僕が暮らしていた村では八月に開催するお盆祭りのほかに、七月には七夕祭りがおこなわれる。本家の七夕祭りとは比較にならない小さな催しだけれど、夏の二大行事としてずっと古くからとりおこなわれていた。高校三年生の夏、幼なじみの祐子と駅で待ち合わせをして祭り会場の神社へと向かった。紫陽花模様の浴衣をまとった祐子は清楚でかわいらしく、出会いがしら僕は言葉を失ってしまった。浴衣の胸もとには、くる途中で摘んできたのだろう、祐子の好きな花のカスミソウが飾られ、いっそう彼女を魅力的に映えさせた。商店街には七夕祭りの象徴ともいえる吹き流しや七夕飾りが飾られ、浴衣を着た祐子が少女のようにその合間をはしゃぎまわる姿に僕の視線は釘付けになった。

 会場で、クレープやたこ焼きをほおばり、祭りを楽しんでいると、ひゅう、どどんと、花火の打ち上がる音が周囲に鳴りひびいた。

「もっと上のほうまでいって、みてみようよ。きっときれいだよ」

 祐子に誘われるままに神社の境内の階段をかけ上がって高台に移動した。ここまでくると屋台もなく、祭り客もまばらにしかいなくなる。静かに花火をみるのであれば最高の場所だろう。心穏やかに、ぼんやり花火を鑑賞していると、祐子がまたもや「ちょっときて」と僕の袖をひく。今度はなんだ? 連れてこられたところは、神社の奥まったところにそそり立つご神木の前だった。樹齢七百年ともいわれる立派なスギの木だ。

「ねえ、拓人。ちょっとだけ、わたしに付き合ってくれない?」

 この時点ですでにかなり振り回されていたのだけれど、とりあえずもうちょっと付き合ってみることにした。祐子は僕をご神木の背面に連れてきた。そして、紙垂に沿ってぐるりと正面までまわってきて欲しいと懇願する。たいしたことでもないのでかるい気持ちで引き受け、くるりとご神木の正面に移動した。するとそこには、すでに逆回りに回ってきていた祐子がちょこんと一人で待っていた。

「祐子、これ、なんのゲーム?」

「……やったあ! 拓人、ありがとう。十年後もまた、ここで会おうね。絶対だよ!」

 満面の笑みでそう返す祐子。意味もわからず呆然としている僕を尻目に、祐子は花火をみに、ぴゅうとかけ去ってしまう。偶然その場面をみられてしまったクラスメートの女子から後々散々冷やかされることになったのだけれど、これは女子たちだけの間で流行っている「柱まわり」というおまじないで、男女がご神木のまわりを回って、出会いがしらに男性から声をかけられると恋人同士になれるというものらしい。この神社でまつられている神様にちなんだものらしいんだけど、神社の正式な神儀でもなんでもないので、そんなこと、さすがに僕も知らない。さらにこのおまじないには続きがあって、「柱まわり」のあと十年後に再びご神木の前で出会うと、さらに深い関係になるってオマケがついてくる。いや、さすがにそこまでくると、おまじないというより、見えない鎖をガチャリとはめられる儀式のように思えてくる。

 その後、突然大雨がざあざあと降りだして祭りはお開きとなった。ご神木の下で雨宿りしていると、祐子がぽつりとつぶやく。

「これじゃあ、二人とも会えないよねえ」

「二人って誰?」

「そりゃ、もちろん織姫と彦星のことだよ。きまってんでしょ」

「だったら、雲の上で普通に会ってんじゃない? だって星なんだし」

「もう、拓人はロマンチックじゃないなあ。七夕の夜にふる雨のことを酒涙雨さいるいうっていうんだって。雨で会えなくなった織姫と彦星が流す涙が地上に落ちてきてるんだってよ」

「ふうん、だったらなおさら、会えてるといいね。雲の上で」

「うん、まあ、確かにそうだねえ」

 そんなようなことをとりとめもなく話しているうちに雨はやみ、七夕祭りの夜は終わった。まさかこれが僕にとってのこの村での最後の七夕祭りになるなんて、そのときは思ってもみなかった。

 二学期に入って父親の急な転勤が決まり、家族みなで東京に引っ越しをすることになった。両親ともにこの村の出身でなく、父の転勤に伴って移住したので村には親戚もおらず、守る墓もない。さらには東京のほうが僕にとっても良い就職先がある、との父の判断で、僕の高校卒業を待って東京へむかうことになった。そのこと聞いて祐子は悲しんだけれど「必ずまた十年後に会おうね」と二人で約束して別れた。

