マニア研究所と女社長
目覚めたら蛍光灯が煌々とついた部屋。周りの景色が我が家じゃないとは一瞬で分かる。昨晩過ごした雰囲気のあるバーでも無い。
窓の少ない乾燥した部屋には大机があって、大量の紙と本と電話が隙間を埋めている。それと、友人の寝息がすぐ近くに……。
「ジャッジ。起きなよ。おい」
友人はソファーの上で寝ていた。だとしたらここはマニア研究所。もとい小さな出版社に違いなかった。多分酔っ払って何故かここにやって来たんだろうけど。
それより寝起きの僕が全身痛めているのが気に食わない。訪問者の僕が硬い床で寝ていて、ジャッジがどうしてソファーなんだよ。
「起きろってば」
「うーん……」
揺さぶって頬を引っ叩いたらジャッジが起きだす。
窓の外は夜明け頃。出版社の社員は全員家に帰ったのかと思ったら、別の椅子でミイラみたいに丸くなって寝ていた。その席にある作りかけの原稿に、また僕のことについて偽りの情報を書いていないか盗み見したい気持ちがある。
「んだよ。まだ暗いじゃねえかよ」
「……」
そばのぐうたら男をまずは叱らなくちゃならない。また横に倒れて行こうとするのを腕を掴んで引き止めた。
「アレは見つかった? ちゃんと探してる? ここで一日中ごろ寝して過ごしてるんじゃないだろうな?」
氷水を浴びせるように詰問する。
「……アレって?」
「とぼけるなよ」
それで声を潜めてアレのことを明かした。
「鍵だろ? お前がどこかで失くした」
「あー。アレねー。はいはい……」
ジャッジは伸びっぱなしの爪で背中をボリボリ掻いていた。僕からいくら聞いてもはぐらかしてくるけど、彼が「探している」とも「探していない」とも言わないなら、探していないんだろう。
「一週間で探し出すっていう約束はどうしたんだ。もう三週間にもなるんだけど」
「だってしゃあないじゃん。見つかんないものはどうしようもない」
「探していないだけのくせに」
「いやいや、まあ。……ぼちぼちじゃん?」
オフィスの隅でやいのやいの言い合う僕ら。今すぐジャッジを警察に突き出しても良いんだからなと脅すと「それだけはご勘弁!」なんて言うけど。
「腹減ったな〜。なんか奢ってくれよ」
本当にこいつは何の危機感も持っていない。
でも僕のお腹も今だと言わんばかりに盛大な音を鳴らせてきた。昨晩、飲んでばかりであまり食べていないからだ。お互い口喧嘩の気力を失くした。
「こんな時間じゃ開いてる店の方が少ないよ」
「そんな御二方? オススメのモーニングがありますよ?」
ジャッジじゃなくて耳通りの良い女性の声で、ソファーの影から丸メガネの顔が飛び出した。僕もジャッジも驚いて軽く叫び、丸まったミイラもモゾモゾと動いた。
「ホットサンドのモーニング。お野菜たっぷりスープ付き。絶品ですよ。奢りますよ」
丸メガネの彼女はいかにも記者っぽくハキハキと喋る。自信を滲ませる勝ち気な表情も仕事には生かせるだろうけど、ここで僕に見せるのは何か裏の情報を渡せと脅しているのと同じに見えた。さらによく出来る記者は隠し事をしなかった。
「その鍵の話。よーく聞かせてもらいたいですねぇ?」
対して素人の僕は逃げ慣れていない。
「な、なんの……ことかな……?」
口元が引き攣り過ぎて痙攣を起こしそうだった。
その間にジャッジがこの場から逃げ出そうとしている。それを逃さないと彼女はジャッジを捕まえて抱きしめた。ジャッジは苦しそうながらも、ちょっとだけ鼻の下がだんだん伸びていく。なんてだらしないんだ。
「鍵のことはお兄さんも詳しいのかなぁ?」
「いやっ。僕は関係ないので」
「そっかぁ〜。じゃあ何処に行ったんでしょうね〜。エリシュの鍵……」