 暮らす場所は離れても、その後しばらくの間、僕たちは連絡をとりあっていた。当時、村は携帯電話の電波も届かないほどの田舎だったから、その時の連絡手段は固定電話か手紙ぐらいしかない。そのあたりの不便さに加え、お互いの忙しさもあって、すれ違いの日々が続いた。電話をかけあう回数も徐々に減り、会話できたとしても祐子はうわの空といった感じで、そしてある時期を境にぱったりと祐子からの電話はこなくなった。こちらからかけても不在通知ばかりで、留守電記録を残しても返信はまったくもどってこない。祐子にいい相手ができたのかもしれない。かならずしもそれだけがすべての理由ではなかったけれども、そう考えて、僕はそれ以上彼女を追いかけることをやめてしまった。


 「……駅、まもなく到着いたします。お降りの方はご準備下さい」

 そんな昔話を思い返しているうちにアナウンスがかかり、目的の駅へと到着した。久々の駅、久々の空気、久々の風の音、久々の香り。全てが懐かしかった。忘れていた数々の思い出がせきを切った様にあふれ出してきて胸が熱くなった。

 改札口に向かうと、のそりと奥の駅員室から駅員があらわれ、無言で運賃箱の電源スイッチをいれた。僕がここで暮らしてたときには運賃箱なんてなかったはずだ。以前とは勝手が違い、少々うろたえながら運賃箱に整理券と運賃を入れた。駅員は上目遣いに僕の顔をながめ、一呼吸、間をおいてから思い出したように僕に話し始めた。

「ああ、誰かと思ったら、拓人君かい。いやあ、久々だねえ、すっかり見違えたよ。立派になって、すっかり社会人って感じだよ。で今日はどうしたってんだい?」

 駅員の田中さんだ。小さな村だし、どうしたって電車は利用するから、村人全員が田中さんとは顔見知りになる。それにしても、この人がまだこの駅で仕事をしているなんて驚きだ。僕が子供の頃から駅員をしているから、三十年近くここで仕事をしていることになる。

「お久しぶりです。たまたま、仕事で近くまできたもんで」

「おお、そうかい、そうかい。それは嬉しいねえ。十年にもなるかなあ、お前さんがここ、出てってから」

「田中さんはお変わりありませんね」

「いやいや、そんなことないよ、すっかり俺も爺さんさ。それにこの村だって変わっちまったさ。みぃんな若いもんは都会に出て行っちまったし、残ってんのは俺らみたいな年寄りばかり。変わってないのは、この古ぼけた駅だけだよ。じきに俺だって、お払い箱だろうしな」

 運賃箱をなでながらさみしげにそう語る田中さんに挨拶を済ますと、手を振って駅を離れた。


 今日は七月七日、七夕祭りの日のはずだ。祭りにいけば、誰かしら知り合いに会えるだろう。昔なじみだし、頼めば、今晩は家に泊めてもらえるかもしれない。それに今日はちょうど祐子と「柱まわり」をして十年目になる。別に避ける必要なんてない。もし彼女に出会っても、「よう、元気だった?」なんて余裕な表情で何事もなかったかのように話せば良いだけだ。祐子だってきっとそうするに違いない。そう考えて、毎年七夕祭りが開かれる神社へと足をすすめた。

 田中さんがいうように、村は以前よりもさびれていて、商店街の店もほとんど閉じてしまっている。小さな村だからもともとそれほど華やかではなかったけれど、それだって七夕祭りの日は活気ついていたものだった。それが今では七夕飾り一つ飾られず、ひっそりと静まりかえっている。

 記憶を頼りに三十分ほど歩くと、目的の神社にたどりついた。けれども祭りは開催されていない。神社の境内に入るも、中にもひとっこ一人いない。建物も境内もきちんと手入れされていて、この神社が閉じてしまったわけではなさそうだ。それなのに村の一大行事の七夕祭りが開かれていないことは理解できない。階段を上がって高台に移動する。例の「柱まわり」をしたご神木が立っている場所だ。決してそこに誰かがいてくれることを期待してではない。自分の記憶が幻でなかったことを確認したかったからだ。そして、そこにご神木は立っていた。それだけのことで、僕には十分嬉しかった。


 「拓人さんですね?」

 ご神木のそばでぼうっとしながら立っていると、僕を呼ぶ声がした。

 ご神木の影からあらわれたのは昔のままの姿の祐子だった。真白のワンピースに麦わら帽子。祐子のお気に入りのファッション。笑うとできる丸えくぼ。まるで当時のアルバムの写真から、すっと抜け出てきたかのようだった。祐子だろうか。いいや、そんなわけがない、あれから十年も経っているんだ。僕だって少しは変わったというのに、祐子だけが時が止まったかのように変わらずにいられるはずがない。そんな困惑する僕の心情を理解してか否か、彼女はしゃべりはじめた。

「拓人さん……ですよね? お久しぶりです。覚えてらっしゃいますか? わたしは祐子の妹の真理です」

 ああ、妹の真理ちゃんだったのか。それで合点がいった。しかし姉妹とはいえ、祐子にそっくりで、まるで生き写しだ。

「お祭り、やってなくて驚きました? 三年前から八月に変更になったんですよ。七月は雨が多くて夜空も見えないことが多いですし、若い人たちも出稼ぎでいなくなって人手も足りず、それならお盆祭りとあわせて八月開催にしましょうってことになったんです」

 なるほどね。確かに旧暦の八月に七夕祭りをする地域もあるし、合理的でもある。

「そうなんだね。それにしても驚いたよ。祐子かと思った。で祐子は元気にしてる?」

 すると真理ちゃんは、突然うつむいた姿勢となり、一呼吸おいてから語りはじめた。

「姉は……他界いたしました。血液の病気でした。拓人さんが東京にいかれてからすぐに発病し、長く闘病していたのですが、治療の甲斐無く六年前にこの世を去りました」

 突然の衝撃的な話に、僕は言葉を失った。


 「……それはたぶん、拓人さんには自分の病気のことを知られたくなかったんじゃないかって思います。拓人さんに、よけいな心配をさせたくないって。姉、ちょっとそういうところありましたから」

 道すがら、僕がこの村を離れてからの祐子のことを真理ちゃんに聞きながら、重い足取りでただ歩みをすすめた。疑問が一つ晴れるたびに、なにも知らず一人もどかしがっていた自分がひどく情けなく、こっけいに感じた。

 神社のすぐそばの小高い丘に祐子の墓はあった。墓石には白い小さな花が手向けられていた。それは祐子が好きだったカスミソウの花だった。

「今日がちょうど命日なんです。七月七日、七夕の夜でした。亡くなる寸前まで七夕祭りにいくことを楽しみにしていました。お祭り、今年は晴れるかなあ、新しい浴衣着ていきたいなあ、みんなくるかなあ、また会いたいなあって。……結局、姉はその年の七夕祭りにはいけませんでした。思えば、あの言葉は、今日、この時のことを思って話していたのかもしれません」

 真理ちゃんは手さげカバンから一通の便箋を取り出した。それは祐子からのものだった。

「ひょっとすると、今日、ご神木の前で誰かが立っているかもしれないので、もしもそんな人がいたなら、この手紙を渡してちょうだいと、姉から預かっていました。これは拓人さんへの手紙に違いありません。お願いです、読んであげてください」

 真理ちゃんから便箋を受け取ると、僕は震える指先でそれを開けて手紙を取り出した。


「拓人へ

お久しぶりですね。元気でしたか?

今、この手紙を読んでくれているってことは、拓人があの約束を守ってくれたってことですね。

うれしいなあ。

すごく、うれしい。

でもね、ごめんね。わたしは拓人との約束を守れそうにありません。

拓人にまた会いたくて、いろいろがんばってみたけど、だめみたいです。

またいっしょにお祭りいきたかったなあ。

新しい浴衣も見せたかったなあ。

花火もみたかったなあ。

わたしは拓人といっしょにいられて、本当に幸せでした。

毎日が、かけがえのない時間でした。

もうすぐ、わたしの時間は止まってしまうのかもしれませんが、ちっともこわくありません。

拓人といっしょにすごしたときのことを思うと、なぜでしょうね、胸のなかがほわっと温かくなって、不安も消えてなくなります。

わたしを大切にしてくれてありがとう。

優しくしてくれてありがとう。

わたしを拓人のそばにいさせてくれてありがとう。

幸せになってください。

天国から、見守っています。

                                  祐子」


 そこで手紙は終わっていた。力なく弱々しい文字。祐子は最後の力を振り絞ってこの手紙を書いたのに違いない。

「姉は、この手紙を書き終えてからまもなく、眠るように息を引き取りました。その年のお祭りの花火と一緒に天に召されたのかもしれません。拓人さん、本当に今日はきていただいてありがとうございました」