その瞬間、僕の「えっ!!」と、ジャッジの「はっ!!」が重なった。浮かれさせている場合じゃないと、僕はジャッジの胸ぐらを掴んで取り上げる。
「ジャッジ! お前、まさか!?」
「ち、違う! いや、違わないけど、ごめん!!」
ジャッジは僕に殴られるのだと思って、今度は彼女の足にしがみついた。
「ごめんじゃないよ!! 僕はお前が口を滑らせるんじゃないかって最初から言っていたよな!?」
口軽男と出版社なんて絶対に近づけてならないものだと分かっていたけど。
「お前があんまり後悔してるから、最後のチャンスだって信じてあげたんじゃないか!」
「それは本当にごめんって!」
僕らの騒ぎ立てのせいで眠っていた社員が起き出した。来客ブースのソファーで言い合う男たちを一瞥し、それから丸メガネの彼女を見つけて「社長、おはようございます」と挨拶している。
「まあまあ喧嘩しないでくださいよ」と彼女がその場をなだめようとした。
……いいや。もう僕はこの嘘つき男を許せないと。今度こそ殴ってやらなきゃならないと。この拳に力は入れてあった。
「病院送りにしないでぇ……」
「ちゃんと面倒見てあげるから僕が!!」
「はいっ、そこまで!」
彼女が間に割り込んで華奢な腕で間を持たれてしまう。
「美味しい情報は食べ頃まで寝かせておくのが良い情報屋なんです。なので、鍵の件はまだ放出しませんよ。ご安心を」
……全然僕は安心できないけど。だって人を安心させようとする目の色じゃないんだもの。彼女の瞳は職業魂で燃えていた。続きがあるんだと口元の綻びで匂わせてくる。
「でも? 情報は生き物ですから、ついうっかり漏れ出てしまう可能性があります。つい、うっかり、社長である私の権限で、ね?」
「……弱みとして握りたいわけ?」
「当たりです!」
彼女は僕に軽い拍手を送ってきた。嬉しくない。僕はもう何をせがまれるのも嫌だった。本の謎を解くのも、人に届け物を渡すのも、お菓子を買ってくるのも、人が失くしたものを探すのも嫌だ。
「アルゼレアさんに会わせてもらえませんか?」
え?
「アルゼレアさんの特集を組む予定なんです。本人インタビューの方が読者が喜びそうでしょ? そしたらエリシュの鍵のことは内密にしてあげますよ」
そして何故だか「ねー、ジャッジちゃん」と、彼女はジャッジを飼い猫のように頭をポンポン撫でている。何故だかジャッジも飼われ猫のように喉を鳴らしていた。
「よかったなフォルクス。お前近々デートの約束があるもんな」
「おいっ! またお前は何でそんなに余計なことを言うんだ!」
ジャッジと彼女がニヤニヤと同じ顔して見てくる……。
「あっ、モーニング。食べに行きます?」
このタイミングでへ依然とモーニングに誘える度胸が分からないし。
「結構です。僕は仕事に行くので」
シーツをたたむと「仕事ぉ?」とジャッジが聞いてくる。絶対に何も答えてやるもんか。もう二度と僕やアルゼレアのことはジャッジには言わない。
去り際に声だけ飛んできた。
「アルゼレアさんのことお願いしますね〜」
そして廊下全域に響くほど重たい扉がきっちり閉まる。
外に出ると朝焼けのオフィス街で、このビルの真正面に開いている店がある。そこの売り看板にモーニングの文字だ。ホットサンドが三つから選べるようだった。
「野菜たっぷりスープ付き……」
この店のことだったのか。確かに安いし美味しそうだけど。僕は意固地になって別の店を探しに歩いた。
結局こんな早朝から開いている店は少なくて。僕はよくある平日と変わらずに、地下鉄の売店で手頃なものを買って貪り食っていただけになる。
(((次話は明日17時に投稿します
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