 深々とこうべを垂れる真理ちゃんに、僕もまた礼を返した。祐子からの手紙をカバンにしまい、もう一度墓前で手を合わせた。そして帰路につこうと墓に背を向けたとき、ふいに背中ごしに誰かが語りかけてきた。

「ありがとう、拓人。ずっと、大好きだよ」

 聞き覚えのある声だった。ふり返るとそこには誰もいない。今までいっしょにいたはずの真理ちゃんすら、影も形もなくなっている。あれは本当に真理ちゃんだったのだろうか。カバンの中の手紙は消えずに残っていて、ほっと胸をなで下ろした。見上げると、満天の星を切り分けるように天の川が流れ、それをはさんで織姫星と彦星が輝いている。ひょっとすると、七夕の夜が起こした奇跡だったのかもしれない。


 駅に着く頃には、時刻は午後八時をまわっていた。けれども、九時の最終電車であればぎりぎり間に合うはずだ。

「拓人君、今から東京、帰んのかい? もう遅いぞ。どこか泊まっていきなよ」

 田中さんから提案される。

「お前さんなら昔なじみだし、もし泊まるとこがないんなら、この駅の宿直室、使ってもいいぞ。どうせ俺は、家帰って休むしな」

「実は、さっき急な連絡が入りまして」

 もちろんこれは本当ではない。こんな夜更けに慌てて帰らなければならないような急用なんてありえない。我ながら下手なうそだなと恥ずかしく思った。

「ああーそっかね。なら仕方ないんかなあ。けど、これから降るらしいよ、雨。いくら夏とはいえ、夜は冷えるからな、窓は閉めといた方がいいぞ」

 僕の下手なうそに乗ってかどうかは分からなかったけれど、そう気をつかってくれる田中さんにお礼をいって、駅の中へと進んだ。

 電車がくるまで待合室で休憩することにした。待合室内の自販機で、夕食代わりにと飲み物と菓子パン、そして好物の甘露飴を買った。九時になって、ここへきたときと同じ二両編成のワンマン電車がホームに到着した。

「気が向いたら、またきなよ」

 そういって田中さんが改札口で小さく手を振りながら僕を見送ってくれた。今はまだそんな気分にはなれないけれど、必ずまた七夕の夜に祐子に会いにこようと思う。


 最終電車とあって、一両目にはすでに何人か乗客がいた。電車に乗り込むと整理券をとり、一人になりたくて、誰もいない二両目に移動し席に着いた。定刻がきてブザー音がなり、ガタンゴトンと優しく音を立てながら、ゆっくりと電車が動き出した。小腹を満たすため甘露飴を一つ口に放り込む。懐かしい優しい甘さだ。電車の窓を半分ほど開けて空気を入れる。走り出す電車の窓から吹き込む風が、火照った顔に心地よかった。

 田中さんがいうように、いつしか電車の外では雨が降り出しはじめた。夕立とは違う、七月のしとしととした温かく柔らかな雨だったが、車内に雨が入り込まないよう窓を閉めることにした。七夕の夜に降る雨を酒涙雨といったか。祐子と一緒にいたときに降った大雨とは違い、今宵の雨は優しく窓を打ち、傷ついた僕の心を甘く優しく潤してくれた。

 電車の外は外灯も少なく、夜の帳も降りている。闇に包まれて走る電車の窓ガラスは鏡のように反射して、僕の顔を映し出していた。外で降る雨は窓ガラスにはり付いて水滴となり、窓ガラスを伝って斜め後ろに向かって流れ落ちていく。

 雨にさらされているわけでもないのに窓ガラスに映る僕の頬もまた濡れていた。そしてそれはずっと乾くことはなかった。

                                おわり

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― 新着の感想 ―
[一言] 酒涙雨という言葉を初めて知りました。まるで空が流した雨のようですね。 ラストの雨の描写がとても綺麗で、そして優しく感じました。 祐子はずっと拓人を待っていたのだと思うと、胸がいっぱいになりま…
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